橋本英郎公式サイト「絆」
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vol.11 橋上秀樹(楽天一軍ヘッドコーチ)

橋本 :00年に阪神に在籍された後、引退されましたが、引退後のことって野球界は結構、面倒を見てくれるんですか?コーチになる人も多いみたいですけど…。
橋上 : いや、面倒を見てくれるっていうことはないね。最近は、野球界もいわゆるセカンドキャリアみたいなところにだいぶ力を入れるようにはなってきたけど、まだまだな感じはある。ただ、僕個人の意見としては、そこまでプロ野球界が見なくてもいいんじゃないかっていう気もしているんです。野球をやめた後の人生まで、プロ野球界が心配する必要はないというか…そこは自分でなんとかするしかないだろうって思うんですけどね。要は、引退なんて突然やってくる選手は少ない訳で、自分なりにそろそろ引退が見えてきたなって感じれば、ある程度、その次の人生に備えることの必要性にも自分で気づくべきだというか。サッカーはどうなの?
橋本 :サッカーの場合も最近はセカンドキャリアというか、仕事斡旋みたいなことはやっているみたいですけどね。ただ、サッカーはわずか2~3年でクビになる選手もいますから。長くやって引退した選手はともかく、そこに対するサポートは僕も必要なんじゃないかと思っているんですけどね。

橋上 : 確かに、社会人としての教育が終っていない年齢の選手に関しては…セカンドキャリアっていか教育の一貫として、社会勉強をさせることは必要かも知れないけどね。ただ、一方で、そうやって会社を紹介されて、受身で仕事を始めても長続きしないんじゃないか、っていう風にも思う。プロ野球選手になっている選手は、殆どが、それまで野球しかやってこなかったような選手で、僕も実際そうなんだけど、だからと言って、引かれたレールの上にはずっと乗っかれない訳で。それなら自分で苦労して、自分なりに出来ることを見つけて努力する道を選ぶ方が長続きするような気もするし。セカンドキャリアといっても、ただ会社に放り込めばいいっていうことではないと思うからね。
橋本 :実際にはどういう仕事をしている人が多いんですか?飲食業も多いって聞きますけど。
橋上 : 居酒屋さんとか、店を持つ人は多いよね。手っ取り早いというのもあるんだろうけど。でも、野球に比べるとサッカーの方が引退年齢は早そうだよね。橋本くんも引退後の将来を考えたりすることもあるの?
橋本 :いや、僕はもう少し現役を頑張りたいなと思っているんですけどね。自分なりに、まだ伸びていると信じているので(笑)。橋上さんは現役生活はトータルで何年になるんでしたっけ?
橋上 : 17年ですね。
橋本 :すごいな…僕なんてそれに比べるとまだまだヒヨッ子ですよ。
橋上 : 最後はちょっとずつ身体が動かなくなりながらも、そこをどうごまかして乗り越えていくかっていうところの戦いだったけどね(笑)。
橋本 :僕なんか、既にそろそろごまかし始めていますけどね(笑)。
橋上 : 野球はうまく体力の衰えをカバーできる手段があるというか。でも、サッカーはやっぱり動けなきゃいけないですからね。そういう意味では運動の質が決定的に違うとは思うし、実際に野球はそんなに体力的に充実していなくてもある程度、しっかりとした技術があれば誤摩化せる部分も大いにありますから。そのへんがサッカーより野球選手の方が長く現役生活を送れる理由の1つじゃないかな。ちなみに、野球では平均30~35歳、ピッチャーは28~33歳くらいがピークというか。そのくらいの年が、経験も積んできて肉体的にも一番いい状態だし、メンタル的にも落ち着いてきて、いろんな意味で一番安定してくる時期なんですよね。投げているピッチャーや受けているキャッチャーとか、対戦する相手のバッテリーが自分より年下が増えてくると、気持ち的にも優位に戦えたりもするし。
橋本 :あ~。分かりますね。
橋上 : なんていうか、勝手な考えだけど「ちょっと向こうが遠慮するだろう」って思うんだよね(笑)。
橋本 :野球って、1年に何回も同じ相手と試合をするじゃないですか?そのデータっていうのはある程度、考えながらプレーするものなんですか?
橋上 : 少なくとも、キャッチャーは打席に立ったバッターのデータを大概、覚えているよね。
橋本 :キャッチャーがやっぱり一番そういうデータ的なことを一番考えるんだ…。

橋上 : そうだね。もちろん、ピッチャーでも結果が出た球っていうのは覚えていたりもするし、それを活かして、同じ相手がバッターになった際は「今回は違う球でいこう」とかっていうことを考えたりもする。という心理があるからこそ、打席に立った際は、逆に相手ピッチャーの心理を読んで狙いにいったりするんだけど、そしたら意外に相手が考えていなかったっていうことも大いにある(笑)。
橋本 :そういう数字というか、データがすごく活かされる感覚というのは、野球とサッカーとの決定的な違いですよね。
橋上 : 野球には考える間があるからね。サッカーなんて考える間もないスピードで動いて行くスポーツだから、それは違って当然なのかも知れない。
橋本 :野球には考える間があるのに、考えられない…頭を使えない選手もいたりするんですか?
橋上 : いますね。でもそういう選手は結果的にはやっぱり長く現役をやれていない。その場、その場で、考えずに直感的に勝負した方が結果がでることももちろんあるだろうけど…さっき言ったみたいに、考えていると思って勝負にいったら、相手が全く考えていなかったっていうこともあり得る訳だから(笑)。でも長い目で見た時に考えないで野球をしている選手っていうのは、続かないと思う。
橋本 :采配を振るう方の立場として、代打とか、選手を起用する時にも、ある程度、データというのは活かされるんですか?
橋上 : 個のデータはもちろん、対戦成績とか、こういう場面ではどうだとか、っていう部分の確率はやはり活かされるよね。そこにその日,その日の調子というのをプラスして、じゃあ、この選手でいこう、っていうのを決める時もあるし。
橋本 :そういうのって基本は監督が決めるんですよね?
橋上 : そうだね。
橋本 :その考えが橋上さんの考える采配とずれることもあるんですか?
橋上 : 正直、あるよ。もともと野村監督はあまり動かない人で…でも、今は動くチームが多いということもあって、たまに僕も動きたくなるんだけど。でも僕は根拠なく動きたくなる感じだけど、監督は根拠があって動かない訳だから。その違いは大きい。
橋本 :根拠があって動かないって、すごいですね。

橋上 : それは監督の経験なり、監督としての勘もあるし。トータルした力が働かなければ出来ないと思う。そこは「さすがだな」と勉強になることは多いですよ。
橋本 :なんか、すごい話ですね。僕も今日の対談で勉強になることがすごく多かったです。いい時間になりました。
橋上 : 大したこと話してないような気がするけど、また機会があったら仙台にも遊びに来てよ。っていうか、いまベガルタ仙台はJ1にいないから、遠征で来る機会はないんですよね?
橋本 :そうなんですよ。でも楽天イーグルスのスタジアムの雰囲気もいいと聞いているので、一度見に行きたいなとは思っているんですけどね。
橋上 : 確かに、球場自体は今、一番いいんじゃないかなって思うよ。考えて作られているなって思うし、僕らはあまり使う機会がないけど、売店とかも楽しいらしいし、トイレもきれいらしい(笑)。是非、一度いらしてください。
橋本 :ありがとうございます。またその時はよろしくお願いします。今日は本当にありがとうございました。ガンバの試合もまた時間があれば是非、見に来てください。

text by/misa takamura

橋上秀樹/プロフィール
1965年11月4日生まれ。千葉県出身。東京都の安田学園を卒業後、ドラフト3位でヤクルトスワローズに捕手として入団。3度のリーグ優勝に貢献した。97年に日本ハムファイターズに移籍し、99年までプレー。00年に阪神タイガースでプレーした後、引退した。現役時代の成績は543試合出場。810打数215安打。17本塁打、86打点、28盗塁。
 05年、東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍守備走塁コーチに就任し、シーズン途中に一軍守備走塁コーチに昇格。06年に恩師でもある野村克也氏が監督に就任すると、その補佐役として存在感を発揮し、07年にはヘッドコーチに昇格した。今季も野村監督の右腕として手腕を発揮している。

vol.10 橋上秀樹(楽天一軍ヘッドコーチ)

橋本 :ヘッドコーチという仕事は具体的に、どんなことをやるんですか?監督の一番近くにいる、相談役のようなイメージを持っているんですけど…実際は?
橋上 : 確かに監督の一番近くにはいる感じだね。で、監督の言っていることを各担当コーチに話をして、選手に浸透させて、あと選手からあがってきた意見をコーチを通じて聞いたりして、それをまとめて監督に話をするみたいな感じ。要は監督と選手、コーチのパイプ役みたいな感じに思ってくれたらいいよ。
橋本 :といっても、下からの意見を全て、監督にぶつける訳じゃないですよね?
橋上 : もちろん。そんなことをしたら大変だ(笑)。
橋本 :っていうことは下から上がってきた意見を橋上さんのところで消化して、必要だと思えることについては監督に伝える、という感じですね。野球って、いろんなセクションにコーチがたくさんいるから、誰がどういう役割をしているのかなぁって思っていたんです。大変ですね…。
橋上 : 大変っていうかストレスはたまりますね(笑)。何より、自分が出来ないことが辛いというか。自分のことならコントロールできるけど、やっぱり選手だとか他の人間をコントロールしていくっていうのはすごく難しいことだと思うし。実際、思い通りにいかないことも多いですよ。
橋本 :ヘッドコーチという仕事はご自身に向いているなって思いますか?

橋上 : 正直、まだ分からないね。今年で4年目に入ったんだけど、未だにその答えは分からない。っていうのも、僕の場合、自分が現役の時に「このコーチがいたから助けられた」とか「このコーチにずいぶん、お世話になった」っていう人があまりいないんですよね。そのせいか、選手にとってどういうコーチがいいコーチなのか。自分がどういうコーチになりたいのか、っていうのがあまり具体的に見えてこない。本来、もう少し現役の時に師と仰げるようなコーチに出会っていれば、自分のコーチ像の理想型みたいなものも持てたかも知れないけど、僕にとってのそういう存在はコーチを飛び越えて、例えば野村さんだったり、っていう『監督』でしたから。だから『監督』については、「監督ってこういうものだな」とか「こういう監督になりたいな」っていうのを思い描けるんだけど、コーチになると、いまいち難しいんですよね。もちろん、自分なりに一生懸命考えてはやっているんだけど、果たしてそれが選手にどれくらい伝わっているのか。力になっているのかは自分では分からないし。そもそも野球には監督やコーチ業にライセンスもないだけに、ある意味、全てが我流なんですけどね。
橋本 :そういう意味では、将来、監督をやりたいなって思っていらっしゃるんですか?
橋上 : 一度やってみたいとは思うね。というか、野村監督と一緒に仕事をさせてもらっていたら、余計に監督っていう仕事への興味が沸いてきたっていう感じかな。
橋本 :野村監督って名将と呼ばれていますけど、どういう部分が名将だなって思いますか?
橋上 : 僕が選手時代にも感じていた監督のすごい部分っていうのは、なんていうか技術的なことというより、考え方というか…野球への取り組みとか、勝負に対する考え方という部分に一番感銘を受けたように思う。例えば、「こうやって打ちなさい」「こうして捕りなさい」っていうことではなく、プロ野球界とか、プロ野球選手として、これで飯を食っていくんだっていうことを、本気で考えさせられたというか…考える必要性を教えられた。その部分での選手のモチベーションをあげるのがすごく巧い監督だと思います。
橋本 :橋上さんが現役時代、あるいは、コーチになってからでもいいんですが、野村監督が言われたことで印象的なこととか、言葉とかってありますか?

橋上 : 現役時代によく言われたのは「一軍でやり続けるためには、自分の特徴を3つ持ちなさい」っていうことでしたよね。野球というのは投げて、打って、走って、守って、っていう単純なスポーツなので、そんなに多くの特徴を持てる訳じゃないんだけど、その中でも例えば、打つとしても作戦の通りにきっちりプレーできる、だとか、相手をやじるのが巧いとか(笑)。何でもいいから自分だけの特徴を3つ見つけなさいということは、よく言われました。これって簡単なようで、すごく難しくて…でもそれを見つけようとすることで、他の選手との差というか、自分の勝負できるプレ?っていうのを自覚できる。っていうことが、さっきも言ったモチベーションを上げるのが巧いということに繋がっていくんですけど、そういう影響はすごく受けましたね。実際、全員が4番打者を目指しても、チームには1人しか4番はいらないわけですから。ただ、4番の争いに負けたからといって、他の道を見出せない、ということではそこで選手生命が終わってしまう。そうじゃなくて、冷静に周りと自分の力を見比べて、自分の居場所、適正をみつけることで、自分自身の生き延びる術を見つけるというか。サッカーもそうだけど、野球も団体スポーツですから。みんなが主役を張れないし、かといって脇役というのが絶対に必要だからこそ、その中で自分が何が出来るか、何を求められているか、何で勝負すればいいのか、っていうことをしっかり考えてやることが、現役を長く続けられる秘訣だとも思います。
橋本 :おっしゃっていることがすごくよく分かります。僕も決して主役を張れる選手ではないだけに、ね(笑)。実際、僕も「自分にできること」「生き延びるために」という部分で自分のできるポジションを1つ増やしたんですけど、なんというか、今1つ迷っているのは、そうしてこのチームだからということで増やした自分の新たなスタイルが、果たして他のチームにいってもあうのかどうかっていう部分なんですよね。これは移籍したいと思っているということではないですよ(笑)。でも、せっかく増やしたポジションといえ、このスタイルでやっていけるチームというのも少ないんじゃないかと思ったりもして…。そうなると、結果的にまた少し変えていかないといけないのかな、っていうようなことを、年をとるにつれて感じるようになったんです。

橋上 : 僕も現役時代に同じようなことを感じたことがありましたね。ヤクルトで13年間プレーした中では、自分なりに「ここが足りないな」とか「ここでなら、生きれるな。このポジションなら生きれないな」っていうことを感じながらプレーしてきて。でも…97年に日本ハムに移籍したんだけど、移籍したらしたでまた求められるものも変わってくる、と。その時に悩んだりもしたんだけど、結果的に思ったのは、今まで13年間かけて自分がやってきたことというのをまるっきり変えることは出来ない、と。つまり変えるというよりは、やってきたことに対する肉付けしかできないんですよね。それに、そもそもそのヤクルトでの実績を評価してもらって、日ハムに獲得してもらったんだから、大きな変化を望まれている訳でもないと思ったし。もちろん、それが入団5年目とか若い時なら話は別で、そのくらいの時ならまだいろんな可能性も秘めていただろうし、変われたりもしたんだろうけど、その当時で年齢的には30歳くらいになっていた中では、変える勇気もいるし、抵抗もありましたからね。もちろん、これは僕の考え方で橋本くんもこれをしたら、ということでは決してなく、参考の1つになれば、ということで話をさせてもらっているんだけど…。
橋本 :ありがとうございます。でも僕も橋上さんと同じで、やっぱり自分なりのベースは置いておきたいなっていう気がしているんですよね。移籍するとなっても、新しい自分を期待して、というよりは、それまでの僕を見て獲得してくれる訳だろうから、っていう風にも思いますし。といいながら、この先、一切、移籍の話なんか、ないかも知れないんですけど(笑)。

text by/misa takamura

橋上秀樹/プロフィール
1965年11月4日生まれ。千葉県出身。東京都の安田学園を卒業後、ドラフト3位でヤクルトスワローズに捕手として入団。3度のリーグ優勝に貢献した。97年に日本ハムファイターズに移籍し、99年までプレー。00年に阪神タイガースでプレーした後、引退した。現役時代の成績は543試合出場。810打数215安打。17本塁打、86打点、28盗塁。
 05年、東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍守備走塁コーチに就任し、シーズン途中に一軍守備走塁コーチに昇格。06年に恩師でもある野村克也氏が監督に就任すると、その補佐役として存在感を発揮し、07年にはヘッドコーチに昇格した。今季も野村監督の右腕として手腕を発揮している。

vol.9 橋上秀樹(楽天一軍ヘッドコーチ)

橋上 : さっきの下部組織の話に戻るけど、ガンバユースで育った選手は基本的に、ガンバでしかプロになれないの?
橋本 :基本はそうですね。クラブ側がトップチームに昇格させようと思っている選手については、他のクラブに交渉権はないですから。ただ、トップチームが欲しいと言わなかった選手については、他のクラブに行けたりもするんですけど。と言っても、現実的に、そういう選手は大学に行ってプレーをしているケースの方が多いと思います。
橋上 : 少数精鋭の争いっていうのは相当厳しいんでしょ?
橋本 :そうですね。僕らの時代は高校に入るタイミングでいい選手の争奪戦が繰り広げられた感じですけど、今は中学生になる時点で争奪戦がありますから。って考えただけでも、いかに狭き門になっているかが分かる。

橋上 : 同級生の息子さんがサッカーをやっているんだけど、その子もプロクラブの下部組織でプレーしていて。話を聞いていたら実際、大変そうだよね。下部組織に所属していても絶対にプロになれる訳じゃないし、毎年プロに昇格させている人数を聞いても厳しいんだろうなって思う。
橋本 :実際、能力のある選手でも、プロの下部組織に入ったことで試合に出られなくなることはよくありますからね。僕らの時代はそこまでじゃなかったけど、今は全体的なレベルがあがって、中学や高校では必ずレギュラーになれるような選手でも、下部組織だと控えに回らざるを得ないというような現実があり、それによって才能が潰れてしまうこともなきにしもあらず、ですから。それでも、下部組織でやることを選ぶのか、試合に出られるチームを選ぶのかっていう部分で、選択もすごく難しいんじゃないかと思います。
橋上 : サッカー人口もすごく増えているから、余計にそうなっていくんだろうね。でも、でも小学生、中学生の時代から、下部組織で育てるっていう発想は僕はすごくいいと思う。プロ野球界にはないシステムだけど。
橋本 :確かに一連の流れの中で選手を育てられるし、チームのスタイルみたいなのも継承されていますからね。特に近年のガンバの場合はその色が出てきたように思います。ただ、その色が…最近は「逞しさが足りない」って言われたりもするんですけど(笑)。
橋上 : 失礼ながら言わせていただくと、ガンバ大阪ってJリーグの発足当時からあったのに、最初は全然強くなかったですよね?
橋本 :確かに、ここ3~4年で強くなった感じですね。05年にやっとリーグ初優勝ができたくらいですから。
橋上 : 強くなった理由としては、そういう下部組織の存在も大きいのですか?
橋本 :その影響はあると思います。あとは時代の流れの中で、僕みたいな選手でも22才くらいから…まだ若くて、他のチームなら出場機会がないのにな、っていう時代から使ってもらえたのが大きかった。というのも、僕らが22歳前後の時に、26~28才くらいの選手が他のチームに移籍して、若手を使わざるを得なくなったというか。それによって、当時の先発メンバーの平均年齢が23歳とか、Jリーグの中でも群を抜いて若くなった。で、そのメンバーでずっと一緒にやってきて、試合経験も積んで、組織力も高まって…という中で05年に優勝できたんですよね。実際、そうやって試合に出始めた頃から「少なくとも25、26歳くらいになった時にタイトルを獲れるチームになっていないとキツいよな」っていう話はみんなでしていたんですけど、幸い、それが実現できたという感じです。これは今の浦和とかにも同じことが言えるというか…実際、日本代表に入っている浦和の選手たちの年齢もみんな、25~27歳くらいの間ですからね。
橋上 : 考えたら、浦和レッズとかだって、昔は応援こそ凄かったけど、全然強くなかったよね。
橋本 :それが今ではJリーグを代表するお金持ちクラブですよ。っていうか、東北楽天ゴールデンイーグルスも経営的には潤っているクラブなんですよね?
橋上 : 資金はあるって聴きますけど、実際に中にいる僕たちは全然分からないなぁ(笑)。

橋本 :毎年の契約交渉ってどんな感じで行われるんですか?野球の場合、数字がしっかりと出るスポーツだし、ある程度細かく規定があるみたいだから、金額というのは実際、想像できる範疇で決まっていくものなのかなぁ、って思っているんですけど。
橋上 : 僕はもう選手じゃないので、今の楽天の契約のこととかは全く分からないけど、自分の現役時代の経験で話をすると、結構、プロ野球の契約はアバウトなところもありますから(笑)。だから僕は絶対に契約交渉の場では自分の考えを言うべきだと思っていました。他の選手のことは、契約に立ち会っている訳じゃないからどんな交渉をしているかは分からないけどね。そう言えば、前から思っていたんだけど、プロ野球に比べてJリーグは試合数が断然少ないよね?
橋本 :リーグ戦は年間34試合ですからね。他にカップ戦とか、ACLとかありますけど…。リーグ戦だけでは野球の4分の1くらいじゃないですか?
橋上 : って考えると、試合を開催することで利益を生むのが難しい世界だよね。
橋本 :そうですね。その試合数だけに、試合を見に下さる観客の方からのお金っていう部分でも限界があるし、その試合数だからこそ、スポンサーの方にサポートしていただける金額も制限がでてくるし。
橋上 : 確かに、試合数が少ない、イコール、メディアへの露出も少ないって考えたら、なかなかスポンサーからもお金を引き出せない。
橋本 :だから毎年契約更改の時も、野球界とのあまりの違いに悲しくなります(笑)。ただ、サッカーはさっきも言ったようにリーグの合間にカップ戦があったり、代表の活動もあったりしますからね。日程的にみても、それ以上の試合を組みにくい状況ではあると思うんですけど。
橋上 : 確かに、サッカー界での日本代表のステイタスは高い感じもするしね。
橋本 :そうですね。プロサッカー界の頂点は、ワールドカップですから。って考えても代表のステイタスは高くなる。
橋上 : 野球の場合は以前までは、そういった世界大会がなかったですからね。最近はようやく日本代表への意識も見られるようになったけど、僕らが現役の時は全くそういう感じではなかったし。

橋本 :だからかなぁ。今の野球の日本代表に対する注目のされ方ってすごいですよね。実際、ピッチャーが巨人の上原で、キャッチャーが阪神の矢野で…って聞いているだけでもワクワクしてくる(笑)。逆にサッカーは、日本代表というのがすっかり当たり前の存在になって、やや新鮮味がなくなってきたような印象も受けますね。サッカーだって、各チームのいい選手が集まってチームを作っていることに変わりはないのに、野球のような「うわっ、そんなチームになるんか!」っていう驚きが減ってきているというか…(笑)。サッカーの日本代表のことも、野球みたいに新鮮に感じてもらえたら嬉しいんですけどね。
橋上 : 日本代表では、アジアやヨーロッパ、アフリカのチームなどと戦っているみたいですけど、差は感じますか?
橋本 :僕も去年、代表に入ったばかりだし、それまでは興味があまりなかったこともあって、本当に傍観者として見ていただけに偉そうなことは言えないんですけど…(笑)。ただ、実際に代表に入って…例えピッチサイドで見ていても、やっぱり差は感じます。例えばカメルーンと対戦した時は試合そのものには勝ったんですけど、内容的には…。正直、相手は移動もあって、時差もあって大変な状況の中で試合をしているのに、日本よりも走れていて。むしろ、僕らの方が勝つには勝ったけど、攻められっぱなし。しかも、カメルーン選手の試合後のコメントは総じて「コンディション不足だった」ですから。あれでコンディション不足なら…と思わざるを得ない。実際に試合をした選手やスタッフは差を実感していて「これはアカンな」っていう感じでしたしね。彼らがしっかりコンディションを作って、W杯とかっていう大きな大会に本気で照準をあわせてきたら…って考えると、まだまだやるべきことは多いなって思います。ただ、ラグビーとかバレー、バスケットとかって明らかに体格の差がものを言う感じはありますけど、サッカーにはそれがないですから。日本代表がカメルーンに勝つこともあるし、去年のJリーグの優勝争いで、優勝候補の浦和が最下位の横浜FCに負けるっていう事態が起きるのがサッカーですからね。戦える余地というか、勝負できないスポーツじゃない、とは思っています。

text by/misa takamura

橋上秀樹/プロフィール
1965年11月4日生まれ。千葉県出身。東京都の安田学園を卒業後、ドラフト3位でヤクルトスワローズに捕手として入団。3度のリーグ優勝に貢献した。97年に日本ハムファイターズに移籍し、99年までプレー。00年に阪神タイガースでプレーした後、引退した。現役時代の成績は543試合出場。810打数215安打。17本塁打、86打点、28盗塁。
 05年、東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍守備走塁コーチに就任し、シーズン途中に一軍守備走塁コーチに昇格。06年に恩師でもある野村克也氏が監督に就任すると、その補佐役として存在感を発揮し、07年にはヘッドコーチに昇格した。今季も野村監督の右腕として手腕を発揮している。

vol.8 橋上秀樹(楽天一軍ヘッドコーチ)

橋本英郎(以下、橋本) : 初めまして。なかなか違うスポーツ界の方とこうしてお話できる機会が少ないので、今回、お会いできるのをとても楽しみにしていました。
橋上秀樹(以下、橋上) : 僕もこうしてプロサッカー選手の方とお食事の席をご一緒させていただくのは、それこそJリーグ発足前の90年前後以来かなぁ。僕がまだ現役の選手としてヤクルトでプレーしていた時代で、武田修宏くんや三浦知良くん、藤川孝行くんとか…要は読売クラブ(現東京V1969)でプレーしていた選手と偶然、店が一緒になったことで知り合って。その後にJリーグも始まったんだけど、彼らの人気は凄かったなぁ。
橋本 :豪華メンバーですね!でも、芸能界でお仕事をされている人たちにJリーグ発足前後の話を聞くと、決まってその人たちの名前が出てきますけど…(笑)。
橋上 :特にJリーグが発足してからの彼らというのは、格好もすごくてね。サッカー選手って今でもオシャレだけど、当時も少年隊ばりの衣装で食事をしに来ていたりした(笑)。ディスコでもよく会ったなぁ。恥ずかしながら、僕らも当時はトレーニングの一貫と称して、踊りまくっていたからね(笑)。今のサッカー選手はそういう遊びはもうしないんでしょ?
橋本 :そうですね。さすがにディスコは…クラブが好きな選手はいますけど。
橋上 :クラブって?女性がいる方の?
橋本 :いや、トレーニングの方です(笑)。
橋上 :サッカーって、試合で遠征した時って何日間くらい、そこに滞在するの?

橋本 :滞在っていうほど、いませんね。だいたい、試合の前日に入って、当日試合して、そのまま帰る感じです。ただナイターで試合がある時は物理的に帰れないので、もう一泊することもあるんですけどね。といっても翌日の朝一番の飛行機では大阪に帰るので、本当に寝て帰るっていうだけですけど。
橋上 :じゃあ遠征先で食事に行ったり、夜更かしするような時間はないんだ。
橋本 :そうですね。あったとしても年に6~7回くらいかなぁ。実際、僕らの場合、ナイターの試合が終わってホテルに戻って、食事をして…ってしていたら、23 時を過ぎていますからね。しかも翌日、朝早いし、時には帰ってそのまま練習になったりすることもあるので、そこから出掛けるっていう気がなかなか起きない。
橋上 :基本的に試合は1週間に1試合なの?
橋本 :だいたいそうですけどカップ戦とか、Jリーグ以外の対外試合が入ってきて、週2回の時もあったりはします。その場合は、水曜日と土曜、水曜日と日曜っていう感じで試合があるので、結構忙しくなる。基本、ホーム戦とアウェイ戦が交互にあるし、間に必ず遠征が入ってきますし。
橋上 :その上、橋本くんは代表選手だから、日本代表の合宿とか試合もあるんだよね?って考えると、結構忙しいよね!それでもやっぱり、サッカー選手にとって日本代表に招集されるのはすごく名誉なことなんでしょ?
橋本 :確かに目標にしている人は多いですね。正直、僕は、あまり目標にしてはいなかったんですけど…。
橋上 :そうなの?!
橋本 :はい。僕はあまり代表に興味がなかったので…っていうのも、自分がプロになった時点で、チームでも試合に出られるかどうか、分からないくらいの力しかなかったから。「とりあえず、1試合でも試合にでたら、プロでプレーしたって言えるよな…」くらいの感覚でプロになりましたし(笑)。実は、僕もいわゆる『黄金世代』と呼ばれる年代にはいるんですけど、同じチームで…例えば稲本潤一とかが代表に選ばれ始めても、その頃僕は、チームでも試合に出ていなかったですからね。住む世界が違うというか…現実的に、代表とかっていうことを思い描けなかった。
橋上 :高校時代はどんな選手だったの?サッカーなら高校選手権も人気があるみたいだけど、出場した?

橋本 :いや、僕はガンバ大阪の下部組織でプレーしていたので、…高校選手権は普通に憧れたりはしましたけど縁はなかったですね。もちろん、クラブチームにも、全国のクラブチームばかりを集めた大会とかはあったんですけど、当時はまだ選手権ほどメジャーじゃなかったし、テレビで取り上げられるようなこともなかったので、あまり知られていなかったと思います。
橋上 :そうなんだね。でもプロの下部組織…高校ならユースチームっていうのかな?そこも、ただ入りたいから、入れるっていうものじゃないんだよね?
橋本 :そうですね。でも僕は中学生の頃からガンバのジュニアユースチームでプレーしていたし、時代的にもユースに上げてもらいやすかった年だったというか…。実際、当時、ジュニアユースの大会で全国のベスト4に勝ち上がったりしていたこともあって、ジュニアユースのAチームでプレーしていた選手…20名くらいいたんですけど、全員ユースチームに昇格できましたからね(笑)。今はそういう訳にはいかなくなって、ジュニアユースも、ユースも各学年10人くらいで、全部で30人くらい。要はトップチームと同じようなチームの作り方をしていますから、かなり少数精鋭になっているみたいですけど。
橋上 :トップチームは今、どこも1チーム30人くらい?
橋本 :そうですね。特にチームが抱える人数に決まりはないし、少ないチームだと25人くらいのところもありますけど、ガンバ大阪の場合はだいたいいつも30人前後です。
橋上 :で、1試合で交代できる人数は3人だよね?登録は?
橋本 :1試合18人です。以前は16人だったんですけど、世界が18人だから、ということで、そこにあわせるということになったらしいです。
橋上 :そういう風に世界基準でいろんなことが統一されていくのはいいことだよね。
橋本 :そう思いますね。ただ、レフェリングの部分はまだまだ海外と日本では違うというか。差を感じますけどね。

橋上 :ボールも世界で統一されていたりするの?野球は、各国で使うボールが違うんだけど。
橋本 :そうなんですか?!ちなみにサッカーもボールは違うんですけどね。野球で、ボールが違うことで起きる一番の変化ってなんですか?
橋上 :バッドにボールが当たった時の弾き方とか全然違うよ。見ていても分かる部分だけど、実際にプレーしている選手はもっと身体で感じていることが多いと思う。サッカーは?
橋本 :重さや特徴が違う分…縫い目の入り方とかによっても、ボールの変化の仕方とかが変わってきますね。でも、ヨーロッパなんてクラブごとにボールが違うらしく…それによって自分たちにより有利な状況を作っているらしいです。Jリーグの場合は、ボールに関しては統一されているんですけど。
橋上 :要はホーム&アウェイの戦いの差をつけるっていうことだよね。サッカーってボールは違わないまでもホーム&アウェイの戦い方は全然、違うって言うでしょ?でも、野球は正直、他の球場でプレーしてもあまり変わらない…って僕は思っているんだけど(笑)。
橋本 :日本も国内リーグはまだまだホーム&アウェイの感覚は低いですけどね。ここ最近は応援してくださるファンの方の力で変わってきたな、というのはありますけど、グラウンドコンディションは結果的に、多少、慣れているかどうかの違いくらいで、お互い同じ条件だし。もう少しホーム戦とアウェイ戦の差を感じられるようになったらいいんですけどね。

text by/misa takamura

橋上秀樹/プロフィール
1965年11月4日生まれ。千葉県出身。東京都の安田学園を卒業後、ドラフト3位でヤクルトスワローズに捕手として入団。3度のリーグ優勝に貢献した。97年に日本ハムファイターズに移籍し、99年までプレー。00年に阪神タイガースでプレーした後、引退した。現役時代の成績は543試合出場。810打数215安打。17本塁打、86打点、28盗塁。
 05年、東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍守備走塁コーチに就任し、シーズン途中に一軍守備走塁コーチに昇格。06年に恩師でもある野村克也氏が監督に就任すると、その補佐役として存在感を発揮し、07年にはヘッドコーチに昇格した。今季も野村監督の右腕として手腕を発揮している。