橋本英郎公式サイト「絆」
FRIENDS

vol.7 河野亮(楽天野球団)

河野 :今の話じゃないけど、橋本さんはまさに『守備に定評がある』選手ですよね(笑)?と、僕は思っていたんだけど、最初に話したうちの会社にいる橋本さんのファンの子に「橋本さんってどんなプレーヤーなの?」って聞いたら「なんでも出来るんです」って言っていて…何でも出来るんですか(笑)?!野球で言えば、ピッチャーも出来て、キャッチャーも出来るの?って聞いたら「そういうタイプです」って言うから、それはすごいな、と(笑)。
橋本 :キーパーは無理ですけどね(笑)。要するに…器用貧乏みたいなものですよ。最近は、そのことで逆に困っているというか(笑)。どこでも出来ると思われているせいか、逆に、ここ、っていうポジションがなかったりするので。
河野 :優勝した年はボランチっていう印象が強かったですけどね。
橋本 :05年は比較的ボランチで定着していましたからね。ただ、それ以降は、結構いろんなポジションを漂流しています(笑)。
河野 :ボランチって楽しいんですか?

橋本 :そうですね。僕はそこが一番自分にあっているかな、っていう風には感じていますね。変な言い方ですけど、やっていて一番、疲れないんです。しんどくない。これは他のポジションをやったからこそ気づいたことでもあるんですが、やっぱり疲れ度合いが違うっていうのを改めて実感しましたね。それもあって「ああ、自分が一番あっているのはボランチだな」と。同じ守備といっても全然違いますからね。ボランチ以外をやる時は、サイドをすることが多いんですけど、イコール、ランニングプレーヤーみたいな感じで上下に長い距離を走らなければいけない。だけど、ボランチは基本的に短い距離をバスケットのようにずっと動いている感じですから。要は持久系と短距離系っていうくらいの違いがあるので、それによって自分のキツさも大いに変わってくる(笑)。今年に関してはだいぶ…両方いけるようにはなってきましたけど、でも…ね(笑)。
河野 :この前、宮崎で12球団のファームチームプラス、アイランドリーグっていう四国リーグの選抜チームと、韓国のナショナルチームの4番がいる斗山ベアーズっていうチームの14チームでフェニックス・リーグという教育リーグを3週間、14試合やったんですよ。その時に斗山ベアーズの監督が言っていたんですけど、そういう試合の時は若い選手にはシーズン中とは別のポジションをやらせることが多いそうなんです。そうすると、いつも自分のポジションでやっている時の、得意なプレーとか、いいところが出せなかったり、逆に思いもよらなかったりすることが出来たりもして…野球というのはどうしてもマンネリ化していくスポーツでもあるので、そういう感覚的なものを一度変えることも大事だっていう風に考えていらっしゃるみたいなんですよね。それを聞いて僕はすごく納得したんですけど、それと同じで、橋本さんの場合も違うポジションをやることの良さ、プラス材料も絶対にあると思いますよ。
橋本 :確かにそれは言えていますね。実際、他のポジションをやったからこそ見えてくることって必ずありますから。ちなみに、そこにいた選手たちっていうのはいくつくらいの選手でした?
河野 :うちの場合、基本メンバーは25才以下で考えていますね。大卒で2年目くらいが基本かな。今年はちょっと人数が足りなかった関係で28才くらいの選手もいたりしたんですけどね。
橋本 :やっぱり、野球の年齢的な感覚はサッカーとは違うのかなぁ。というのも、僕は今、28才で来年で29才になるんです。で、そろそろベテラングループに入れられそうな感じで…チームの中で、今年で中堅は終わりみたいな、雰囲気があるんですよ(笑)。ただ野球だと僕らの年齢はまだまだ若手と見てもらえるというか…前に、阪神の野球の…橋本健太郎さんと食事をする機会があって。僕より1才下の選手なんですけど、食事した翌日に新聞を見ていたら『期待の若手』と書かれていた(笑)。で、うらやましいなと思った記憶があります(笑)。
河野 :へぇ。そういう違いがあるんだね(笑)。ところで、育成の参考にさせてもらいたいんだけど、橋本さんはこれまでのキャリアの中でいい指導者に巡り会えたなっていう風に感じていますか?
橋本 :そうですね。僕の場合、中学、高校、プロと…しかも学年ごとに監督やコーチが変わるという珍しい状況ではあったんですけど、それが逆に僕にとっては新鮮だったし、そうやっていろんな人に…例えば体育会系のスパルタ的な指導者もいれば、サッカー協会にも行っていたような科学的に指導してくれる指導者もいたり、代表の監督をしていた指導者もいたりしたんですけど…そういったいろんな人に教えてもらったのは良かったのかなっていうのは、今になって思います。
河野 :いい指導者に巡り会えることってすごく選手にとって大事なことですよね。もちろん、それは選手側が一方的に願っても実現しないもので、その時の運というか巡り合わせみたいなものもあるんだろうけど。
橋本 :確かに、運は大きいですね。僕の場合、プロに入ってからも最初は全然、試合にも出られなくて…っていうか、ずっとサテライトだったんですよね。ひどい時は3人で練習していたこともあったりして(笑)。ただ、ある年にその3人のうちの2人が戦力外になって、僕一人になったことで、トップと一緒に練習をさせてもらうようになって。というか、チーム全体が新しいシーズンを迎えて仕切り直し、的な雰囲気があったんですけどね。その時に、たまたまカップ戦で出場チャンスをもらったら点が獲れて(笑)。そこから少しずつ使ってもらえるようにはなったんですけど、その監督も次の年の半年間でやめてしまって。その後、新しく来た監督には最初使ってもらえなかったんですけど…っていうのも、同期に稲本潤一が同じポジションでいましたから。当然、彼が優先的に使われる分、僕は彼がケガなどで出られない時だけ試合に出れるっていう感じだったんです。そしたら、稲本が21才の時にアーセナルに移籍して、ポジションがあいて。そこを誰がやるかっていうのでやりくりする中で試合に出れるようにはなった。でも、チームとしての結果が出ずに監督が交代になり…今の西野監督が来たんですが、西野監督にはある程度、コンスタントに使ってもらえるようになった、と。って考えると、僕は結構、運で進んできているなって思うんですよね。稲本がずっといたら、ずっと出れなかっただろうし…今もここにいないかもしれません(笑)。

河野 :とはいえ、その時々で橋本さんなりに我慢もして切り抜けた時期もあっただろうから、正確にはやっぱり運だけでもないんでしょうけどね。今の立場で選手をみていても、やっぱり指導者、コーチのアドバイスに対してうまく吸収、消化が出来る選手っていうのは大成するというか。言われていることに対して「関係ないや」ではなくて、もちろん全部は納得できないかも知れないけど、選択肢の1つとして考えられる選手っていうのは、後にいい選手になっていく。そういえば、最初に、ハワイ・ウインターリーグに行って来たっていう話をしたじゃないですか?これは20~21才くらいの有望な若い選手を集めて2ヶ月間の日程で行われる教育リーグなんですけどね。今回、そこのチームにうちの選手3名を派遣していたんですよ…過去にはブレイク前のイチロー選手や小久保裕紀選手なんかも参加して首位打者を獲ったりしたんですけどね。で、そのうちの選手が所属したチームの監督を、アメリカのアトランタ・ブレーブスでマイナーの監督を20年くらいやっている人が、バッティングコーチをヤンキースのAAで監督をやっている人がやっていたんですけど、その人たちといろいろ話をしていたら、「さすがにここに来る選手は所属しているチームの教える型が出来ているし、いい選手ばかりで悪送球なんかは絶対にしない。ただ、ここから彼らがよくなるかどうかは、野球に対する姿勢次第だ」って言うんですよね。いかに、野球に真摯に向き合えるか、と。その言葉も深いなと思ったんだけど、そこに来ていた選手に、すごく下手な選手が一人いて(笑)。ただ、彼は…ショートを守っていたんだけど、常に守りの時は全力で走っていってポジションにつくし、帰ってくる時も選手の中で1番最初に、全力で帰ってくる。ずっと声も絶やさないしね。で、その監督、コーチたちの話を聞いていたこともあって、その選手にも話を聞いてみたいな、と思って練習後に話したら、お父さんがAAAまでいった選手らしくて。そのお父さんに彼はいつも『ピート・ローズやエクスタイン選手を見習え』と言われていたそうなんだ。ピート・ローズはシンシナチ・レッズのスーパースターで、エクスタイン選手は何年か前に優勝したアナハイム・エンゼルスのショートを守っていた選手なんだけど、とにかく野球に対して一生懸命だった、と。ただ彼はこうも言ったんだよね。「僕は親父に言われたから、そうしているんじゃない。僕は野球を尊敬している。だから一生懸命野球をやるんだ」と。で、なぜ、野球を尊敬しているんだ?って聞いたら「野球は一生懸命やっていると、必ず良いことがもたらされるからだ」と。野球は裏切らない、という答えが返って来た。なんか、メジャーはいろんな意味で歴史があるし、深いなって思った出来事だったよ。
橋本 :いい話ですよね…本当にその通りですよね。僕もサッカーに対して真摯でなければいけないなって思いますね…。ただメジャーと日本のプロ野球を比べても亮さんが差を感じるように、日本での野球とサッカーを比べても、野球は歴史が深いなって思いますよ。もちろん、サッカーもヨーロッパとか、国技と言えるくらいにまでなっている国に行けばそんな感じだと思うんですけど、日本はまだ遅れていますからね。日本も日本のシステムを作ろうとしているようには感じるし、その中で歴史を作っていっているようにも思いますけど、まだまだ国技と呼ぶにはほど遠いものがありますから。それにしても、すごく楽しい話をありがとうございました。っていうか、まだまだ聞きたいことはいっぱいあるんですけど、時間ですよね…残念です。
河野 :僕もすごく貴重な時間になりました。どうもありがとう。また橋本さんの話も、うちの若手選手にさせてもらいます(笑)。
橋本 :ありがとうございました。またどこかでお会いできたら嬉しいです!

text by/misa takamura

河野亮/プロフィール
1971年5月3日生まれ。ヤクルトスワローズ、福岡ダイエーホークス、中日ドラゴンズ、オリックス・ブルーウェーブでプレーした後、某スポーツ用品販売店でのサラリーマン生活を経て、05年に株式会社楽天野球団に入社。東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍総務を経て、現在は、チーム統括本部 編成部 ファームディレクターを務める。

vol.6 河野亮(楽天野球団)

橋本 :って聞けば聞くほど、聞きたいことが増えていく感じなんですけど、今日は現役を引退するタイミングについても聞いてみたいなと思っていて。実際にプロでプレーしていた人に直にそういう話を聞けるタイミングってあまりないので。亮さんの中で引退を決めた理由みたいなのはあるんですか?

河野 :現役をやっている時から僕の中で決めていたことがあって。『自分の目標として、30才になった時点でレギュラーになれなかったら、とりあえずそこで自分の中でそれでも野球を続けるか、社会に出ようかを考えよう』ということなんですけどね。結果的に、01年に…ちょうど30才でオリックスから戦力外通告を受けたんだけど、その時にどうしようか、って考えて…その時は、西武へのトレードの話とか、イタリアのチームから声を掛けてもらっていたり、っていうことがあったんですけどね。ちょうど10月に、そのイタリアのセリエAのチームからオファーを貰ったりはしていたんだけどアメリカのメジャーリーグそのものがチーム数を削減するだとか、っていう話が持ち上がっていたタイミングだったりして、結局、12月まで「テストを受けにこい」っていう話が来なかった。で、その時に、今、ソフトバンクで1軍のヘッドコーチをしている秋山幸二さんに「実は就職も1つ決まってはいるんですけど、イタリア移籍をどう思いますか?」って相談をしたら、「イタリアのプロ野球なんて、先がないから野球をやめろ」ってあっさり言われて(笑)。その言葉でなんとなく自分でも踏ん切りがついて、じゃあ、引退しよう、と切り替えた。といっても、その時点で既に就職を考えて履歴書を各社に送ったりもしていて(笑)。戦力外通告を受けた際に縁のあるいろんな会社の人が声を掛けてくれていたりはしたんですけど、とりあえず自分の力でやってみようと思っていたんですよね。で、結局、11社受けて、 10社受かって、その中から決めたんですけどね。
橋本 :すごいですね。就職活動とかも初めてですよね?戸惑いとかなかったですか?
河野 :そんなことも言っていられなかったしね(笑)。それにずっとプロ野球界しか知らなかった訳だから、サラリーマンとして社会に出て、始発に乗って会社に行ったり、帰りが終電になったり、っていう大変さみたいなものも肌で感じなきゃいけないな…っていうことを、ある意味、楽しみに感じていた部分もありましたから(笑)。で、実際、3年間、普通にサラリーマンとして働いて、その後、楽天から声を掛けていただいたので、いいタイミングだな、と思って入った、と。
橋本 :すごい話ですね…僕もいずれ、そういう時期が来ると思うので(笑)、参考になります。で、サラリーマンの後は、楽天が出来たタイミングで入社したんですか?
河野 :そうなりますね。だから入った時はまだ何も組織ができていなくて。田尾安志さんが監督に決まって、コーチ陣のだいたいの振り分けが決まったくらいで、それ以外は何も、決まっていないような状態でした(笑)。
橋本 :で、今はどんな感じなんですか?
河野 :もちろん、それぞれがそれぞれの場所で頑張っている中で球団としても、良くはなっていると思いますよ。ただ、野球界って結構、選手が引退して、即、監督やコーチになることが多いですからね。そのせいか、僕も含めてどうしても組織だって話をしたり、順序良く上にもっていくっていう能力が、いろんな意味で足りないなって思うことはあります。
橋本 :野村克也監督はフロントの運営にも口を出されたりするんですか?
河野 :いや、されないですね。もちろん、コーチングスタッフをこうしてくれ、とかっていう話はありますけど、直接、フロント側に言うことは一切ないです。もちろん、あれだけのキャリアがある人ですから。逆に何かがある時は球団代表が野村監督にもちゃんと話をしながら進めて、っていうことはあります。
橋本 :会ったことはないんですけど、ああ見えて実は細かい人だったりしますか?
河野 :いや、そんなことはないですよ(笑)。ただ、大事なことを後から聞いたりしたら、聞いてないよっていう話には当然なりますよね。それは2軍の監督も同じだし、監督をされる人はみんなそうだと思いますけど…そのへんをしっかりやっていれば、やりやすい監督だと思いますよ。実際、僕は1軍で何かがおきた時にはフロントとチームの間に入ってそれを聞いて、フロントスタッフやファームの首脳陣に伝える役目をしたりもしているんですけど、やりづらさは感じていないですね。
橋本 :他にはどんな仕事をされているんですか?最初におっしゃっていたディレクターとしての仕事が気になります。
河野 :今、主にやっているのが、若い選手で将来、1軍に行きそうな選手の特別な育成というか…今年は4人ピックアップして、2軍戦では優先的に起用したりっていうことをしていますね。これは最初にも話した、アメリカのマイナーリーグではすでに導入されていることなんですけどね。
橋本 :他のチームではまだ取り入れられていないんですか?
河野 :そういう風に、意図的にいい選手を使おうと思っているんだなっていうのは、どのチームも分かりますけどね。ただ、うちは更に踏み込んでというか…その選手の報告書みたいなものを毎月作って、例えば、右バッターの選手なら、左ピッチャーに対しての打率がどうだとか、140キロ以上のストレートに強いとか、変化球に強いとか、っていうことが具体的に分かる数字を出して、2軍監督に話をして、指導法や起用方法を再検討してもらったり。「いまはこんな風に教えているけど、もう少しこういう部分で修正が必要じゃないか」などといった話をしたりもしています。
橋本 :なんかすごい話ですね。やっぱりそういう数字的なものは野球ではすごく大事に考えられるんですよね?

河野 :そうですね。そういえば、日本でもヒルマン監督が日本に来た際に日本ハムがそれを導入した様に思いますね。ダルビッシュ投手もそうだったんですけど、段階的にイニング数を増やしていくっていうことをやっていて、確か1年目が5勝、2年目が12勝でしたからね。成果が出ていましたけど、あれもヤンキースの育成システムを持って来たんじゃないかなぁ。ヤンキースでピッチャーをやろうと思ったら、コンスタントにストライクが65%以上入らないとメジャーには上がれないそうですよ。実際、うちも今年は、確か2軍でもピッチャー全員が65%前後のストライク率だったと思います。ただ、インディアンスは70%だからもっと高いんですけどね(笑)。
橋本 :そういう数字的なもので比べると日本のピッチャーはどうなんですか?
河野 :日本の投手は正直、そこまで、なかなか到達しない投手が多いですね。
橋本 :じゃあ日本からボストンレッドソックスに行った松坂大輔さんとか、海外に移籍するピッチャーというのは、基本的にその数字を優にクリアしている人なんですね?
河野 :間違いなくクリアしていますね。松坂以外にもそうやって…日本から獲ろうとしているような選手がいるじゃないですか?そういう選手は間違いなく彼らの数字をちゃんと知っているはずですよ。
橋本 :ピッチャーに関してはそうやって分かりやすいですけど、内野手や外野手についてはどんな風に評価するんですか?
河野 :スローイングの正確性とか、そういう部分での数字を出しますよ。ただ、基本的にはバッティングですからね。バッティングでの数字が重視されています。
橋本 :じゃあ極端な話、守備が出来なくても打てればいい(笑)?
河野 :まあ、そうですね。打てる選手は守れるポジションを探してもらえたりもしますから。それに日本の場合、パ・リーグにはDH(注:designated hitterの略。指名打者の意)がありますからね。
橋本 :確かに、そう言われてみると、サッカーみたいに『守備に定評がある』っていう選手がいたとしても、野球の場合はイメージが沸きにくいですよね。だって変な話、プロ野球ではみんな守備の時にミスをしないというか…ボールが飛んで来てエラーをするっていう確率がすごく少ないように思う(笑)。
河野 :確かにそうですね。ただ、テレビでは分かりづらいかもしれないけど、実際に球場にいってずっと見ていると、例えば「あ~今の打球は●●選手だったら獲れていたのにな」っていうシーンは多々、目にしますけどね。エラーにはなっていないけど、ヒットになっているというか。巧い選手っていうのは、ヒットにさせないっていう感覚がありますから。例えば、交流戦って05年から始まったんですけど、当時のうちの第1戦の相手がジャイアンツで。試合を見ていたら、やっぱりジャイアンツの仁志敏久選手は巧かった。守備位置を動かしたりしていても、飛んでくる前に動いて、さばいてる。あっと思ったボールでもだいたい正面で捕れていますからね。
橋本 :へえ~。僕は結構野球を見ている方だと思うんですけど、そうやって聞いていると全然分かってないですね(笑)。そういう見方が全くできていなかったです。実際、ぼっ~と野球を見ていたら、ピッチャーが投げた瞬間には、獲る人の方に眼がいっているじゃないですか?でもって、その間の動きっていうのは全く見えてない…っていうか、見たことがありませんでした(笑)。じゃあ、そういう守備がうまい選手っていうのはどういう部分で長けているんですか?
河野 :やっぱり球種とかキャッチャーのサインとか、ピッチャーとバッターのタイミングの取り方とかを、しっかり見ているんだと思いますよ。それと経験ですね。第六感。ただ、僕もサッカーは好きで良く見ていますけど、実際、分からないことが多いのと一緒じゃないかな(笑)。ただ…これは僕の持論なんですけど、野球でもサッカーでも、いい選手っていうのは下半身が柔らかいと思うんですよね。実際、下半身が柔らかい選手って疲労度も、ケガをする頻度も違うと思いますし。特にプロのように長丁場のシーズンを戦う上では、そういう部分が活かされるように思うんですけど、どうですか?
橋本 :なるほど…下半身の柔らかさがカギですね。明日から意識してみます(笑)。

text by/misa takamura

河野亮/プロフィール
1971年5月3日生まれ。ヤクルトスワローズ、福岡ダイエーホークス、中日ドラゴンズ、オリックス・ブルーウェーブでプレーした後、某スポーツ用品販売店でのサラリーマン生活を経て、05年に株式会社楽天野球団に入社。東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍総務を経て、現在は、チーム統括本部 編成部 ファームディレクターを務める。

vol.5 河野亮(楽天野球団)

橋本英郎(以下、橋本) : 今日は遠いところをありがとうございます。お会いできて嬉しいです。
河野亮(以下、河野) : こちらこそ、現役サッカー選手と話せる機会をもらって喜んでいるんですよ。うちの会社にも橋本さんのファンがいたりして、会社を出てくる際はうらやましがられました(笑)。
橋本 :ありがとうございます。亮さんは、楽天に入られて、何年目ですか?
河野 :05年に入社したから、ちょうど3年目です。最初は二軍の総務の仕事をやっていたんですが、去年の途中から球団として育成に力を入れようということで、ファームディレクターという仕事をしています。これはアメリカのメジャーリーグにはあるポストの1つで、メジャーではマイナーリーグディレクターと呼ばれているんですけど、要は若い選手の育成だとか2軍の監督、コーチ、選手の評価をする仕事で。楽天でも、それに習って同じようなポストを作ろうということになった際、元選手でやった方がいいだろう、ということもあり、僕がやらせてもらうことになったんです。
橋本 :じゃあ、アメリカとかにも結構、偵察に行ったりするんですか?
河野 :ちょうど、10~11月にもハワイ・ウインターリーグに行っていきましたよ。
橋本 :へぇ~っ!で、基本はメジャーの試合ということより、育成リーグみたいなところを中心に見て回る、と?
河野 :その通り、その通り。基本的にシーズン中はずっとファームチームについているんですけど、ちょうどシーズンが終わった時期を狙って、向こうに行っていました。

橋本 :そのファームチームの仕組みも、おそらくJリーグとは全然違いますよね。しかも歴史としては野球の方が断然長いということを踏まえても、今少しお話させてもらっただけで、野球界にかなり興味がわいています(笑)。ファームって今、何チームあるんでした?
河野 :イースタンリーグは7球団ですね。うち、ジャイアンツ、日ハム、横浜ベイスターズの2軍の湘南シーレックス、ヤクルト,ロッテ、西武。で、ウエスタンリーグは5球団でやっているんですけどね。中日、阪神、オリックス、広島、ソフトバンクです。
橋本 :楽天の選手は今、全部で何人いるんですか?
河野 :今年は65人でしたね。
橋本 :サッカーでいえば2チームくらい出来る感じの人数ですね…ちょうどサッカーは30~35名くらいが平均だと思うので。そのうち1軍登録は何人されるんですか?
河野 :28人です。そのうち、ピッチャーが13人を占めているんですけど、ピッチャーを何人置いておくかはチームによってまちまちです。でも13人は多い方だと思いますよ。監督の起用法とかにもよるんですけどね。
橋本 :28人のうち、ベンチには何人、入れるんでしたっけ?
河野 :25人です。だから外れる3人はピッチャーが多いです。
橋本 :下世話な話ですけど…25人全員に勝利給が貰えるんですか(笑)?!
河野 :そうですね。ただ、割合的にはピッチャーが一番多いですね。その次がキャッチャーで、その次が決勝弾を打ったバッターかな…そういう基準は基本的に決められているので、試合ごとにあてはめていく感じです。
橋本 :ただ、最終的に勝ち越さないと貰えないとかっていう決まりがあるんですよね?
河野 :よく知っていますね(笑)。そのラインもチームによって違うんですけどね。僕が現役時代にダイエーでプレーしていた際は、王監督の計らいもあって、1つ負け越しまでは払うとか…そんな感じでしたよ。うちは勝率に関係なく出してくれていますが。
橋本 :今年は結構勝ったから…良かったですね(笑)。まーくん(田中将大選手)の活躍もあって、観客動員も増えたみたいだし…。ガンバでもたまに話題にのぼるんですよ…ほら、早稲田に行った斎藤佑樹選手と、まーくんとではどちらがいい選手か、みたいな話で。僕たちの勝手な意見を言わせてもらうと(笑)、まーくんは高校野球ではああいう形では負けたけどプロ野球で通用するタイプで、将来的に考えても、斎藤選手よりは全然ポテンシャルが上ではないか、と。…どうですか?この見方は(笑)?
河野 :どっちがどうだという明言は出来ないけど(笑)、田中はいい選手だと思いますよ。
橋本 :斎藤くんはプロに行けそうなんですか?
河野 :まだ卒業が先なので何とも言えないけど、球速自体はやっぱりしっかりしたものを持っていると思いますね。あれで身体が出来ていけば、プロ野球選手には必ずなれるとは思います。
橋本 :例えば、高校時代はいまいちの選手が、大学に4年間行ったことでプロとして通用するようになった、ということも多いんですか?
河野 :そういう選手はいっぱいいますよ。実際、そうやって大学で伸びそうな選手は、高校を卒業して大学に行くようになってからも、スカウト陣はずっとチェックしていますしね。
橋本 :上原浩治(読売ジャイアンツ)はそのタイプだったんですよね?東海大付属仰星高校時代はそんなに目立たなかったのに、大阪体育大学に進学してから頭角を現したとか…。
河野 :詳しいですね(笑)。まさにその通りですよ。
橋本 :野球選手の場合、引退する人の平均年齢は何才くらいなんですか?
河野 :26才~27才ですね。
橋本 :え?!もっと上かと思っていました?!ある意味、衝撃です…。ほら、野球って、入団してきた選手を簡単に切らない、というイメージがあったので…。だから1選手の在籍期間がもっと長いイメージがあって。
河野 :まぁ、高卒でプロになった選手はだいたいですけど、最低でも5年くらいは成長過程を重視しながら見ますけどね。ちなみにサッカー選手の引退平均年齢は、いくつくらい?
橋本 :Jリーグでの平均は確か、同じく26才なんです。おそらく21、22才でクビになる選手と30才くらいで引退する選手との間で、ちょうど25、26才なんだと思うんですけど。実際、25、26才でやめる選手は少ないですからね。そこまでやれた選手は逆に30才とかまでやっていますし。ただ30才前後になって、ケガだったり、行くチームがなくなったりして辞めていく、と。そのヤマも乗り越えた選手は一気にもっと長くやっていますけどね(笑)。

河野 :なるほどね。僕は今の立場になってから、30才になった選手には伝えていることがあって。ほら、ちょうどそのくらいの年齢の時って、ファームだと試合にも出られなくなっていくタイミングというか…どうしても、2打席立ったら若い選手が交代して出場したり、っていう感じになっていきますからね。だから、 30才を迎えた選手には「試合の時は監督になったつもりで、自分だったらこうするな、とかっていう風に頭の中で采配をふるって見たらいいんじゃないか」と。で、「逆に練習の時は、自分がコーチだったらこういう練習をこの選手にさせるな、とか、っていう風にやっていったらいいんじゃないか」ということを伝えていて。そうして違う見方をしておくことも、将来的に指導者になって行く上で助けにもなるだろうし、自分を見つめ直すいい機会にもなるだろうからね。
橋本 :なるほど。やっぱり選手を終えた後は指導者に、っていう人は多いんですか?
河野 :そうですね。
橋本 :ただ、確か、野球界ってプロになった選手は高校生を教えられないんですよね?
河野 :はい。といっても、ずっとダメだということではなくて、例えば、学校の先生になった人は教壇に3年立ってからなら高校野球の監督として教えていいんですよ。ただ、ここ数年の間に、現役の野球選手によるシンポジウムで『夢の向こうに』っていうのが出来て。その中ではプロ選手が高校生を教えたりしていますけどね。結局、プロが高校生を教えることそのものが、スカウト活動の一貫にとられたらいけない、ということもあって、そういう規定があるんですけどね。
橋本 :そこらへんはサッカーとは全然違いますね。サッカー界では引退してすぐに学校のコーチとかをしている選手もたくさんいるし。ただ、プロの監督になろうと思ったら資格がいるから、結局、選手を終えてすぐにJリーグの監督になるっていうのは出来ませんけどね。今、楽天には30才を超えてプレーしている選手は何人くらいいるんですか?
河野 :今年は10人くらいかな。
橋本 :確かに、全体数を考えたら、そんなに多くないですよね。65人のうち10人くらいなら、サッカーだと半分だから、1チーム5人という計算になる。で、今年のガンバの30代選手は確か5人くらいだったもんな…そのへんは、サッカーも野球もあまり変わらないということなんですね。驚きました。

text by/misa takamura

河野亮/プロフィール
1971年5月3日生まれ。ヤクルトスワローズ、福岡ダイエーホークス、中日ドラゴンズ、オリックス・ブルーウェーブでプレーした後、某スポーツ用品販売店でのサラリーマン生活を経て、05年に株式会社楽天野球団に入社。東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍総務を経て、現在は、チーム統括本部 編成部 ファームディレクターを務める。