橋本英郎公式サイト「絆」
FRIENDS

vol.8 橋上秀樹(楽天一軍ヘッドコーチ)

橋本英郎(以下、橋本) : 初めまして。なかなか違うスポーツ界の方とこうしてお話できる機会が少ないので、今回、お会いできるのをとても楽しみにしていました。
橋上秀樹(以下、橋上) : 僕もこうしてプロサッカー選手の方とお食事の席をご一緒させていただくのは、それこそJリーグ発足前の90年前後以来かなぁ。僕がまだ現役の選手としてヤクルトでプレーしていた時代で、武田修宏くんや三浦知良くん、藤川孝行くんとか…要は読売クラブ(現東京V1969)でプレーしていた選手と偶然、店が一緒になったことで知り合って。その後にJリーグも始まったんだけど、彼らの人気は凄かったなぁ。
橋本 :豪華メンバーですね!でも、芸能界でお仕事をされている人たちにJリーグ発足前後の話を聞くと、決まってその人たちの名前が出てきますけど…(笑)。
橋上 :特にJリーグが発足してからの彼らというのは、格好もすごくてね。サッカー選手って今でもオシャレだけど、当時も少年隊ばりの衣装で食事をしに来ていたりした(笑)。ディスコでもよく会ったなぁ。恥ずかしながら、僕らも当時はトレーニングの一貫と称して、踊りまくっていたからね(笑)。今のサッカー選手はそういう遊びはもうしないんでしょ?
橋本 :そうですね。さすがにディスコは…クラブが好きな選手はいますけど。
橋上 :クラブって?女性がいる方の?
橋本 :いや、トレーニングの方です(笑)。
橋上 :サッカーって、試合で遠征した時って何日間くらい、そこに滞在するの?

橋本 :滞在っていうほど、いませんね。だいたい、試合の前日に入って、当日試合して、そのまま帰る感じです。ただナイターで試合がある時は物理的に帰れないので、もう一泊することもあるんですけどね。といっても翌日の朝一番の飛行機では大阪に帰るので、本当に寝て帰るっていうだけですけど。
橋上 :じゃあ遠征先で食事に行ったり、夜更かしするような時間はないんだ。
橋本 :そうですね。あったとしても年に6~7回くらいかなぁ。実際、僕らの場合、ナイターの試合が終わってホテルに戻って、食事をして…ってしていたら、23 時を過ぎていますからね。しかも翌日、朝早いし、時には帰ってそのまま練習になったりすることもあるので、そこから出掛けるっていう気がなかなか起きない。
橋上 :基本的に試合は1週間に1試合なの?
橋本 :だいたいそうですけどカップ戦とか、Jリーグ以外の対外試合が入ってきて、週2回の時もあったりはします。その場合は、水曜日と土曜、水曜日と日曜っていう感じで試合があるので、結構忙しくなる。基本、ホーム戦とアウェイ戦が交互にあるし、間に必ず遠征が入ってきますし。
橋上 :その上、橋本くんは代表選手だから、日本代表の合宿とか試合もあるんだよね?って考えると、結構忙しいよね!それでもやっぱり、サッカー選手にとって日本代表に招集されるのはすごく名誉なことなんでしょ?
橋本 :確かに目標にしている人は多いですね。正直、僕は、あまり目標にしてはいなかったんですけど…。
橋上 :そうなの?!
橋本 :はい。僕はあまり代表に興味がなかったので…っていうのも、自分がプロになった時点で、チームでも試合に出られるかどうか、分からないくらいの力しかなかったから。「とりあえず、1試合でも試合にでたら、プロでプレーしたって言えるよな…」くらいの感覚でプロになりましたし(笑)。実は、僕もいわゆる『黄金世代』と呼ばれる年代にはいるんですけど、同じチームで…例えば稲本潤一とかが代表に選ばれ始めても、その頃僕は、チームでも試合に出ていなかったですからね。住む世界が違うというか…現実的に、代表とかっていうことを思い描けなかった。
橋上 :高校時代はどんな選手だったの?サッカーなら高校選手権も人気があるみたいだけど、出場した?

橋本 :いや、僕はガンバ大阪の下部組織でプレーしていたので、…高校選手権は普通に憧れたりはしましたけど縁はなかったですね。もちろん、クラブチームにも、全国のクラブチームばかりを集めた大会とかはあったんですけど、当時はまだ選手権ほどメジャーじゃなかったし、テレビで取り上げられるようなこともなかったので、あまり知られていなかったと思います。
橋上 :そうなんだね。でもプロの下部組織…高校ならユースチームっていうのかな?そこも、ただ入りたいから、入れるっていうものじゃないんだよね?
橋本 :そうですね。でも僕は中学生の頃からガンバのジュニアユースチームでプレーしていたし、時代的にもユースに上げてもらいやすかった年だったというか…。実際、当時、ジュニアユースの大会で全国のベスト4に勝ち上がったりしていたこともあって、ジュニアユースのAチームでプレーしていた選手…20名くらいいたんですけど、全員ユースチームに昇格できましたからね(笑)。今はそういう訳にはいかなくなって、ジュニアユースも、ユースも各学年10人くらいで、全部で30人くらい。要はトップチームと同じようなチームの作り方をしていますから、かなり少数精鋭になっているみたいですけど。
橋上 :トップチームは今、どこも1チーム30人くらい?
橋本 :そうですね。特にチームが抱える人数に決まりはないし、少ないチームだと25人くらいのところもありますけど、ガンバ大阪の場合はだいたいいつも30人前後です。
橋上 :で、1試合で交代できる人数は3人だよね?登録は?
橋本 :1試合18人です。以前は16人だったんですけど、世界が18人だから、ということで、そこにあわせるということになったらしいです。
橋上 :そういう風に世界基準でいろんなことが統一されていくのはいいことだよね。
橋本 :そう思いますね。ただ、レフェリングの部分はまだまだ海外と日本では違うというか。差を感じますけどね。

橋上 :ボールも世界で統一されていたりするの?野球は、各国で使うボールが違うんだけど。
橋本 :そうなんですか?!ちなみにサッカーもボールは違うんですけどね。野球で、ボールが違うことで起きる一番の変化ってなんですか?
橋上 :バッドにボールが当たった時の弾き方とか全然違うよ。見ていても分かる部分だけど、実際にプレーしている選手はもっと身体で感じていることが多いと思う。サッカーは?
橋本 :重さや特徴が違う分…縫い目の入り方とかによっても、ボールの変化の仕方とかが変わってきますね。でも、ヨーロッパなんてクラブごとにボールが違うらしく…それによって自分たちにより有利な状況を作っているらしいです。Jリーグの場合は、ボールに関しては統一されているんですけど。
橋上 :要はホーム&アウェイの戦いの差をつけるっていうことだよね。サッカーってボールは違わないまでもホーム&アウェイの戦い方は全然、違うって言うでしょ?でも、野球は正直、他の球場でプレーしてもあまり変わらない…って僕は思っているんだけど(笑)。
橋本 :日本も国内リーグはまだまだホーム&アウェイの感覚は低いですけどね。ここ最近は応援してくださるファンの方の力で変わってきたな、というのはありますけど、グラウンドコンディションは結果的に、多少、慣れているかどうかの違いくらいで、お互い同じ条件だし。もう少しホーム戦とアウェイ戦の差を感じられるようになったらいいんですけどね。

text by/misa takamura

橋上秀樹/プロフィール
1965年11月4日生まれ。千葉県出身。東京都の安田学園を卒業後、ドラフト3位でヤクルトスワローズに捕手として入団。3度のリーグ優勝に貢献した。97年に日本ハムファイターズに移籍し、99年までプレー。00年に阪神タイガースでプレーした後、引退した。現役時代の成績は543試合出場。810打数215安打。17本塁打、86打点、28盗塁。
 05年、東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍守備走塁コーチに就任し、シーズン途中に一軍守備走塁コーチに昇格。06年に恩師でもある野村克也氏が監督に就任すると、その補佐役として存在感を発揮し、07年にはヘッドコーチに昇格した。今季も野村監督の右腕として手腕を発揮している。