橋本英郎公式サイト「絆」
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vol.10 橋上秀樹(楽天一軍ヘッドコーチ)

橋本 :ヘッドコーチという仕事は具体的に、どんなことをやるんですか?監督の一番近くにいる、相談役のようなイメージを持っているんですけど…実際は?
橋上 : 確かに監督の一番近くにはいる感じだね。で、監督の言っていることを各担当コーチに話をして、選手に浸透させて、あと選手からあがってきた意見をコーチを通じて聞いたりして、それをまとめて監督に話をするみたいな感じ。要は監督と選手、コーチのパイプ役みたいな感じに思ってくれたらいいよ。
橋本 :といっても、下からの意見を全て、監督にぶつける訳じゃないですよね?
橋上 : もちろん。そんなことをしたら大変だ(笑)。
橋本 :っていうことは下から上がってきた意見を橋上さんのところで消化して、必要だと思えることについては監督に伝える、という感じですね。野球って、いろんなセクションにコーチがたくさんいるから、誰がどういう役割をしているのかなぁって思っていたんです。大変ですね…。
橋上 : 大変っていうかストレスはたまりますね(笑)。何より、自分が出来ないことが辛いというか。自分のことならコントロールできるけど、やっぱり選手だとか他の人間をコントロールしていくっていうのはすごく難しいことだと思うし。実際、思い通りにいかないことも多いですよ。
橋本 :ヘッドコーチという仕事はご自身に向いているなって思いますか?

橋上 : 正直、まだ分からないね。今年で4年目に入ったんだけど、未だにその答えは分からない。っていうのも、僕の場合、自分が現役の時に「このコーチがいたから助けられた」とか「このコーチにずいぶん、お世話になった」っていう人があまりいないんですよね。そのせいか、選手にとってどういうコーチがいいコーチなのか。自分がどういうコーチになりたいのか、っていうのがあまり具体的に見えてこない。本来、もう少し現役の時に師と仰げるようなコーチに出会っていれば、自分のコーチ像の理想型みたいなものも持てたかも知れないけど、僕にとってのそういう存在はコーチを飛び越えて、例えば野村さんだったり、っていう『監督』でしたから。だから『監督』については、「監督ってこういうものだな」とか「こういう監督になりたいな」っていうのを思い描けるんだけど、コーチになると、いまいち難しいんですよね。もちろん、自分なりに一生懸命考えてはやっているんだけど、果たしてそれが選手にどれくらい伝わっているのか。力になっているのかは自分では分からないし。そもそも野球には監督やコーチ業にライセンスもないだけに、ある意味、全てが我流なんですけどね。
橋本 :そういう意味では、将来、監督をやりたいなって思っていらっしゃるんですか?
橋上 : 一度やってみたいとは思うね。というか、野村監督と一緒に仕事をさせてもらっていたら、余計に監督っていう仕事への興味が沸いてきたっていう感じかな。
橋本 :野村監督って名将と呼ばれていますけど、どういう部分が名将だなって思いますか?
橋上 : 僕が選手時代にも感じていた監督のすごい部分っていうのは、なんていうか技術的なことというより、考え方というか…野球への取り組みとか、勝負に対する考え方という部分に一番感銘を受けたように思う。例えば、「こうやって打ちなさい」「こうして捕りなさい」っていうことではなく、プロ野球界とか、プロ野球選手として、これで飯を食っていくんだっていうことを、本気で考えさせられたというか…考える必要性を教えられた。その部分での選手のモチベーションをあげるのがすごく巧い監督だと思います。
橋本 :橋上さんが現役時代、あるいは、コーチになってからでもいいんですが、野村監督が言われたことで印象的なこととか、言葉とかってありますか?

橋上 : 現役時代によく言われたのは「一軍でやり続けるためには、自分の特徴を3つ持ちなさい」っていうことでしたよね。野球というのは投げて、打って、走って、守って、っていう単純なスポーツなので、そんなに多くの特徴を持てる訳じゃないんだけど、その中でも例えば、打つとしても作戦の通りにきっちりプレーできる、だとか、相手をやじるのが巧いとか(笑)。何でもいいから自分だけの特徴を3つ見つけなさいということは、よく言われました。これって簡単なようで、すごく難しくて…でもそれを見つけようとすることで、他の選手との差というか、自分の勝負できるプレ?っていうのを自覚できる。っていうことが、さっきも言ったモチベーションを上げるのが巧いということに繋がっていくんですけど、そういう影響はすごく受けましたね。実際、全員が4番打者を目指しても、チームには1人しか4番はいらないわけですから。ただ、4番の争いに負けたからといって、他の道を見出せない、ということではそこで選手生命が終わってしまう。そうじゃなくて、冷静に周りと自分の力を見比べて、自分の居場所、適正をみつけることで、自分自身の生き延びる術を見つけるというか。サッカーもそうだけど、野球も団体スポーツですから。みんなが主役を張れないし、かといって脇役というのが絶対に必要だからこそ、その中で自分が何が出来るか、何を求められているか、何で勝負すればいいのか、っていうことをしっかり考えてやることが、現役を長く続けられる秘訣だとも思います。
橋本 :おっしゃっていることがすごくよく分かります。僕も決して主役を張れる選手ではないだけに、ね(笑)。実際、僕も「自分にできること」「生き延びるために」という部分で自分のできるポジションを1つ増やしたんですけど、なんというか、今1つ迷っているのは、そうしてこのチームだからということで増やした自分の新たなスタイルが、果たして他のチームにいってもあうのかどうかっていう部分なんですよね。これは移籍したいと思っているということではないですよ(笑)。でも、せっかく増やしたポジションといえ、このスタイルでやっていけるチームというのも少ないんじゃないかと思ったりもして…。そうなると、結果的にまた少し変えていかないといけないのかな、っていうようなことを、年をとるにつれて感じるようになったんです。

橋上 : 僕も現役時代に同じようなことを感じたことがありましたね。ヤクルトで13年間プレーした中では、自分なりに「ここが足りないな」とか「ここでなら、生きれるな。このポジションなら生きれないな」っていうことを感じながらプレーしてきて。でも…97年に日本ハムに移籍したんだけど、移籍したらしたでまた求められるものも変わってくる、と。その時に悩んだりもしたんだけど、結果的に思ったのは、今まで13年間かけて自分がやってきたことというのをまるっきり変えることは出来ない、と。つまり変えるというよりは、やってきたことに対する肉付けしかできないんですよね。それに、そもそもそのヤクルトでの実績を評価してもらって、日ハムに獲得してもらったんだから、大きな変化を望まれている訳でもないと思ったし。もちろん、それが入団5年目とか若い時なら話は別で、そのくらいの時ならまだいろんな可能性も秘めていただろうし、変われたりもしたんだろうけど、その当時で年齢的には30歳くらいになっていた中では、変える勇気もいるし、抵抗もありましたからね。もちろん、これは僕の考え方で橋本くんもこれをしたら、ということでは決してなく、参考の1つになれば、ということで話をさせてもらっているんだけど…。
橋本 :ありがとうございます。でも僕も橋上さんと同じで、やっぱり自分なりのベースは置いておきたいなっていう気がしているんですよね。移籍するとなっても、新しい自分を期待して、というよりは、それまでの僕を見て獲得してくれる訳だろうから、っていう風にも思いますし。といいながら、この先、一切、移籍の話なんか、ないかも知れないんですけど(笑)。

text by/misa takamura

橋上秀樹/プロフィール
1965年11月4日生まれ。千葉県出身。東京都の安田学園を卒業後、ドラフト3位でヤクルトスワローズに捕手として入団。3度のリーグ優勝に貢献した。97年に日本ハムファイターズに移籍し、99年までプレー。00年に阪神タイガースでプレーした後、引退した。現役時代の成績は543試合出場。810打数215安打。17本塁打、86打点、28盗塁。
 05年、東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍守備走塁コーチに就任し、シーズン途中に一軍守備走塁コーチに昇格。06年に恩師でもある野村克也氏が監督に就任すると、その補佐役として存在感を発揮し、07年にはヘッドコーチに昇格した。今季も野村監督の右腕として手腕を発揮している。