vol.16 朴一(パク・イル/大阪市立大学)
|橋本 :大学在学中から、先生はサッカーにもかなり詳しかったですし、それ以外の世界の知識もたくさん持っていらっしゃっただけに、僕としてはかなり心強い人生の師でした。先生とサッカーのつながりは…なんでしたっけ?前にも聞いたかも知れないですけど。
|朴 : 僕はもともと韓国代表の応援から入ったというか。1966年、僕が10才の時に、北朝鮮代表がW杯のイングランド大会に出場して、イタリアに1-0で勝って予選を突破したんよね。で、アジア勢としては初めて、決勝トーナメントに出場しポルトガルと対戦した。その試合はラスト10分まで3-0で勝っていたのに、ラスト5分でエグゼビオ一人に5点も決められて、3-5で逆転負けをしたんやけど、その映像をあるところで見たんよね。その時に、かなり興奮してね(笑)。それがきっかけと言えばきっかけかなぁ。残念ながら、その後、北朝鮮は政治的な状況もあって国際試合から追放されて出場できなくなったけど、一方で韓国が力をつけてきたからね。というか、もともと韓国人はサッカーに対してかなり熱が高かったというか。実際、日本の朝鮮学校も、昔からレベルが高かった。僕が若かった頃は特に、朝鮮高級学校は本当に強くて同じ年代には戦える相手がいなくてね。普通の学校と試合をしても全然相手にならないというレベルやったから、実業団と試合をしていたよ。実際、今のJリーガーに結構朝鮮学校出身者がいるのもそういう背景もあってのことやからね。
|橋本 :川崎の鄭大世(チョン・テセ)とかもそうですよね。
|朴 : そうそう。鄭大世くんを始め、最近は本当に活躍している人が増えた。しかも何が凄いかと言えば、朝鮮高級学校って、例えば、日本の強豪高校みたいに全国からセレクションで選手を集めるのではなく、ごく普通に、地域の在日朝鮮人が練習によってあそこまで育てられるということ。あれは一体、なんでやろうな?っていうのは今でも疑問やわ。指導者がいいのか、何なのか…。
|橋本 :そういう話も大学に通っている時代から結構しましたよね?でも一番盛り上がったのは、やっぱり2002年の日韓共催のW杯の時かなぁ。僕が4回生の時で…ゼミでもいろんな話をした記憶がある。
|朴 : そうやね。あの時はまだハシモも日本代表ではなかったし、まさか後に代表になるなんて夢にも思わなかったけどね。いずれガンバのレギュラーに定着すればいいなとは思っていたし、実際にそうなったのは良かったけど、ホンマに日本代表になった時にはビックリした。日本代表に入る前に、スポーツ新聞で「橋本、代表入りか?!」みたいな記事を読んだ時も、「まぁ、無理やろうな」と思っていたから(笑)。ごめんな(笑)。
|橋本 :大丈夫です。僕自身もそう思っていましたから(笑)。
|朴 : だから、本当に選ばれた時はゼミのみんなもビックリしていたし、かなりみんなで喜んだ。ただ、その後が問題で。今度は代表で果たして試合に出られるのか、というのが気になってね。ハシモが選ばれて以来、日本代表の試合も殆どテレビで見ているけど、なかなかハシモは出場機会がなく…ハシモがどれだけ胃が痛い思いをしているのかな、と。しかも、せっかくしっかりコンディションを整えて、遠い海外にまで行っても、その間ずっとベンチウォーマー…っていう言い方は失礼だけど、そういう状況で一体どんな気持ちでいるのか、と思ってね。というように、見ている僕らでさえ、それだけ複雑に思うんやから、ハシモはもっといろんな思いがあったと思うけどね。
|橋本 :確かに、アジアカップの時は期間も長かったし、複雑というか…自分を維持するのがいろんな意味で難しかったりもしましたけどね。ただ、これは強がりではなく代表に行くことで学べることはたくさんありますから。もちろん試合に出るに越したことはないけど、そうじゃなかったとしても、全く無駄だった、ということは絶対にない。それは自分がチームで戦う上での力にもなっていますしね。
|朴 : そう言えば、韓国との試合で初めて先発出場したでしょ?あれは、僕としてはかなり複雑やったわ(笑)。
|橋本 :去年の東アジア大会ですね。
|朴 : まさか、先発するとは思っていなかったから、先発に名前があった時は本当にビックリした。しかも、僕はいつもなら韓国を応援するんだけど、相手にもハシモが出ているから困ってね(笑)。もし、日本が負けたらハシモはまた次、出られなくなるかも知れないし…っていうのでとにかく引き分けを祈りながら、非常に辛い立場で見ていたよ(笑)。
|橋本 :そしたら先生の理想通りじゃないですか(笑)。ほんまに1-1で引き分けたし。先制されていたけど、僕が交代する10分くらい前に、山瀬功治(横浜 FM)のゴールで追いついた。
|朴 : 確かにそうやね(笑)。ただ残念やったのは、あの試合での1シーンで、ハシモがシュートを打てる状態ではあったけれども、自分では打たずにわざと中村憲剛くん(川崎F)にパスを流して、それを彼が外したシーンがあったでしょ?
|橋本 :ああ!ありましたね。確か憲剛が、ポストに当てた。
|朴 : そうそう。あれがもしポストに嫌われずに決まっていたら、ハシモはそのまま使われていたような気がする…どうやろか?
|橋本 :それはあるかもしれないですね。っていうか完全に僕を中心に試合を見てくれているのが嬉しいです(笑)。
|朴 : それはしょうがないでしょう(笑)。自分のファンを中心に見るのがファン心理ですから。でも、サッカーのいいところは、そうやって在日の人が、日本のチームで活躍したり、いろんな国の人が同じチームメイトとして戦ったり、対戦できることよね。もちろん、代表選手として時にライバルになることもあるけど、チームに戻れば仲間だったりするわけで。そういう単なるナショナリズムだけでは計り知れない人間ドラマがある。これはサッカーだけじゃなくてスポーツ全般に言えることでもあるけどね。日本と韓国との歴史ということを考えても、李忠成くん(柏)が韓国人やのに日本に帰化したり、韓国籍の鄭大世くんが北朝鮮代表として戦っていたり。ああいうのを見ると、新しい時代が来たな、とも思うしね。そういう意味でもサッカーは面白いし、奥が深い。
|橋本 :今年はJリーグにアジア枠も出来たこともあって、韓国人選手がJリーグの舞台でも更にたくさんプレーするようになりましたからね。
|朴 : そうよね。アジア枠が出来たことは日本にとって良かったのか悪かったのか、微妙でもあるけどね。実力派の韓国人選手の殆どが日本に来たことで、出場機会の減る選手もいるしね。実際ガンバにも今年、2人の韓国人選手が入ったけど、彼らが試合に出ることで播戸(竜二)くんとか、出られくなってしまった選手もいるからね。ただ、まぁそれは、競争の世界やからね。いいプレーをしてポジションを掴めばいいし、そうやって競い合うことはガンバにとってもレベルアップに繋がっていくとは思う。そういう中で、ハシモが変わらずポジションを掴んでいることも嬉しいしね。
|橋本 :まだ僕も、掴んだとは思っていないですけどね(笑)。結果的に、西野朗監督になってからはほぼコンスタントに試合に出してもらっていますけど、僕だって、いつポジションがなくなるか…っていう思いでいますから。だから僕も本当にウカウカしていられない。だから、いつポジションがなくなってもおかしくない、っていう気持ちで常にやっていますよ。
|朴 : ハシモの場合はやっぱり、西野監督に能力を認めてもらったことが大きかったでしょ?この世界、どれだけ能力があっても監督に見出されなければ結果も残せないわけで…。野球のイチロー選手だって、仰木彬監督の前の土井正三監督時代には、まったく使ってもらえなかったからね。ところが監督が交代して見出された。そういうケースは珍しくないし、ハシモの今があるのも西野監督との出会いが大きかったんだと思う。
|橋本 :それはありますね。実際、西野監督になってからある程度、試合にもコンスタントに出してもらえるようになったし、代表にも選ばれた。その代表でもオシムさんとの出会いは大きかったですしね。そうやって考えると人の縁だとか、巡り合わせって人生を左右する大きな要素の1つやなって思う。
|朴 : オシムさんに見出されたのは凄いことよね。僕はサッカー素人ですけど、オシムさんは凄く玄人好みの選手を好む監督だという風に思っていて。いろんな経験を積まれてきた方だし、サッカーに関しても独自の鋭い指導論を持った方だと思うんだけど、そのオシムさんに、ハシモの地味で目立たない、でもプロ中のプロ、というようなプレーを理解してもらえたというのは、すごく嬉しかった。だって、ハシモのプレーってあまり目立たないからね。テレビで観ていただけじゃあ、なかなか視聴者の目には入りにくいというか(笑)。でもそういう仕事をするハシモをしっかり観ていてくれた訳ですから。それに、監督に見出されても、やっぱり人間やから、あう、合わないはある中で、ハシモが"あう"人に巡り会えたのも幸せやと思うなぁ。そういう意味では、オシムさんが倒れた時は真っ先にハシモを心配したよ!岡田武史監督には気に入ってもらえないんじゃなか、と(笑)。まぁ、有利な点が一つあるって言っても、同じ天王寺高校出身だから、っていうことくらいだし(笑)、それで選ばれるほど甘い世界ではないしな。そういう意味では岡田監督になってからも…一度は少し代表を離れたけどまた戻ってきて…大したもんよな。
|橋本 :僕も岡田監督になった時は、これでもう代表はないかな、と思っていたんですけどね(笑)。いや、ないかな、どころか「もう日本代表ではなくなる」って限りなく思いましたけどね。実際、岡田監督になって、1~2月は代表で練習をしていても空気感も変わったし、メンバーも変わっていって…その時に、僕は間違いなく窓際族になりつつあるな、って思っていたし(笑)。
|朴 : 監督っていうのはどうしても、自分の色を出したいからね。だから岡田さんが監督に就任した時は、オシムさんのフィロソフィを受け継ぐとは言いながら、あの眼鏡の奥では自分の色を出したいっていう思いがあるやろうなって思ってた。少しの間はオシムさんの体制を引き継いでも、いずれ若手を起用して岡田さんのチームを作っていくことになるやろう、と。もちろん、現実的にこの世界では、次から次へと若手を育てていかなアカンと思うしね。って考えると、ハシモみたいに遅咲きの人間は自然と外されるんかな、って思っていたのに、そういう中でも選ばれて、起用されているんやからね。そうやって新しいメンバーとベテランを巧く融合させていこうとしている岡田監督はすごいな、と思う。
text by/misa takamura
朴一(パク・イル)/プロフィール
*同志社大学卒業。同大学院博士課程修了。商学博士。
*専攻:朝鮮半島地域研究、日韓・日朝関係論、在日外国人の人権をめぐる諸問題。
*大阪市、神戸市、伊丹市、堺市などで外国人の人権に関する審議会委員を歴任。2005年、国会参議院国際問題調査会参考人。現在、富士火災コンプライアンス委員。
*マスコミ:NHKテレビ『ETV2000』、『アジアマンスリー』、『関西ニュース一番』、『ニュース9』、TBSテレビ『サンデージャポン』、『みのもんたのサタディずばっと』、毎日テレビ『ちちんぷいぷい』、『VOICE』、ABCテレビ『ムーブ』、テレビ朝日『たけしテレビタックル』、読売テレビ『たかじんのそこまで言って委員会』、『たかじんの非常事態宣言』、『ニューススクランブル』など数多くのテレビ、ラジオ番組にコメンテイターとして出演。
*執筆:朝日新聞全国版に『Eメール時評』(2001~2002年)、朝日新聞月刊誌『論座』に「アジア視察」(1998~2005年)、朝日新聞夕刊に「たまには手紙で」(2007年)をそれぞれ連載。著書に『在日という生き方』(講談社、1999年)、『朝鮮半島を見る眼』(藤原書店、2005年)、『在日韓国人』(ソウルポンム社、2005年)などがある。
vol.15 朴一(パク・イル/大阪市立大学)
|橋本英雄(以下、橋本) :(部屋を見渡しながら)先生の書籍の多さは、相変わらずですね!1年にどれくらい読まれるんですか?
|朴一(以下、朴) : 1年に300冊は読むね。週刊誌もジャンルに関係なく全て読みあさるから。朝日芸能からサッカーマガジンまで、とにかく全部…これはもう、個人的な趣味みたいなもんやから。
|橋本 :早速ですが、今日はお時間をとっていただいてありがとうございます。忙しいのにすいません。
|朴 : 大して忙しくないよ(笑)。ここに来るのは久しぶりやな?
|橋本 :そうですね。外では何回かお会いしましたけど、大学に来るのは久しぶりです。
|朴 : 代表も含めてご活躍やもんなぁ。たいしたもんや。
|橋本 :いえいえ。まだまだこれからです。うかうかしているとどんどん若くていい選手が出てくるので危機感いっぱいですよ。
|朴 : このブログは何年くらいやっているの?
|橋本 :6月でちょうど3年です。
|朴 : 毎日、何人くらいの人に見てもらっているの?
|橋本 :カウントをしていないので分からないです…。
|朴 : ファンクラブとかはあるの?
|橋本 :ないです。
|朴 : 作ったらいいやんか。そしたらまた、違うハシモの良さを知ってもらえるやろう?
|橋本 :いや、ファンクラブとかを作ると、人数がはっきりしちゃうじゃないですか?それが嫌で…漠然としておいた方が自分のためかな、と(笑)。
|朴 : ハシモらしいな(笑)。
|橋本 :僕って大学時代からそんな感じでしたっけ?っていうか、聞きづらいですけど先生の目から見て僕はどんな学生でした?
|朴 : ゼミに入ってきた時はちょうどトップの試合に出たり出なかったり、の時で。それなのに意外といろんな授業にもきっちり出席していたよね。うちの大学は卒業単位をとるのが難しいというか、厳しくて。試験だけ受けておけば何とかなるっていう訳でもないので、しっかり授業に出席しないといけないのに、そういう意味ではよく卒業出来たと思うよ。結果的に4年では卒業できずに5年かかったけど、ハシモの人徳もあってのことやろうなぁ。友だちのいろんな応援も受けたり、たくさんの人に支えられていたよね。
|橋本 :本当にその通りで。先生はもちろん、仲間にはすごく助けられました。
|朴 : うちのゼミは企業研修とかゼミ旅行とか行事が結構多いんやけど、時間があれば企業研修とかにも参加してくれたしね。京都にある酒屋のメーカーをまわって、ビールや日本酒、ワインを朝から晩まで呑み続けるっていう企業研修にも参加してくれたよな?
|橋本 :ありましたね。先生、ワイン好きやから…半分、趣味も入っていたような…(笑)。
|朴 : (笑)。ゼミが終わってからの宴会にも参加してくれたり…そういう意味ではガンバでの練習と大学の授業をうまく両立してやっていたように思う。ハシモみたいに文武両道を目指す生徒って、練習が忙しくなって大学を途中で辞めてしまう人も多いけど、ハシモは真面目に授業にもケジメをつけて出てくれていた。他の学生もビックリしていたよ。
|橋本 :引退してからも何度かゼミの集まりに参加しましたよね?確か、アウェイでの鹿島戦の後だったと思うんですけど、試合から戻ったその足で合流したこともあった。
|朴 : そうやったなぁ。彼らもハシモみたいに同世代が活躍しているのは嬉しかったんやろうなぁ。みんなで楽しく呑んだ記憶があるわ。
|橋本 :僕も今でもゼミの仲間の存在は刺激になりますけどね。それぞれ違う分野とはいえ、自分をしっかりもって、やりたいことを目指して頑張っていますからね。それに、スポーツとは違う世界で生きている彼らから聞く話は、僕にとっては新鮮やし興味深い内容が多い。もちろん、先生ともいろんな話をして…大学を卒業する時とかも、相談に乗ってもらいましたよね。プロとして頑張っていくか、普通の企業に就職した方がいいのか岐路に立たされていた時に。先生には普通の企業に行くことを薦められたけど(笑)。
|朴 : そこはある意味、心を鬼にして、ね(笑)。ちょうど大学を卒業する少し前からトップの試合に出場するチャンスが増えてはいて、レギュラーをとれるかどうか、っていう時期とクロスしていたんやけど、僕としてはホンマにそのままレギュラーに定着できるのかが心配でね。サッカー選手を目指す人、能力がある人がいっぱいいる中で、本当にハシモがこの先もサッカーで頑張っていけるのか不安だったというか。それが難しいなら、早めに辞めて第二の人生を歩くのも一つの道だと思ってのアドバイスでもあったんやけどね。プロ野球の世界もそうですけど、活躍出来る選手ってほんの一握りやから。本当に心配だっただけに「君なら、一流の企業にも十分勤められる人材だ」って誘惑した(笑)。でも、ハシモの信念が強くてね。「僕はこのサッカーの世界で生きていきたいと思います!サッカーで頂点に立ってみせます!」って言うもんやから…。
|橋本 :いや、絶対に言ってない(笑)。
|朴 : それは大げさやけどそういう目で僕を睨みつけたから…。
|橋本 :睨んでないです、って(笑)!
|朴 : そうか。まぁいずれにしても、代表までしっかり上り詰めたんやから、僕のアドバイスを聞かなくて良かったよね(笑)。
text by/misa takamura
朴一(パク・イル)/プロフィール
*同志社大学卒業。同大学院博士課程修了。商学博士。
*専攻:朝鮮半島地域研究、日韓・日朝関係論、在日外国人の人権をめぐる諸問題。
*大阪市、神戸市、伊丹市、堺市などで外国人の人権に関する審議会委員を歴任。2005年、国会参議院国際問題調査会参考人。現在、富士火災コンプライアンス委員。
*マスコミ:NHKテレビ『ETV2000』、『アジアマンスリー』、『関西ニュース一番』、『ニュース9』、TBSテレビ『サンデージャポン』、『みのもんたのサタディずばっと』、毎日テレビ『ちちんぷいぷい』、『VOICE』、ABCテレビ『ムーブ』、テレビ朝日『たけしテレビタックル』、読売テレビ『たかじんのそこまで言って委員会』、『たかじんの非常事態宣言』、『ニューススクランブル』など数多くのテレビ、ラジオ番組にコメンテイターとして出演。
*執筆:朝日新聞全国版に『Eメール時評』(2001~2002年)、朝日新聞月刊誌『論座』に「アジア視察」(1998~2005年)、朝日新聞夕刊に「たまには手紙で」(2007年)をそれぞれ連載。著書に『在日という生き方』(講談社、1999年)、『朝鮮半島を見る眼』(藤原書店、2005年)、『在日韓国人』(ソウルポンム社、2005年)などがある。
vol.14 森本さかえ(ホッケー女子日本代表)
|橋本 :それにしてもホッケーのボールって、野球の硬球ばりの硬さじゃないですか?当たったらかなり痛いでしょ?
|森本 : 痛いです(笑)。
|橋本 :プレーしていて怖いとか思わないんですか?そんなことを聞いていいようなレベルではないと思いますけど…スイマセン(笑)。
|森本 : いや、普通に怖いですよ(笑)。プレー中は全然気にならないんだけど、練習とかでスライディングシュートみたいな…遠くのボールに飛び込んでゴールを狙う、みたいな練習をするときは結構、怖いし。前に、ある人が「あんなスポーツを出来る人は根性がないとできない」って言っていたけど、実際、本当に危険な競技ではあると思いますからね。スキルとか状況判断ももちろん必要だけど、一番大事な資質は、本当に根本的な…相手に向かう根性かも知れない。それがなければ、怖いと思った時点でプレーできなくなっちゃうし。
|橋本 :防具もつけていないし、ユニフォームも袖なし、短パンってあまりに身体が守られていない格好ですよね(笑)。ピッチを滑ったりするんだから、長袖とかにしたらいいのに…。
|森本 : グラウンドは人工芝で出来ているんですけど、プレーする前に水をまいて、滑りやすくしていて。摩擦とかがマシになるようにはしているんですけど、それでも擦り傷は絶えないですね。橋本;ラクロスの方がまだ防具がある状態ですよね。
|森本 : そうですね。ラクロスは少なくとも顔はマスクをしていますからね。でも…正直、私はボールが本当に怖いんです。ホッケー選手の方では恐がりの方だと思うし(笑)。ただ、勝ちたいという負けん気の強さと、要領の良さで乗り切っている(笑)。幸い、私はFWですからね。ポジション的にそんなにボールにぶつかる確率は高くないし。ただ、DFはすごいですよ。身体張っていかないと相手をブロックできないし。
|橋本 :シュートの速度ってどのくらいですか?
|森本 : 女子のナショナルレベルだとだいたい120~150キロくらいかな。オランダとかならアベレージが150キロくらいだし。ちなみに、セットプレーの時だけは防具を着けるのがルール的に許されているので、セットプレーになったら、マスクをつけてプレーするんですけどね。
|橋本 :え?!セットプレーの度に防具を取りにいって、つけるってこと?
|森本 : そうです。ゴールの後ろに防具を置いていて。しかも、30秒以内につけないといけない、っていう目安があるから、そんな大層な防具はつけられなくて。30 秒以内に着けられる簡単なものしかダメなんですけどね。
|橋本 :セットプレーのあと、そのプレーが流れたらマスクは着けたままでいいんですか?
|森本 : 最初の1プレーまでは…要はカウンター攻撃のために1プレーまでは着けたままでOKなんだけど、プレーが途切れたらそこで外さなければいけない。しかもその外すために試合が中断することはないので、自分で流れを見計らって外して、しかもそれを元のゴールの後ろに戻さなきゃいけないんです。
|橋本 :驚きですね。フィールドに投げ捨てたりしたらダメなんですか?
|森本 : ダメですね。ただ近くで外したのを味方のGKが取りに行って戻してくれることはありますけど。
|橋本 :慣れたら大丈夫なのかも知れないけど、面倒なルールですね(笑)。ちなみに、これまで大きなケガはありますか?初めてお会いしたのは、あるトレーニング施設で…その時は腰のヘルニアだって話でしたけど、他に骨折をしたこととか、ありますか?
|森本 : 鼻は陥没骨折しましたね。スライディングシュートを狙った時に、相手GKのスティックではたかれて陥没…ボールをクリアするみたいに思いっきり叩かれたので、かなり痛かったです。と言っても、その時は試合中だったし、あまり気にもせず、切れているだけかと思っていたんですけど、病院に行ったら「陥没している」と(笑)。すごく腫れていたので、とりあえず冷やして腫れが引いてから手術になったんですけど、「せっかくだから、おかしくないところまで高くしておいてください」と言っておきました(笑)。でも、鼻はケガすると本当に痛いので、二度とやりたくない…もう治さなくてもいいかなって思うくらい、治すのが痛いし(笑)。あとは打撲くらいで、大きいケガはしていないですね。
|橋本 :顔のケガが一番多いんですか?
|森本 : いや、私が多いみたいです(笑)。ない人は全然ないんですけど、プレースタイルにもよりますね。私は海外でもプレーしているんですが、海外だと相手がデカイので、ちょうど相手の肘が私の顔のあたりにくるんですよ。なので良く当たる(笑)。
|橋本 :それでも大きなケガがないっていうことは、基本、ケガには強いっていうことかなぁ。
|森本 : 私の場合、身体が硬すぎて足首グネッたり、膝をひねったり、っていうところにいかないらしい。いいように言えば、うまく交わしているっていうことになりますけど、おそらくは、身体が硬いからそんなにケガをしないんだろう、って言われたことがある。
|橋本 :そう言われてみれば、サッカーも外国籍選手は意外と身体が硬くて…うちのチームのルーカスやバレーも結構、硬いんですよ。ただ、ルーカスなんかは、身体は硬いけど、サッカーに必要な股関節とかは柔らかいんです。だから少々あわせにくい高いボールが来ても、足があがらないっていうことはないし、変な体制になってでもそこに足が届くような動きが出来る。あれは驚きですね。ちなみに、マウスピースくらいはしているんですよね?
|森本 : しています。ただ、歯を治療中の時に1日だけマウスピースをつけていなかったことがあって…そしたら、たまたま、相手DFのスティックが当たって、折れてしまった。たった1日つけていないだけだったのに…あれは不運でした(笑)。マウスピースさえ着けていたら、歯は折れなくて、唇が切れるだけで済んだのに…。
|橋本 :どっちにしても痛そうやけど…。
|森本 : いや、歯の方がダメージは大きいですよ。だって、歯はボールを打つ時に,相当強く噛み締めるので…一度、練習で打った瞬間に歯が縦に割れたことがあって、あれにはすごいびっくりした(笑)。きっと、それだけ重力がかかっているんでしょうね。実際、シュート時の写真とかみたらすごい踏ん張っている顔をしているし(笑)。
|橋本 :さっき、海外でプレーしているっていう話が出ましたけど、実際にスペインとかに行ってるじゃないですか?それはどんな仕組み、タイミングで行ってるんですか?
|森本 : まず海外でプレーするのは基本、個人交渉です。向こうの監督に声を掛けられることもあれば、所属企業を通していく選手もいるし。私の場合は基本、全て個人でやっているんですけどね。言葉も英語圏内だったら問題ないので、この間、スペインに行った時も英語で交渉して、現地ではスペイン語を勉強して、使っているうちにだいぶ話せるようになった、っていう感じでした。
|橋本 :年俸とかも自分で交渉するっていうこと?
|森本 : そうですね。これくらい貰わないと困るとか、こういう条件じゃないと行かないとか、こちらの言い分を一応主張して…。
|橋本 :国によって、このくらいの年俸が平均、みたいなのがあるんですか?
|森本 : ありますね。しかも国によって待遇が全然違いますし。あとシステムも…オランダリーグとかは世界でトップのリーグって言われているけど、意外とウエルカムで。一流選手にしかお金は払わないけど来たいなら来れば?っていう感じで、受け入れてはくれるんです。もちろん、そういう選手にはお金は払われないんだけど。
|橋本 :最初に海外に行ったのはオーストラリアでした?
|森本 : はい。当時、富山のゴールドウィンに所属していたんですけど、ちょうど富山国体が終わった段階で、諸事情から休部になって。そのままホッケーをやめて会社に残った人もいたし、他のチームに移籍した人もいたんですけど、私は12月にやめて、翌年の4月には天理大に入ることが決まっていたので。だから、その間の3ヶ月間、オーストラリアでホッケーをしていました。私が天理大の学生だった時のコーチがオーストラリア人だったという縁もあったし、ちょうどシドニー五輪予選に負けた後で、このままではダメだ、という思いもあって。しかもシドニーではオーストラリアが優勝していたので、一度オーストラリアでやってみたいと思うようになった。
|橋本 :込み入った話になりますけど、オーストラリアとか、スペインに行くのって基本、航空代だとかは自分でまかなうんですよね?
|森本 : 私の場合は完全に個人ですから、そうなりますね。サプリメントかは、個人的にグリコさんとかから応援していただいていますけど、それ以外は基本、全て自腹です。
|橋本 :そこまで頑張れるホッケーの魅力って何ですか?
|森本 : スピード感とプレーの激しさかな。ボールも小さいし、生で見てもらうとすごいスピード感があるスポーツだと分かってもらえると思うですけどね。
|橋本 :今さらながら、基本的な質問なんですけど、きっとこれを読んでいて、疑問に思っている人がいると思うので、改めて聞きます(笑)。今は天理大学に所属していますけど、学生ではなく大学職員ですよね?っていうことは、天理大学はクラブチームでもある、ということですか?
|森本 : いま、日本国内では、日本リーグと、学生、社会人と3つのカテゴリーがあるんですけど、日本リーグに登録しているチームは8チームしかないんですよね。で、天理大学というのは学生としても戦うけれど、日本リーグの登録チームでもある、と。ただ、当然ながら大学生としての試合には学生しか出場できないので私は出られないんですけどね。
|橋本 :なるほど。確か日本代表選手は日本リーグに登録しているチームからしか選ばれないんですよね?
|森本 : その通り。ただ、私も含めて日本リーグが発足する前から日本代表だった選手もたくさんいますからね。じゃあ、その人たちはどうすれば代表になれるのか、っていう話になった際に、強化指定選手っていう加入選手制度が出来たんです。これは、例えば天理大学のように、学生ではなくても選手登録できるっていう制度で。要は、日本代表になるために、名前だけでもいいからどこかの日本リーグのチームに所属しなければいけない、っていうことからできた制度なんですけど。
|橋本 :じゃあ、普段は社会人として大学職員の仕事もされているっていうことですか?
|森本 : そうです。合宿とか何もない時は朝から大学に行って、職員としての事務的な仕事をして、夕方からコーチとして学生の練習をみて、自分もトレーニングをして、っていう感じです。
|橋本 :選手とコーチ兼任はいつから?
|森本 : 天理に戻って来てからだから、25才からですね。
|橋本 :早いですね?!
|森本 : 早いですね(笑)。最初は…っていうか今でも一緒にプレーしながら教えている感じですけど。本格的に采配を奮うようになったのはここ3年かな。今の監督は、長く現場を離れていた方で、しかも着任したばかりということもあり、この3年は自分がコーチという立場で、メンバー決定も、ゲーム中の交代とかも指示をするし。
|橋本 :それって自分をメンバーから外すこともあるんですか?
|森本 : 一応、自分は出ます。出て、プレーしながら、ベンチの選手に「準備して」って指示を出したり、微妙なことをやっています。
|橋本 :古田さん状態ですね。「代打、俺」みたいな(笑)。
|森本 : そうですよ。セットプレーの戦術とかも自分が指示を出すし…。
|橋本 :指導も面白いですか?
|森本 : 勉強にはなりますね。選手の中で思っているだけのことじゃ回らないっていうことも分かっているし。
|橋本 :ただ、まだそれには専念するつもりはない、と。
|森本 : 北京が終わるまではとりあえずは、ないですね。北京が終わったら…終わってからまた考えます。
|橋本 :今はとにかく北京だ、ということですね!今日は長々と根掘り葉掘り、いろんな話を聞かせてもらってありがとうございました!みんなで応援していますから、自分に悔いのないよう、空気にも気をつけて(笑)、頑張ってきてください!
|森本 : ありがとうございます。帰って来て、またいい報告ができるように頑張ってきます!
text by/misa takamura
森本さかえ/プロフィール
1977年1月20日生まれ。奈良県出身。天理高校時代にホッケーをはじめ、天理大学に進学。卒業後の99年にゴールドウィンに入社し日本リーグ、社会人、全日本、そして国体の四冠を獲得するなど強豪として名を馳せたが、00年12月に休部。それに伴い01年、天理大学に移籍。天理大学職員として在籍し、同大学の社会人ホッケーチームの選手兼コーチとしてプレーを続けている。またリーグの合間を縫って05年9月にはスペインリーグ『オレンセ』に日本人選手として初めてレンタル移籍を実現した。
代表歴は大学2年時に初めて日本代表(現さくらジャパン)入り。04年にはアテネ五輪に出場し、8位入賞に貢献。世界のトップ10プレーヤーにも選出された。以降、05年の『第4回東アジア競技大会』の金メダル獲得をはじめ、07年には『第6回アジアカップ』で優勝するなど、目覚ましい成績を残しながら成長を続ける女子ホッケー界にあって、必要不可欠な存在として活躍を続けている。ポジションはFW。165センチ、63キロ。
vol.13 森本さかえ(ホッケー女子日本代表)
|橋本 :そもそも、森本さんは、なんでホッケーという競技を選んだのですか?子供の時からホッケー一筋?
|森本 : いや、小学校の時は水泳をやっていたし、中学では陸上部で高飛びをやっていましたから。ホッケーは高校に入ってからですね。同じクラスになった友だちがホッケーをしていて、誘われたんです。
|橋本 :個人スポーツから団体スポーツに移行するのは抵抗はなかったですか?っていうか、小中と個人スポーツをしていたのは、自分が個人スポーツ向きだと思っていたから、ではなくて?
|森本 : 特に個人競技がいい、というよりは、たまたまだったと思いますよ。実際、ホッケーをやり始めたらすぐにのめり込んでいったし(笑)。1年生の時に、先輩がインターハイに優勝したんですけど、それがまたすごく格好よくて。自分はメンバーにも入っていなかったんですけど、そうやって優勝している先輩の姿を見て、自分も!って思うようになった。しかも、結構成績が良かったので、それも自分のホッケー熱に拍車をかけたのかも。
|橋本 :成績はどれくらいまでいったんですか?
|森本 : 私の1つ上の先輩の時はインターハイ3位と、国体3位。自分たちの代は春の選抜が2位、インターハイが4位かな。国体は1回戦負けでしたけど。
|橋本 :インターハイに出ることは…チーム数を考えても難しいんですか?競技によって各都道府県のチーム数も全然違うと思うのですが。
|森本 : 私の出身の奈良県にはホッケー部のある学校が6校しかなかったので、そこは断トツで勝ち抜けたんですけど、各府県の出場校数が少ないことから、県で勝っても『近畿で3チーム』という枠を更に争わなければいけなかったんですよね。しかも、その近畿大会を勝ち抜くことが、県予選を勝ち抜くより、何倍も難しくて。特に近畿の高校ホッケーのレベル自体がすごく高かったから…だって、私たちが2年の時のインターハイは、1位が滋賀、2位が京都、3位が奈良の高校でしたからね。要は近畿大会で全国の優勝を争うような感じでした。
|橋本 :それはハイレベルですね!森本さん自身は初心者だったのに、そういう強豪校でプレーしていても、ホッケーをやりだしてすぐに楽しいと思えたんですか?最初はついていくのも大変だったのでは?
|森本 : 私の場合、何せ、負けず嫌いですから(笑)。だから、最初は自分だけ出来ないっていうことがすごく悔しくて。ただ、うまくボール操作とかができるようになりたい一心で、朝練習を始め、必死になって練習をしました。しかも、さっき言ったように先輩たちがすごく強かっただけに、試合に出してもらおうと思ったら、相当、頑張らないといけなかったし。ただ、2つ上のインターハイで優勝した先輩たちが抜けて1つ上の代になったときは、コーチに恵まれて、すごく丁寧にいろんなことを教えてもらったんですよね。そのおかげで、試合にも使ってもらえるようになったら、どんどんホッケーが面白くなり、はまっていきました。さっきも言ったように、もともとの性格がすごく負けず嫌いだったことが良かったとは思いますけど(笑)。
|橋本 :目標はやっぱり、日本代表って感じだったんですか?
|森本 : まずは、そうかな…。私が高校生の頃はオリンピックにも出ていなかったし、日本代表としてアジア大会に出たら結構、いいところにいっている、っていう感じだったので、まずはそこが目標でした。
|橋本 :そう思うようになったのは、いつくらいですか?ホッケーを始めてすぐ?
|森本 : いや、これもまた私の負けず嫌いな話になるんですけど(笑)、最初はそんなに意識していなかったんですよ。でも、高校3年生時の春の選抜で2位になった時に、その大会から優秀選手とかがユース代表(U-18日本代表)の選考会に行けることになっていて。私のチームからも5人くらい選ばれたんですけど、私は選ばれなくて。もちろん、選ばれた選手はみんな巧いのは分かっているんですけど、自分も選ばれたかったな、って思うと…すごく悔しかった。そこから火がついたというか。「ああ、実は私も日本代表になりたかったんや」っていう自分にも気がついた(笑)。代表を意識するようになったのは、その時からです。
|橋本 :ユース代表にはなれなかったけど、日本代表になったのは早かったですよね。
|森本 : 大学2年の時ですね。
|橋本 :当時、学生が日本代表になるっていうのは珍しくなかったんですか?今のサッカー界では、五輪代表ならまだしも、大学生が日本代表になることは殆どあり得ない話ですからね…。
|森本 : 当時の女子ホッケー代表は大学生がメインだったので、そんなに珍しくないかも知れないですね。というのも、ホッケーの場合、社会人として続けても、2~3年で辞めてしまうっていうのが珍しくはなくて。そういう意味では大学生の時に代表になって、社会人になって26才くらいで引退するのが普通でしたから。
|橋本 :さっき最年長が37才って話していましたけど、って考えると、最近は少し引退する選手の平均年齢も上がって来たっていうことになりますよね?
|森本 : そうですね。日本代表では私は上から2番目なんですけど、さっきも言ったみたいに30代の選手も結構増えたので。
|橋本 :自分の気持ちとしては、今、最低でも何才までは選手でいたいっていう風に考えることはありますか?
|森本 : 毎回、私はオリンピックを基準にしていますからね。まずは、オリンピックが終わるまで、みたいな感じで短いスパンでしか先のことは考えていないんですよ。ただ、正直に言うと、ホッケーは長くやっていても、そんなにメリットがないというか…やっていることでお金が発生する訳でもないし、環境的に考えても続けていくのがすごく難しいですしね。だからどこかで自分で区切りをつけなきゃいけないとは思うんですけどね。
|橋本 :その『どこか』っていうのは身体が動かなくなるっていうことだけではなく?
|森本 : そうですね。ただその基準は人それぞれですから。私の中ではまだそこまで考えていないというか…ただ、日本代表としてプレーするのは今回の北京で終わりかな、って思ってプレーしていますけどね。
|橋本 :森本さんの今の年齢が31才だから、4年たっても、まだ35才。最年長の人が37才で今回出場するんですから、まだ次のオリンピックも狙えるじゃないですか!っていうか、要はハートというか、気持ちを持ち続けられるかが、問題だとは思いますけど。そう言えば、うちのチームの最年長、GK松代(直樹)さんに聞いたことがありますよ。「ここまで来たら、最後はハートだ」と。あと、素直に話したいことを話せる同世代の仲間が減っていく寂しさもあるので、それに耐えられるかだ、と(笑)。だから気持ちが大事なんだ、って。
|森本 : おっしゃっていること、よ~く分かりますよ。本当に最後は気持ちだと思いますから。
text by/misa takamura
森本さかえ/プロフィール
1977年1月20日生まれ。奈良県出身。天理高校時代にホッケーをはじめ、天理大学に進学。卒業後の99年にゴールドウィンに入社し日本リーグ、社会人、全日本、そして国体の四冠を獲得するなど強豪として名を馳せたが、00年12月に休部。それに伴い01年、天理大学に移籍。天理大学職員として在籍し、同大学の社会人ホッケーチームの選手兼コーチとしてプレーを続けている。またリーグの合間を縫って05年9月にはスペインリーグ『オレンセ』に日本人選手として初めてレンタル移籍を実現した。
代表歴は大学2年時に初めて日本代表(現さくらジャパン)入り。04年にはアテネ五輪に出場し、8位入賞に貢献。世界のトップ10プレーヤーにも選出された。以降、05年の『第4回東アジア競技大会』の金メダル獲得をはじめ、07年には『第6回アジアカップ』で優勝するなど、目覚ましい成績を残しながら成長を続ける女子ホッケー界にあって、必要不可欠な存在として活躍を続けている。ポジションはFW。165センチ、63キロ。
vol.12 森本さかえ(ホッケー女子日本代表)
|森本さかえ(以下、森本) : お疲れさまでした。札幌戦快勝、おめでとうございます。
|橋本英郎(以下、橋本) : ありがとうございます。せっかく見に来てもらっていたので勝てて良かったです。森本さんも今日は試合だったんですよね?どうだったんですか?
|森本 : 今日は『全日本大学王座決定戦』という学生の試合だったので私は選手としては出場していなくて。コーチという立場で戦ったんですけど、山梨学院大学に大敗してしまいました。
|橋本 :じゃあ、きっとブチ切れて万博に来たんですね(笑)?!
|森本 : いやぁ、今日はある意味、自分の采配ミスだったから…悔やまれる試合になってしまいました。ただ、男子のコーチもやっているんですけど…といってもメインのコーチがいるのでそのサポート的な役割なんですけどね。男子は立命館大学に1-0で勝ち、優勝することが出来ました。
|橋本 :大敗って、スコアはどのくらいですか?
|森本 : 5-0です。
|橋本 :5-0が大敗っていうことなら、ホッケーもサッカーに近いスコアの感覚なんですね。
|森本 : そうかもしれないです。サッカーみたいに1-0とか僅差の試合も全然、ありますから。
|橋本 :ホッケー選手的に、今日のガンバの4-2という結果はどう見ますか?
|森本 : いい内容だったし、快勝じゃないですか?!
|橋本 :快勝かな…快勝っていう感じは正直、しいひんかったけどな…でも4点獲ったのは今季のリーグ戦では始めてですからね。ある意味、快勝とも言えるのかなぁ。って、すんなり対談を始めてしまっていますけど、今日はよろしくお願いします。
|森本 : お願いします!
|橋本 :ホッケーのことはあまり良く知らないので、今日はいろいろ教えてください。僕の通っていた高校にはホッケー部があったので、何となくの知識ならあるんですけど…。
|森本 : なんでも聞いてください!橋本さんファンの読者の皆さんにもホッケーを知ってもらえたら嬉しいので!
|橋本 :って、こんな悠長に話をしていますけど、五輪が近づいているじゃないですか!いつから向こうに行くんですか?
|森本 : 7月28日に五輪に出場する日本選手団の結団式を終えてから国内で最終調整をして、8月6日に北京に入ります。
|橋本 :結構ギリギリなんですね。
|森本 : はい。向こうは空気があまりよくないし…出来たら試合当日でもいいなっていう感じなんですけど(笑)、そういう訳にもいかないので。
|橋本 :この間も中国に遠征していましたよね?あれはどのくらい行っていたんですか?
|森本 : 日中国際交流試合を兼ねた中国遠征で、6月11~21日まで10日間くらいだったんですけど、その短期間でも実は喉をやられてしまって。やっぱり相当、煙たいっていうのが印象でした。
|橋本 :僕も今年の2月に日本代表戦で行っていたんですけど、かなり煙っていましたからね。
|森本 : 向こうにいる間に1日だけ工場が止まっていた日があって。そしたら、こんなに違うんだ!って、びっくりするくらい空気が違いましたから。ただ、喉がやられた以外にも、私は蕁麻疹も出たりして…帰って来てから病院にすぐに行ったけど、しばらくは喉のイガイガも治らなくて。って考えると、今回のオリンピックは3週間も滞在するだけに、若干、不安でなんですけど、マラソン選手に比べたらマシだと思うようにしています(笑)。
|橋本 :確かに、ホッケーもサッカーも、試合時間はマラソンほど長くはないですからね。ちなみにホッケーの女子日本代表は何人くらい行くんですか?
|森本 : 16人。
|橋本 :え?!競技は11人でやるのに、16人は少なくないですか?!
|森本 : そうなんですよ。サッカーは、ちなみに何人行くんですか?
|橋本 :登録メンバーが18人で予備登録選手が4人いるから全部で22人です。
|森本 : そうか…サッカーとホッケーは同じ人数で戦うって考えたら、やっぱりホッケーはちょっと少ない気がしてきました(笑)。いつもそうだからあまり気にしていなかったけど。
|橋本 :前回、女子ホッケーとしては初出場となったシドニー五輪がベスト8という成績でした。この数字は初出場ということを考えれば、いい成績だったんですよね?
|森本 : 当時のランキングが10位でしたからね。単純に10位から8位に上げられたのは良かったなと思う面でもあったし、当時の自分たちの力を考えても妥当な成績だったと思う。正直、それ以上の順位になるだけの力も、あの時はまだなかったと思うから。もちろん、だからと言って、順位を落とさなかったのは良かったんですけどね。
|橋本 :その経験を経た今回ですが、ホッケーのことを知らない人のために説明すると、まずは予選を5試合戦うんですよね?
|森本 : そうです。前回は参加チームが10チームだったんですが、今回は12チームに増えたので、6チームずつ2グループに分かれて予選を戦います。で、上位2 チームずつが準決勝に進みメダルを争うのですが、決勝トーナメントに上がれなかったチームも順位決定戦を戦うので、最終的には12チームの全順位が決まるんです。(http://www.hockey.or.jp/topics/20080707/match_schedule.pdf)
|橋本 :予選で同グループの国はどこですか?
|森本 : アルゼンチン、ドイツ、ニュージーランド、アメリカ、イングランド、そして日本です。
|橋本 :その組で、上位2つに入って…あと1回勝てばメダルに手が届くっていうことですよね?しかも、1回勝てば、金か銀が確定するんですよね!
|森本 : そういうことです。
|橋本 :勝算は?シドニーから4年経った中で、日本のレベルはメダルを狙えるところまで上がってきている、という手応えを持って挑める大会になりそうですか?
|森本 : 実力として見れば、狙えるところまでは来ていると思うし、今回の予選の組み合わせも自分たちにとってはすごく恵まれているだけに、なんとか上位2位に入りたい…というより、入らなければいけないって気持ちでいます。
|橋本 :同グループでの最大のライバルはどこになりそうですか?
|森本 : さっき挙げた国のうち、アルゼンチンが世界ランク2位で、ドイツが3位、日本が5位なんですよね。って考えると、やっぱりアルゼンチン、ドイツ戦あたりが一番の正念場になってくるし、もちろん、他の試合も、オリンピックという大舞台でいかにとりこぼさずにしっかり勝っていけるかが大事になってくると思います。
|橋本 :森本さんを含めて、前回のアテネを経験しているメンバーも結構いるのは大きいですね。
|森本 : 大きいですね。アテネの時は「オリンピックに出たい」っていうのが目標としてあって。それを実現した中で、大会前は勢いで「メダルを獲るぞ!」って言ってたりもしたんですけど、実際に向こうに行ってみて衝撃を受けたというか。それまでもいろんな国と試合をしてきていたとはいえ、オリンピックのレベルは全然違っていた。結局、アテネ大会ではドイツが優勝したんですけど、ドイツはすごく基礎技術が高くて自分たちとの差をすごく痛感したんですよね。でも、それを感じた上で、この4年間、北京に向かって取り組んできたメンバーが多いのは、今回の北京に挑むにあたり、すごく大きいことだと思います。
|橋本 :サッカーでも日本のレベルは年々上がっているとはいえ、根本的なフィジカルの部分での差はあるな、と感じるんですけど、それはホッケーでも感じますか?
|森本 : 大いに差はありますね。しかもそれは大きなハンディでもある。だってスティックの長さは同じとはいえ、単純に身長が10センチ違えば、リーチも10センチ違うっていうことですから。
|橋本 :そういった体格やフィジカル的なハンディを補うための日本の武器って何ですか?
|森本 : アテネで負けた後、一時期はウエイトトレーニングをたくさんするとか、海外と同じようなことをしていたんですよね。でもそうやって2年くらい経ってみたら、逆にすごくケガ人が増えてしまっていたし、実際に同じことで対抗しても根本的な差がある以上、相手よりは上にいけないっていうことに気がついた。そこで個々が体幹をより使えるようなトレーニングとかをするように切り替えたんですけど、それによって日本が特徴にしている細かいパスとか、集団で動いて行くというスタイルが、結構形になってきたんですよね。実際、日本には世界に通用するトップスターはいないけど、いないなりに全体での組織としての動きっていうのが評価されるようにもなりましたしね。しかも、そういうことに1年半くらいかけて取り組んできた中で、最近はより形になってきたし、あとちょっとのところでなかなか噛み合なかった部分も、この間の冬の合宿で更に良くなってきたなという手応えがある。だからこそ、今は自分たちの形で、北京でトライ出来るのがすごく楽しみなんです。
|橋本 :その話、サッカー日本代表のオシム前監督とか岡田武史監督が言っていたことに似ていますよ。オシムさんも日本人は体格的に欧州とかに比べると絶対に劣る、と。その中でどれだけ戦えるかを考えると、運動量だったり、狭い地域で人数をかけて崩すとか、早い動きを巧く使うとか、っていうことが必要になるんだ、っていうことを言われていましたから。
|森本 : すごく似てる!じゃあ、そうやって組織、グループでやることがある程度、形になってきたあと…最後の勝負のところはどんな風に言っていました?私たちもいま、そこに取り組んでいるので。
|橋本 :勝負のところをやる前にオシムさんが倒れてしまったんですよ。形になってきて、ああ、これからだな、っていう感じはしていただけに残念でしたけど。
|森本 : そうなんだ…でも、そういうサッカーってやっていて楽しいなって感じませんでした?
|橋本 :楽しかったですね。女子ホッケーも、そういう手応えを感じた中で挑める『北京』だからこそ、より「メダル」を意識するということですよね?
|森本 : 意識します。絶対に獲りたい。
|橋本 :ちなみに女子ホッケー代表の平均年齢ってどのくらいなんですか?
|森本 : 27才ですね。4年前にやっていた選手がそのまま今回の代表にあがっている感じなので少し高くなっているんですけど、その分、組織力っていう部分でも間違いなく、アップしている、と思いますし。もちろん、プラスもあればマイナスもあるけど、出来るだけプラスの部分を活かして戦っていければと思っています。
|橋本 :森本さんは最年長選手でしたっけ?
|森本 : いや、キャプテンをしている人が最年長で37才です。
|橋本 :といっても、キャリアを考えれば森本さんも「自分が引っ張っていこう!」的な意識も強いんですか?
|森本 : いや、私だけではなく今回の代表は30才代が6人いますからね。みんなでチームを引っ張っているような感じですから。それも今回のチームの強みであるとも思います。
|橋本 :なんか聞いているだけでメダルを期待しちゃうな~。といってもあまりプレッシャーをかけてもいけませんよね(笑)。とにかく頑張ってきてください。サッカー同様、注目していますから!
|森本 : ありがとうございます。
text by/misa takamura
森本さかえ/プロフィール
1977年1月20日生まれ。奈良県出身。天理高校時代にホッケーをはじめ、天理大学に進学。卒業後の99年にゴールドウィンに入社し日本リーグ、社会人、全日本、そして国体の四冠を獲得するなど強豪として名を馳せたが、00年12月に休部。それに伴い01年、天理大学に移籍。天理大学職員として在籍し、同大学の社会人ホッケーチームの選手兼コーチとしてプレーを続けている。またリーグの合間を縫って05年9月にはスペインリーグ『オレンセ』に日本人選手として初めてレンタル移籍を実現した。
代表歴は大学2年時に初めて日本代表(現さくらジャパン)入り。04年にはアテネ五輪に出場し、8位入賞に貢献。世界のトップ10プレーヤーにも選出された。以降、05年の『第4回東アジア競技大会』の金メダル獲得をはじめ、07年には『第6回アジアカップ』で優勝するなど、目覚ましい成績を残しながら成長を続ける女子ホッケー界にあって、必要不可欠な存在として活躍を続けている。ポジションはFW。165センチ、63キロ。