橋本英郎公式サイト「絆」
FRIENDS

vol.16 朴一(パク・イル/大阪市立大学)

橋本 :大学在学中から、先生はサッカーにもかなり詳しかったですし、それ以外の世界の知識もたくさん持っていらっしゃっただけに、僕としてはかなり心強い人生の師でした。先生とサッカーのつながりは…なんでしたっけ?前にも聞いたかも知れないですけど。

: 僕はもともと韓国代表の応援から入ったというか。1966年、僕が10才の時に、北朝鮮代表がW杯のイングランド大会に出場して、イタリアに1-0で勝って予選を突破したんよね。で、アジア勢としては初めて、決勝トーナメントに出場しポルトガルと対戦した。その試合はラスト10分まで3-0で勝っていたのに、ラスト5分でエグゼビオ一人に5点も決められて、3-5で逆転負けをしたんやけど、その映像をあるところで見たんよね。その時に、かなり興奮してね(笑)。それがきっかけと言えばきっかけかなぁ。残念ながら、その後、北朝鮮は政治的な状況もあって国際試合から追放されて出場できなくなったけど、一方で韓国が力をつけてきたからね。というか、もともと韓国人はサッカーに対してかなり熱が高かったというか。実際、日本の朝鮮学校も、昔からレベルが高かった。僕が若かった頃は特に、朝鮮高級学校は本当に強くて同じ年代には戦える相手がいなくてね。普通の学校と試合をしても全然相手にならないというレベルやったから、実業団と試合をしていたよ。実際、今のJリーガーに結構朝鮮学校出身者がいるのもそういう背景もあってのことやからね。
橋本 :川崎の鄭大世(チョン・テセ)とかもそうですよね。
: そうそう。鄭大世くんを始め、最近は本当に活躍している人が増えた。しかも何が凄いかと言えば、朝鮮高級学校って、例えば、日本の強豪高校みたいに全国からセレクションで選手を集めるのではなく、ごく普通に、地域の在日朝鮮人が練習によってあそこまで育てられるということ。あれは一体、なんでやろうな?っていうのは今でも疑問やわ。指導者がいいのか、何なのか…。
橋本 :そういう話も大学に通っている時代から結構しましたよね?でも一番盛り上がったのは、やっぱり2002年の日韓共催のW杯の時かなぁ。僕が4回生の時で…ゼミでもいろんな話をした記憶がある。
: そうやね。あの時はまだハシモも日本代表ではなかったし、まさか後に代表になるなんて夢にも思わなかったけどね。いずれガンバのレギュラーに定着すればいいなとは思っていたし、実際にそうなったのは良かったけど、ホンマに日本代表になった時にはビックリした。日本代表に入る前に、スポーツ新聞で「橋本、代表入りか?!」みたいな記事を読んだ時も、「まぁ、無理やろうな」と思っていたから(笑)。ごめんな(笑)。
橋本 :大丈夫です。僕自身もそう思っていましたから(笑)。

: だから、本当に選ばれた時はゼミのみんなもビックリしていたし、かなりみんなで喜んだ。ただ、その後が問題で。今度は代表で果たして試合に出られるのか、というのが気になってね。ハシモが選ばれて以来、日本代表の試合も殆どテレビで見ているけど、なかなかハシモは出場機会がなく…ハシモがどれだけ胃が痛い思いをしているのかな、と。しかも、せっかくしっかりコンディションを整えて、遠い海外にまで行っても、その間ずっとベンチウォーマー…っていう言い方は失礼だけど、そういう状況で一体どんな気持ちでいるのか、と思ってね。というように、見ている僕らでさえ、それだけ複雑に思うんやから、ハシモはもっといろんな思いがあったと思うけどね。
橋本 :確かに、アジアカップの時は期間も長かったし、複雑というか…自分を維持するのがいろんな意味で難しかったりもしましたけどね。ただ、これは強がりではなく代表に行くことで学べることはたくさんありますから。もちろん試合に出るに越したことはないけど、そうじゃなかったとしても、全く無駄だった、ということは絶対にない。それは自分がチームで戦う上での力にもなっていますしね。
: そう言えば、韓国との試合で初めて先発出場したでしょ?あれは、僕としてはかなり複雑やったわ(笑)。
橋本 :去年の東アジア大会ですね。
: まさか、先発するとは思っていなかったから、先発に名前があった時は本当にビックリした。しかも、僕はいつもなら韓国を応援するんだけど、相手にもハシモが出ているから困ってね(笑)。もし、日本が負けたらハシモはまた次、出られなくなるかも知れないし…っていうのでとにかく引き分けを祈りながら、非常に辛い立場で見ていたよ(笑)。
橋本 :そしたら先生の理想通りじゃないですか(笑)。ほんまに1-1で引き分けたし。先制されていたけど、僕が交代する10分くらい前に、山瀬功治(横浜 FM)のゴールで追いついた。
: 確かにそうやね(笑)。ただ残念やったのは、あの試合での1シーンで、ハシモがシュートを打てる状態ではあったけれども、自分では打たずにわざと中村憲剛くん(川崎F)にパスを流して、それを彼が外したシーンがあったでしょ?
橋本 :ああ!ありましたね。確か憲剛が、ポストに当てた。
: そうそう。あれがもしポストに嫌われずに決まっていたら、ハシモはそのまま使われていたような気がする…どうやろか?
橋本 :それはあるかもしれないですね。っていうか完全に僕を中心に試合を見てくれているのが嬉しいです(笑)。

: それはしょうがないでしょう(笑)。自分のファンを中心に見るのがファン心理ですから。でも、サッカーのいいところは、そうやって在日の人が、日本のチームで活躍したり、いろんな国の人が同じチームメイトとして戦ったり、対戦できることよね。もちろん、代表選手として時にライバルになることもあるけど、チームに戻れば仲間だったりするわけで。そういう単なるナショナリズムだけでは計り知れない人間ドラマがある。これはサッカーだけじゃなくてスポーツ全般に言えることでもあるけどね。日本と韓国との歴史ということを考えても、李忠成くん(柏)が韓国人やのに日本に帰化したり、韓国籍の鄭大世くんが北朝鮮代表として戦っていたり。ああいうのを見ると、新しい時代が来たな、とも思うしね。そういう意味でもサッカーは面白いし、奥が深い。
橋本 :今年はJリーグにアジア枠も出来たこともあって、韓国人選手がJリーグの舞台でも更にたくさんプレーするようになりましたからね。
: そうよね。アジア枠が出来たことは日本にとって良かったのか悪かったのか、微妙でもあるけどね。実力派の韓国人選手の殆どが日本に来たことで、出場機会の減る選手もいるしね。実際ガンバにも今年、2人の韓国人選手が入ったけど、彼らが試合に出ることで播戸(竜二)くんとか、出られくなってしまった選手もいるからね。ただ、まぁそれは、競争の世界やからね。いいプレーをしてポジションを掴めばいいし、そうやって競い合うことはガンバにとってもレベルアップに繋がっていくとは思う。そういう中で、ハシモが変わらずポジションを掴んでいることも嬉しいしね。
橋本 :まだ僕も、掴んだとは思っていないですけどね(笑)。結果的に、西野朗監督になってからはほぼコンスタントに試合に出してもらっていますけど、僕だって、いつポジションがなくなるか…っていう思いでいますから。だから僕も本当にウカウカしていられない。だから、いつポジションがなくなってもおかしくない、っていう気持ちで常にやっていますよ。
: ハシモの場合はやっぱり、西野監督に能力を認めてもらったことが大きかったでしょ?この世界、どれだけ能力があっても監督に見出されなければ結果も残せないわけで…。野球のイチロー選手だって、仰木彬監督の前の土井正三監督時代には、まったく使ってもらえなかったからね。ところが監督が交代して見出された。そういうケースは珍しくないし、ハシモの今があるのも西野監督との出会いが大きかったんだと思う。
橋本 :それはありますね。実際、西野監督になってからある程度、試合にもコンスタントに出してもらえるようになったし、代表にも選ばれた。その代表でもオシムさんとの出会いは大きかったですしね。そうやって考えると人の縁だとか、巡り合わせって人生を左右する大きな要素の1つやなって思う。

: オシムさんに見出されたのは凄いことよね。僕はサッカー素人ですけど、オシムさんは凄く玄人好みの選手を好む監督だという風に思っていて。いろんな経験を積まれてきた方だし、サッカーに関しても独自の鋭い指導論を持った方だと思うんだけど、そのオシムさんに、ハシモの地味で目立たない、でもプロ中のプロ、というようなプレーを理解してもらえたというのは、すごく嬉しかった。だって、ハシモのプレーってあまり目立たないからね。テレビで観ていただけじゃあ、なかなか視聴者の目には入りにくいというか(笑)。でもそういう仕事をするハシモをしっかり観ていてくれた訳ですから。それに、監督に見出されても、やっぱり人間やから、あう、合わないはある中で、ハシモが"あう"人に巡り会えたのも幸せやと思うなぁ。そういう意味では、オシムさんが倒れた時は真っ先にハシモを心配したよ!岡田武史監督には気に入ってもらえないんじゃなか、と(笑)。まぁ、有利な点が一つあるって言っても、同じ天王寺高校出身だから、っていうことくらいだし(笑)、それで選ばれるほど甘い世界ではないしな。そういう意味では岡田監督になってからも…一度は少し代表を離れたけどまた戻ってきて…大したもんよな。
橋本 :僕も岡田監督になった時は、これでもう代表はないかな、と思っていたんですけどね(笑)。いや、ないかな、どころか「もう日本代表ではなくなる」って限りなく思いましたけどね。実際、岡田監督になって、1~2月は代表で練習をしていても空気感も変わったし、メンバーも変わっていって…その時に、僕は間違いなく窓際族になりつつあるな、って思っていたし(笑)。
: 監督っていうのはどうしても、自分の色を出したいからね。だから岡田さんが監督に就任した時は、オシムさんのフィロソフィを受け継ぐとは言いながら、あの眼鏡の奥では自分の色を出したいっていう思いがあるやろうなって思ってた。少しの間はオシムさんの体制を引き継いでも、いずれ若手を起用して岡田さんのチームを作っていくことになるやろう、と。もちろん、現実的にこの世界では、次から次へと若手を育てていかなアカンと思うしね。って考えると、ハシモみたいに遅咲きの人間は自然と外されるんかな、って思っていたのに、そういう中でも選ばれて、起用されているんやからね。そうやって新しいメンバーとベテランを巧く融合させていこうとしている岡田監督はすごいな、と思う。

text by/misa takamura

朴一(パク・イル)/プロフィール
*同志社大学卒業。同大学院博士課程修了。商学博士。
*専攻:朝鮮半島地域研究、日韓・日朝関係論、在日外国人の人権をめぐる諸問題。
*大阪市、神戸市、伊丹市、堺市などで外国人の人権に関する審議会委員を歴任。2005年、国会参議院国際問題調査会参考人。現在、富士火災コンプライアンス委員。
*マスコミ:NHKテレビ『ETV2000』、『アジアマンスリー』、『関西ニュース一番』、『ニュース9』、TBSテレビ『サンデージャポン』、『みのもんたのサタディずばっと』、毎日テレビ『ちちんぷいぷい』、『VOICE』、ABCテレビ『ムーブ』、テレビ朝日『たけしテレビタックル』、読売テレビ『たかじんのそこまで言って委員会』、『たかじんの非常事態宣言』、『ニューススクランブル』など数多くのテレビ、ラジオ番組にコメンテイターとして出演。
*執筆:朝日新聞全国版に『Eメール時評』(2001~2002年)、朝日新聞月刊誌『論座』に「アジア視察」(1998~2005年)、朝日新聞夕刊に「たまには手紙で」(2007年)をそれぞれ連載。著書に『在日という生き方』(講談社、1999年)、『朝鮮半島を見る眼』(藤原書店、2005年)、『在日韓国人』(ソウルポンム社、2005年)などがある。