橋本英郎公式サイト「絆」
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vol.13 森本さかえ(ホッケー女子日本代表)

橋本 :そもそも、森本さんは、なんでホッケーという競技を選んだのですか?子供の時からホッケー一筋?
森本 : いや、小学校の時は水泳をやっていたし、中学では陸上部で高飛びをやっていましたから。ホッケーは高校に入ってからですね。同じクラスになった友だちがホッケーをしていて、誘われたんです。

橋本 :個人スポーツから団体スポーツに移行するのは抵抗はなかったですか?っていうか、小中と個人スポーツをしていたのは、自分が個人スポーツ向きだと思っていたから、ではなくて?
森本 : 特に個人競技がいい、というよりは、たまたまだったと思いますよ。実際、ホッケーをやり始めたらすぐにのめり込んでいったし(笑)。1年生の時に、先輩がインターハイに優勝したんですけど、それがまたすごく格好よくて。自分はメンバーにも入っていなかったんですけど、そうやって優勝している先輩の姿を見て、自分も!って思うようになった。しかも、結構成績が良かったので、それも自分のホッケー熱に拍車をかけたのかも。
橋本 :成績はどれくらいまでいったんですか?
森本 : 私の1つ上の先輩の時はインターハイ3位と、国体3位。自分たちの代は春の選抜が2位、インターハイが4位かな。国体は1回戦負けでしたけど。
橋本 :インターハイに出ることは…チーム数を考えても難しいんですか?競技によって各都道府県のチーム数も全然違うと思うのですが。
森本 : 私の出身の奈良県にはホッケー部のある学校が6校しかなかったので、そこは断トツで勝ち抜けたんですけど、各府県の出場校数が少ないことから、県で勝っても『近畿で3チーム』という枠を更に争わなければいけなかったんですよね。しかも、その近畿大会を勝ち抜くことが、県予選を勝ち抜くより、何倍も難しくて。特に近畿の高校ホッケーのレベル自体がすごく高かったから…だって、私たちが2年の時のインターハイは、1位が滋賀、2位が京都、3位が奈良の高校でしたからね。要は近畿大会で全国の優勝を争うような感じでした。

橋本 :それはハイレベルですね!森本さん自身は初心者だったのに、そういう強豪校でプレーしていても、ホッケーをやりだしてすぐに楽しいと思えたんですか?最初はついていくのも大変だったのでは?
森本 : 私の場合、何せ、負けず嫌いですから(笑)。だから、最初は自分だけ出来ないっていうことがすごく悔しくて。ただ、うまくボール操作とかができるようになりたい一心で、朝練習を始め、必死になって練習をしました。しかも、さっき言ったように先輩たちがすごく強かっただけに、試合に出してもらおうと思ったら、相当、頑張らないといけなかったし。ただ、2つ上のインターハイで優勝した先輩たちが抜けて1つ上の代になったときは、コーチに恵まれて、すごく丁寧にいろんなことを教えてもらったんですよね。そのおかげで、試合にも使ってもらえるようになったら、どんどんホッケーが面白くなり、はまっていきました。さっきも言ったように、もともとの性格がすごく負けず嫌いだったことが良かったとは思いますけど(笑)。
橋本 :目標はやっぱり、日本代表って感じだったんですか?
森本 : まずは、そうかな…。私が高校生の頃はオリンピックにも出ていなかったし、日本代表としてアジア大会に出たら結構、いいところにいっている、っていう感じだったので、まずはそこが目標でした。
橋本 :そう思うようになったのは、いつくらいですか?ホッケーを始めてすぐ?

森本 : いや、これもまた私の負けず嫌いな話になるんですけど(笑)、最初はそんなに意識していなかったんですよ。でも、高校3年生時の春の選抜で2位になった時に、その大会から優秀選手とかがユース代表(U-18日本代表)の選考会に行けることになっていて。私のチームからも5人くらい選ばれたんですけど、私は選ばれなくて。もちろん、選ばれた選手はみんな巧いのは分かっているんですけど、自分も選ばれたかったな、って思うと…すごく悔しかった。そこから火がついたというか。「ああ、実は私も日本代表になりたかったんや」っていう自分にも気がついた(笑)。代表を意識するようになったのは、その時からです。
橋本 :ユース代表にはなれなかったけど、日本代表になったのは早かったですよね。
森本 : 大学2年の時ですね。
橋本 :当時、学生が日本代表になるっていうのは珍しくなかったんですか?今のサッカー界では、五輪代表ならまだしも、大学生が日本代表になることは殆どあり得ない話ですからね…。
森本 : 当時の女子ホッケー代表は大学生がメインだったので、そんなに珍しくないかも知れないですね。というのも、ホッケーの場合、社会人として続けても、2~3年で辞めてしまうっていうのが珍しくはなくて。そういう意味では大学生の時に代表になって、社会人になって26才くらいで引退するのが普通でしたから。
橋本 :さっき最年長が37才って話していましたけど、って考えると、最近は少し引退する選手の平均年齢も上がって来たっていうことになりますよね?
森本 : そうですね。日本代表では私は上から2番目なんですけど、さっきも言ったみたいに30代の選手も結構増えたので。
橋本 :自分の気持ちとしては、今、最低でも何才までは選手でいたいっていう風に考えることはありますか?

森本 : 毎回、私はオリンピックを基準にしていますからね。まずは、オリンピックが終わるまで、みたいな感じで短いスパンでしか先のことは考えていないんですよ。ただ、正直に言うと、ホッケーは長くやっていても、そんなにメリットがないというか…やっていることでお金が発生する訳でもないし、環境的に考えても続けていくのがすごく難しいですしね。だからどこかで自分で区切りをつけなきゃいけないとは思うんですけどね。
橋本 :その『どこか』っていうのは身体が動かなくなるっていうことだけではなく?
森本 : そうですね。ただその基準は人それぞれですから。私の中ではまだそこまで考えていないというか…ただ、日本代表としてプレーするのは今回の北京で終わりかな、って思ってプレーしていますけどね。
橋本 :森本さんの今の年齢が31才だから、4年たっても、まだ35才。最年長の人が37才で今回出場するんですから、まだ次のオリンピックも狙えるじゃないですか!っていうか、要はハートというか、気持ちを持ち続けられるかが、問題だとは思いますけど。そう言えば、うちのチームの最年長、GK松代(直樹)さんに聞いたことがありますよ。「ここまで来たら、最後はハートだ」と。あと、素直に話したいことを話せる同世代の仲間が減っていく寂しさもあるので、それに耐えられるかだ、と(笑)。だから気持ちが大事なんだ、って。
森本 : おっしゃっていること、よ~く分かりますよ。本当に最後は気持ちだと思いますから。

text by/misa takamura

森本さかえ/プロフィール
1977年1月20日生まれ。奈良県出身。天理高校時代にホッケーをはじめ、天理大学に進学。卒業後の99年にゴールドウィンに入社し日本リーグ、社会人、全日本、そして国体の四冠を獲得するなど強豪として名を馳せたが、00年12月に休部。それに伴い01年、天理大学に移籍。天理大学職員として在籍し、同大学の社会人ホッケーチームの選手兼コーチとしてプレーを続けている。またリーグの合間を縫って05年9月にはスペインリーグ『オレンセ』に日本人選手として初めてレンタル移籍を実現した。
代表歴は大学2年時に初めて日本代表(現さくらジャパン)入り。04年にはアテネ五輪に出場し、8位入賞に貢献。世界のトップ10プレーヤーにも選出された。以降、05年の『第4回東アジア競技大会』の金メダル獲得をはじめ、07年には『第6回アジアカップ』で優勝するなど、目覚ましい成績を残しながら成長を続ける女子ホッケー界にあって、必要不可欠な存在として活躍を続けている。ポジションはFW。165センチ、63キロ。