橋本英郎公式サイト「絆」
FRIENDS

vol.6 河野亮(楽天野球団)

橋本 :って聞けば聞くほど、聞きたいことが増えていく感じなんですけど、今日は現役を引退するタイミングについても聞いてみたいなと思っていて。実際にプロでプレーしていた人に直にそういう話を聞けるタイミングってあまりないので。亮さんの中で引退を決めた理由みたいなのはあるんですか?

河野 :現役をやっている時から僕の中で決めていたことがあって。『自分の目標として、30才になった時点でレギュラーになれなかったら、とりあえずそこで自分の中でそれでも野球を続けるか、社会に出ようかを考えよう』ということなんですけどね。結果的に、01年に…ちょうど30才でオリックスから戦力外通告を受けたんだけど、その時にどうしようか、って考えて…その時は、西武へのトレードの話とか、イタリアのチームから声を掛けてもらっていたり、っていうことがあったんですけどね。ちょうど10月に、そのイタリアのセリエAのチームからオファーを貰ったりはしていたんだけどアメリカのメジャーリーグそのものがチーム数を削減するだとか、っていう話が持ち上がっていたタイミングだったりして、結局、12月まで「テストを受けにこい」っていう話が来なかった。で、その時に、今、ソフトバンクで1軍のヘッドコーチをしている秋山幸二さんに「実は就職も1つ決まってはいるんですけど、イタリア移籍をどう思いますか?」って相談をしたら、「イタリアのプロ野球なんて、先がないから野球をやめろ」ってあっさり言われて(笑)。その言葉でなんとなく自分でも踏ん切りがついて、じゃあ、引退しよう、と切り替えた。といっても、その時点で既に就職を考えて履歴書を各社に送ったりもしていて(笑)。戦力外通告を受けた際に縁のあるいろんな会社の人が声を掛けてくれていたりはしたんですけど、とりあえず自分の力でやってみようと思っていたんですよね。で、結局、11社受けて、 10社受かって、その中から決めたんですけどね。
橋本 :すごいですね。就職活動とかも初めてですよね?戸惑いとかなかったですか?
河野 :そんなことも言っていられなかったしね(笑)。それにずっとプロ野球界しか知らなかった訳だから、サラリーマンとして社会に出て、始発に乗って会社に行ったり、帰りが終電になったり、っていう大変さみたいなものも肌で感じなきゃいけないな…っていうことを、ある意味、楽しみに感じていた部分もありましたから(笑)。で、実際、3年間、普通にサラリーマンとして働いて、その後、楽天から声を掛けていただいたので、いいタイミングだな、と思って入った、と。
橋本 :すごい話ですね…僕もいずれ、そういう時期が来ると思うので(笑)、参考になります。で、サラリーマンの後は、楽天が出来たタイミングで入社したんですか?
河野 :そうなりますね。だから入った時はまだ何も組織ができていなくて。田尾安志さんが監督に決まって、コーチ陣のだいたいの振り分けが決まったくらいで、それ以外は何も、決まっていないような状態でした(笑)。
橋本 :で、今はどんな感じなんですか?
河野 :もちろん、それぞれがそれぞれの場所で頑張っている中で球団としても、良くはなっていると思いますよ。ただ、野球界って結構、選手が引退して、即、監督やコーチになることが多いですからね。そのせいか、僕も含めてどうしても組織だって話をしたり、順序良く上にもっていくっていう能力が、いろんな意味で足りないなって思うことはあります。
橋本 :野村克也監督はフロントの運営にも口を出されたりするんですか?
河野 :いや、されないですね。もちろん、コーチングスタッフをこうしてくれ、とかっていう話はありますけど、直接、フロント側に言うことは一切ないです。もちろん、あれだけのキャリアがある人ですから。逆に何かがある時は球団代表が野村監督にもちゃんと話をしながら進めて、っていうことはあります。
橋本 :会ったことはないんですけど、ああ見えて実は細かい人だったりしますか?
河野 :いや、そんなことはないですよ(笑)。ただ、大事なことを後から聞いたりしたら、聞いてないよっていう話には当然なりますよね。それは2軍の監督も同じだし、監督をされる人はみんなそうだと思いますけど…そのへんをしっかりやっていれば、やりやすい監督だと思いますよ。実際、僕は1軍で何かがおきた時にはフロントとチームの間に入ってそれを聞いて、フロントスタッフやファームの首脳陣に伝える役目をしたりもしているんですけど、やりづらさは感じていないですね。
橋本 :他にはどんな仕事をされているんですか?最初におっしゃっていたディレクターとしての仕事が気になります。
河野 :今、主にやっているのが、若い選手で将来、1軍に行きそうな選手の特別な育成というか…今年は4人ピックアップして、2軍戦では優先的に起用したりっていうことをしていますね。これは最初にも話した、アメリカのマイナーリーグではすでに導入されていることなんですけどね。
橋本 :他のチームではまだ取り入れられていないんですか?
河野 :そういう風に、意図的にいい選手を使おうと思っているんだなっていうのは、どのチームも分かりますけどね。ただ、うちは更に踏み込んでというか…その選手の報告書みたいなものを毎月作って、例えば、右バッターの選手なら、左ピッチャーに対しての打率がどうだとか、140キロ以上のストレートに強いとか、変化球に強いとか、っていうことが具体的に分かる数字を出して、2軍監督に話をして、指導法や起用方法を再検討してもらったり。「いまはこんな風に教えているけど、もう少しこういう部分で修正が必要じゃないか」などといった話をしたりもしています。
橋本 :なんかすごい話ですね。やっぱりそういう数字的なものは野球ではすごく大事に考えられるんですよね?

河野 :そうですね。そういえば、日本でもヒルマン監督が日本に来た際に日本ハムがそれを導入した様に思いますね。ダルビッシュ投手もそうだったんですけど、段階的にイニング数を増やしていくっていうことをやっていて、確か1年目が5勝、2年目が12勝でしたからね。成果が出ていましたけど、あれもヤンキースの育成システムを持って来たんじゃないかなぁ。ヤンキースでピッチャーをやろうと思ったら、コンスタントにストライクが65%以上入らないとメジャーには上がれないそうですよ。実際、うちも今年は、確か2軍でもピッチャー全員が65%前後のストライク率だったと思います。ただ、インディアンスは70%だからもっと高いんですけどね(笑)。
橋本 :そういう数字的なもので比べると日本のピッチャーはどうなんですか?
河野 :日本の投手は正直、そこまで、なかなか到達しない投手が多いですね。
橋本 :じゃあ日本からボストンレッドソックスに行った松坂大輔さんとか、海外に移籍するピッチャーというのは、基本的にその数字を優にクリアしている人なんですね?
河野 :間違いなくクリアしていますね。松坂以外にもそうやって…日本から獲ろうとしているような選手がいるじゃないですか?そういう選手は間違いなく彼らの数字をちゃんと知っているはずですよ。
橋本 :ピッチャーに関してはそうやって分かりやすいですけど、内野手や外野手についてはどんな風に評価するんですか?
河野 :スローイングの正確性とか、そういう部分での数字を出しますよ。ただ、基本的にはバッティングですからね。バッティングでの数字が重視されています。
橋本 :じゃあ極端な話、守備が出来なくても打てればいい(笑)?
河野 :まあ、そうですね。打てる選手は守れるポジションを探してもらえたりもしますから。それに日本の場合、パ・リーグにはDH(注:designated hitterの略。指名打者の意)がありますからね。
橋本 :確かに、そう言われてみると、サッカーみたいに『守備に定評がある』っていう選手がいたとしても、野球の場合はイメージが沸きにくいですよね。だって変な話、プロ野球ではみんな守備の時にミスをしないというか…ボールが飛んで来てエラーをするっていう確率がすごく少ないように思う(笑)。
河野 :確かにそうですね。ただ、テレビでは分かりづらいかもしれないけど、実際に球場にいってずっと見ていると、例えば「あ~今の打球は●●選手だったら獲れていたのにな」っていうシーンは多々、目にしますけどね。エラーにはなっていないけど、ヒットになっているというか。巧い選手っていうのは、ヒットにさせないっていう感覚がありますから。例えば、交流戦って05年から始まったんですけど、当時のうちの第1戦の相手がジャイアンツで。試合を見ていたら、やっぱりジャイアンツの仁志敏久選手は巧かった。守備位置を動かしたりしていても、飛んでくる前に動いて、さばいてる。あっと思ったボールでもだいたい正面で捕れていますからね。
橋本 :へえ~。僕は結構野球を見ている方だと思うんですけど、そうやって聞いていると全然分かってないですね(笑)。そういう見方が全くできていなかったです。実際、ぼっ~と野球を見ていたら、ピッチャーが投げた瞬間には、獲る人の方に眼がいっているじゃないですか?でもって、その間の動きっていうのは全く見えてない…っていうか、見たことがありませんでした(笑)。じゃあ、そういう守備がうまい選手っていうのはどういう部分で長けているんですか?
河野 :やっぱり球種とかキャッチャーのサインとか、ピッチャーとバッターのタイミングの取り方とかを、しっかり見ているんだと思いますよ。それと経験ですね。第六感。ただ、僕もサッカーは好きで良く見ていますけど、実際、分からないことが多いのと一緒じゃないかな(笑)。ただ…これは僕の持論なんですけど、野球でもサッカーでも、いい選手っていうのは下半身が柔らかいと思うんですよね。実際、下半身が柔らかい選手って疲労度も、ケガをする頻度も違うと思いますし。特にプロのように長丁場のシーズンを戦う上では、そういう部分が活かされるように思うんですけど、どうですか?
橋本 :なるほど…下半身の柔らかさがカギですね。明日から意識してみます(笑)。

text by/misa takamura

河野亮/プロフィール
1971年5月3日生まれ。ヤクルトスワローズ、福岡ダイエーホークス、中日ドラゴンズ、オリックス・ブルーウェーブでプレーした後、某スポーツ用品販売店でのサラリーマン生活を経て、05年に株式会社楽天野球団に入社。東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍総務を経て、現在は、チーム統括本部 編成部 ファームディレクターを務める。

vol.5 河野亮(楽天野球団)

橋本英郎(以下、橋本) : 今日は遠いところをありがとうございます。お会いできて嬉しいです。
河野亮(以下、河野) : こちらこそ、現役サッカー選手と話せる機会をもらって喜んでいるんですよ。うちの会社にも橋本さんのファンがいたりして、会社を出てくる際はうらやましがられました(笑)。
橋本 :ありがとうございます。亮さんは、楽天に入られて、何年目ですか?
河野 :05年に入社したから、ちょうど3年目です。最初は二軍の総務の仕事をやっていたんですが、去年の途中から球団として育成に力を入れようということで、ファームディレクターという仕事をしています。これはアメリカのメジャーリーグにはあるポストの1つで、メジャーではマイナーリーグディレクターと呼ばれているんですけど、要は若い選手の育成だとか2軍の監督、コーチ、選手の評価をする仕事で。楽天でも、それに習って同じようなポストを作ろうということになった際、元選手でやった方がいいだろう、ということもあり、僕がやらせてもらうことになったんです。
橋本 :じゃあ、アメリカとかにも結構、偵察に行ったりするんですか?
河野 :ちょうど、10~11月にもハワイ・ウインターリーグに行っていきましたよ。
橋本 :へぇ~っ!で、基本はメジャーの試合ということより、育成リーグみたいなところを中心に見て回る、と?
河野 :その通り、その通り。基本的にシーズン中はずっとファームチームについているんですけど、ちょうどシーズンが終わった時期を狙って、向こうに行っていました。

橋本 :そのファームチームの仕組みも、おそらくJリーグとは全然違いますよね。しかも歴史としては野球の方が断然長いということを踏まえても、今少しお話させてもらっただけで、野球界にかなり興味がわいています(笑)。ファームって今、何チームあるんでした?
河野 :イースタンリーグは7球団ですね。うち、ジャイアンツ、日ハム、横浜ベイスターズの2軍の湘南シーレックス、ヤクルト,ロッテ、西武。で、ウエスタンリーグは5球団でやっているんですけどね。中日、阪神、オリックス、広島、ソフトバンクです。
橋本 :楽天の選手は今、全部で何人いるんですか?
河野 :今年は65人でしたね。
橋本 :サッカーでいえば2チームくらい出来る感じの人数ですね…ちょうどサッカーは30~35名くらいが平均だと思うので。そのうち1軍登録は何人されるんですか?
河野 :28人です。そのうち、ピッチャーが13人を占めているんですけど、ピッチャーを何人置いておくかはチームによってまちまちです。でも13人は多い方だと思いますよ。監督の起用法とかにもよるんですけどね。
橋本 :28人のうち、ベンチには何人、入れるんでしたっけ?
河野 :25人です。だから外れる3人はピッチャーが多いです。
橋本 :下世話な話ですけど…25人全員に勝利給が貰えるんですか(笑)?!
河野 :そうですね。ただ、割合的にはピッチャーが一番多いですね。その次がキャッチャーで、その次が決勝弾を打ったバッターかな…そういう基準は基本的に決められているので、試合ごとにあてはめていく感じです。
橋本 :ただ、最終的に勝ち越さないと貰えないとかっていう決まりがあるんですよね?
河野 :よく知っていますね(笑)。そのラインもチームによって違うんですけどね。僕が現役時代にダイエーでプレーしていた際は、王監督の計らいもあって、1つ負け越しまでは払うとか…そんな感じでしたよ。うちは勝率に関係なく出してくれていますが。
橋本 :今年は結構勝ったから…良かったですね(笑)。まーくん(田中将大選手)の活躍もあって、観客動員も増えたみたいだし…。ガンバでもたまに話題にのぼるんですよ…ほら、早稲田に行った斎藤佑樹選手と、まーくんとではどちらがいい選手か、みたいな話で。僕たちの勝手な意見を言わせてもらうと(笑)、まーくんは高校野球ではああいう形では負けたけどプロ野球で通用するタイプで、将来的に考えても、斎藤選手よりは全然ポテンシャルが上ではないか、と。…どうですか?この見方は(笑)?
河野 :どっちがどうだという明言は出来ないけど(笑)、田中はいい選手だと思いますよ。
橋本 :斎藤くんはプロに行けそうなんですか?
河野 :まだ卒業が先なので何とも言えないけど、球速自体はやっぱりしっかりしたものを持っていると思いますね。あれで身体が出来ていけば、プロ野球選手には必ずなれるとは思います。
橋本 :例えば、高校時代はいまいちの選手が、大学に4年間行ったことでプロとして通用するようになった、ということも多いんですか?
河野 :そういう選手はいっぱいいますよ。実際、そうやって大学で伸びそうな選手は、高校を卒業して大学に行くようになってからも、スカウト陣はずっとチェックしていますしね。
橋本 :上原浩治(読売ジャイアンツ)はそのタイプだったんですよね?東海大付属仰星高校時代はそんなに目立たなかったのに、大阪体育大学に進学してから頭角を現したとか…。
河野 :詳しいですね(笑)。まさにその通りですよ。
橋本 :野球選手の場合、引退する人の平均年齢は何才くらいなんですか?
河野 :26才~27才ですね。
橋本 :え?!もっと上かと思っていました?!ある意味、衝撃です…。ほら、野球って、入団してきた選手を簡単に切らない、というイメージがあったので…。だから1選手の在籍期間がもっと長いイメージがあって。
河野 :まぁ、高卒でプロになった選手はだいたいですけど、最低でも5年くらいは成長過程を重視しながら見ますけどね。ちなみにサッカー選手の引退平均年齢は、いくつくらい?
橋本 :Jリーグでの平均は確か、同じく26才なんです。おそらく21、22才でクビになる選手と30才くらいで引退する選手との間で、ちょうど25、26才なんだと思うんですけど。実際、25、26才でやめる選手は少ないですからね。そこまでやれた選手は逆に30才とかまでやっていますし。ただ30才前後になって、ケガだったり、行くチームがなくなったりして辞めていく、と。そのヤマも乗り越えた選手は一気にもっと長くやっていますけどね(笑)。

河野 :なるほどね。僕は今の立場になってから、30才になった選手には伝えていることがあって。ほら、ちょうどそのくらいの年齢の時って、ファームだと試合にも出られなくなっていくタイミングというか…どうしても、2打席立ったら若い選手が交代して出場したり、っていう感じになっていきますからね。だから、 30才を迎えた選手には「試合の時は監督になったつもりで、自分だったらこうするな、とかっていう風に頭の中で采配をふるって見たらいいんじゃないか」と。で、「逆に練習の時は、自分がコーチだったらこういう練習をこの選手にさせるな、とか、っていう風にやっていったらいいんじゃないか」ということを伝えていて。そうして違う見方をしておくことも、将来的に指導者になって行く上で助けにもなるだろうし、自分を見つめ直すいい機会にもなるだろうからね。
橋本 :なるほど。やっぱり選手を終えた後は指導者に、っていう人は多いんですか?
河野 :そうですね。
橋本 :ただ、確か、野球界ってプロになった選手は高校生を教えられないんですよね?
河野 :はい。といっても、ずっとダメだということではなくて、例えば、学校の先生になった人は教壇に3年立ってからなら高校野球の監督として教えていいんですよ。ただ、ここ数年の間に、現役の野球選手によるシンポジウムで『夢の向こうに』っていうのが出来て。その中ではプロ選手が高校生を教えたりしていますけどね。結局、プロが高校生を教えることそのものが、スカウト活動の一貫にとられたらいけない、ということもあって、そういう規定があるんですけどね。
橋本 :そこらへんはサッカーとは全然違いますね。サッカー界では引退してすぐに学校のコーチとかをしている選手もたくさんいるし。ただ、プロの監督になろうと思ったら資格がいるから、結局、選手を終えてすぐにJリーグの監督になるっていうのは出来ませんけどね。今、楽天には30才を超えてプレーしている選手は何人くらいいるんですか?
河野 :今年は10人くらいかな。
橋本 :確かに、全体数を考えたら、そんなに多くないですよね。65人のうち10人くらいなら、サッカーだと半分だから、1チーム5人という計算になる。で、今年のガンバの30代選手は確か5人くらいだったもんな…そのへんは、サッカーも野球もあまり変わらないということなんですね。驚きました。

text by/misa takamura

河野亮/プロフィール
1971年5月3日生まれ。ヤクルトスワローズ、福岡ダイエーホークス、中日ドラゴンズ、オリックス・ブルーウェーブでプレーした後、某スポーツ用品販売店でのサラリーマン生活を経て、05年に株式会社楽天野球団に入社。東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍総務を経て、現在は、チーム統括本部 編成部 ファームディレクターを務める。

vol.4 加藤美樹(DJ)

加藤 :トップにあがってからは嫌になることはなかったんですか?
橋本 :そうですね。それでも1年目は怖い先輩もいたし「サテライトでいいや」って思っていたりもしたけど(笑)、2年目になって「このまま試合に出なければクビになるな」って思い出して。「とりあえず絶対に1試合は出ないと!」と思っていたら、アントネッティっていうフランス人監督が使ってくれた。理由は「真面目にサテライトで黙々と練習をし、挨拶をちゃんとしたから」って(笑)。しかも、出してもらった試合で点を獲ったんですよね。ナビスコの予選リーグで、すでに消化試合になっていたんですけど。で、「良かった~」って思っていたら、次のJリーグにも出してもらって。「これでもう、クビになっても『俺はJ リーグに出た』って胸を張って言えるな」と(笑)。
加藤 :当時は代表選手になりたいとか、思っていました?
橋本 :全く思っていません。去年くらいからオシム監督になったから、っていうのもあって、ようやく「代表に1試合でも出たら、Aマッチ出場の記録に残る」って言い始めたりしましたけど、それまでは全然でした(笑)。
加藤 :なるって想像もしていなかったんですか?
橋本 :はい。小学校の時は夢もありましたけど、中学の時に現実を知りましたから、無理だと(笑)。
加藤 :客観的に、今、自分はどうして日本代表に選ばれていると思いますぅ?
橋本 :正直、分からないんですよね。だからオシム監督の通訳さんを通して聞いたりしていて…一番最初に招集された時は「最後まで練習していれば分かると思う」って言われたんですけど、そしたら最後の練習試合で左サイドバックで起用されて。「ああ、今季はガンバでも左サイドバックの練習をしているからか」って分かったんですけど、その後も呼び続けてもらっているのはなぜか分からない。まあ、結論としては、とりあえず嫌がらずにどのポジションでも、やるからかな、って最近は思いますけどね。与えられたポジションを嫌がらず、しっかりやろうとするのが監督的にはいいのかな、と。それくらいしか、自分で思いあたる理由はないですから(笑)。だって、他に違う理由があれば、代表戦にもっと出ていると思うんですよ。でも出られない理由は、そこにあって。そうやっていろんなところが出来ても、1つのポジションで試合に出るラインを越えているかと言えば、そうじゃない。たぶんそれを越える可能性はあると見てくれてはいるとは思うけど、でも、それをちゃんと結果で出さないと今の状態から抜けられないし、若い選手で僕と同じようなタイプの選手が出て来たら、とっととそっちに切り替えられてしまうと思う。
加藤 :その試合に出るラインには、何が足りないんですかぁ?

橋本 :守備力です。代表に関してはそこをしっかり上げていかないと…特に今の代表っていうのは、決定力不足と言われているとはいえ、守備では結構守れているんですよね。強いチームが相手でも、ね。だからこそ最低でも今、試合に出ている選手のレベルに達しないと守備の選手は出られない。特に守備にはしっかりした選手がある程度揃っているだけに、そこに割って入るのは難しいし。だからこそ、自分がしっかりレベルを上げないといけないと思う。前線には、今はまだ高原のような、ずば抜けてプレーできる選手がいない分、いろんな選手を試して、いろんな形を作って、っていうことも出来ると思うんですけど、後ろはそれができないと思うから。
加藤 :それでも、代表に呼ばれて代表メンバーと一緒にプレイするのは、客観的に自分を見れてプラスになるんでしょ?
橋本 :自分に何が足りないが、はっきり分かりますからね。分かるだけに、ここにいれるのもおかしい気もするって思うんだけど、さっきも言ったように、どこでもやれるから、いれる。同じポジションをやる選手で僕より力があって、でも呼ばれていない選手がいるとしたら、その人はたぶん、僕がやるようなポジションはやりたがらないし、やらないと思いますし…っていう理由だと思うんです。
加藤 :でもやっぱり、悔しいでしょ?
橋本 :試合に行くと悔しかったりしますね。重ねれば、重ねるほど。アジアカップは一番ね…途中から出たいなって思うようになってきましたね。一発の試合だと、終わったらすぐに解散だから切り換えられるけど、アジアカップみたいな長期的な戦いは試合の後もその場にいないといけないから。
加藤 :ガンバではここ数年、コンスタントに試合に出ていますもんねぇ?
橋本 :まあ、今のところは、ですけどね。
加藤 :キープし続けるのはすごく大変なことだと思うんですけど?どうなんですか?
橋本 :だと思います。特に僕はケガをしているからこそ、キープ出来ない嫌な感じっていうのは経験しているし、だから、キープしようって気持ちもあるし、でもキープじゃダメだとも思いますけどね。ただ、その部分については、代表でいいきっかけを与えてもらったというか。ちゃんと上を見てやれるようになっていますから。
加藤 :代表になってから、目標とか、自分の欲とかは高まりましたぁ?
橋本 :う~ん。自分の技術やメンタルに対する要求は高まりましたね。今まではそういうのはあまり考えていなくて、まずはチームで試合に出ることが大事だったんですけど。もちろん、それは今も変わらないですけど、それプラスで考えることは増えた。ただ…そんな上ばっかり見ていてもね。最近は足元がぐらついてるんじゃないか、って思ったりもするし。そういう意味では、やっぱり足元からしっかりっていう気持ちは強いです。
加藤 :そういったことを色々考えながら、厳しい舞台で戦っているからこそ、顔つきも変わってきたんでしょうね。ところで、漠然としているけど、日本代表として海外チームとかと対戦してみて、試合に出た中でも、外から見た中でも、日本のサッカーのレベルをどう感じています?
橋本 :僕が思うに、悲しいですけど、世界とはだいぶ差がありますね。ショックなくらい…世界との差は本当にある。まず、体格が違う。これは、どうしようもないポイントで、明らかに見劣りしますからね。でも、裏を返せば、差はその身体能力だけなんですよ。でもそれがすごい差なんです。その差が結局、ボールが早く蹴れるとかっていうことに、繋がっていくから。判断の早さとかはついて行けるんだけど、ただ、当たりだったりを考えると、速さの中で同じプレーを続けるのは難しい。同じようにスペースを与えられて、同じようにキックしろっていわれたら、同じ事はできるんですよ。ただ、そこに絶対的な体格の差がありますから。それをふまえて、っていう部分で、中村俊輔さんとか高原は上手なんですよね。だから、海外でもやっていける。そういう部分を僕らもつけないと、海外のチームには通用しないかなって思う。
加藤 :俊輔さんはもともと備わっているポテンシャルもあるんでしょうけど、やっぱり海外でやったからこそ身に付いたものも多いんでしょうねぇ?
橋本 :そうですね。繰り返しになりますけど、変な話、体格差はあっても、他の部分はそんなに差がないから、その差を埋めるものをちゃんと身につければ、ああして活躍もできる。だから海外にいって、その部分を積み重ねていく必要もあると思うんです。日本国内では、日本でプレーしている外国籍選手に対してくらいしか磨く場がないですから。
加藤 :じゃあ、やっぱり日本人選手はどんどん海外に出た方がいいんですかぁ?

橋本 :一概には言えないですけどね。日本でいい外国籍選手に対して、しっかり対応できるようになることで鍛えられることも出来ると思うので。ただ、いずれにせよ、それをベースにあげていく必要はあると思う。スイス戦がいい例で、あの試合は体格差が完全に出ましたからね。獲れそうだけど、獲れない。しっかり寄せるスピードがついてきていても、ブロックされたり競り合いで負けたり。こぼれ球の1対1で負けたり、ね。ただ、そうやって考えても、僕はオシム監督のやっていることは間違ってないと思うんですよね。っていうか、日本人のことを本当に考えてやっている。何て言うか、日本人がやるとより効率的なことを追究しながらチームを作っている。簡単な話、すぐに結果では表れない事、出来ない事を求められているのが分かる。
加藤 :なんか、世界と戦っている感じが漂っていますね。すごいですよね。
橋本 :試合に、出てないですけどね。まぁ、これから徐々にあげていって、まずは日本代表で5試合出場を目指しているんですけど(笑)。
加藤 :さっきの話だと、ジュニアユースやユースの時は、うまい選手の中でやると試合に出られないし、つまらないっていう感じがあったけど、代表で試合に出られなくてもつまらなくはないんですか?
橋本 :メインは代表じゃないですからね。自分の居場所が代表しかなければつまらないと思うけど、メインのガンバでは試合に出してもらっていますから。でもガンバで出られなくなったらつまらなくなるだろうなって思う。
加藤 :ハシくんにとって、ライバルはだれですか?
橋本 :代表で言うなら(鈴木)啓太ですけど、基本は、あまり考えないですね。
加藤 :憧れは?目標とかは?
橋本 :目標はあるけど、いつも人じゃない。今言ったみたいに5試合とか、こういうプレーが出来るようになりたいとか、そっちですね。美樹さんはありますか?
加藤 :ないかなぁ。私も目標とか、そんなに描かないですね。もちろん、ちょこっと先のことで、こんな風になったらいいなぁ、とか、これをきちんとやろうとか、そういうのはありますけど。これまでもあまり人と競り合うことはしてこなかったかもしれないですね。
橋本 :モデルの時とかはないですか?
加藤 :モデル時代はみんながライバルで…ってテレビで梅宮アンナさんが、言っていたけど(笑)、私は全然ない。私たちの時代って、それぞれ、みんなキャラクターが違っていたから、競い合う理由がなかったんです。だから楽しかったのかも。それぞれがお互いを敬っていたと思うし。
橋本 :みんな、いろんな人生があるんですね。って締めに入っていますけど、いいですか?
加藤 :もう、十分ですよぉ。いろんなお話を聞けたから。こんなに真面目にサッカーの話しを聞いたことないので面白かったです(笑)。でもその真面目さが積み重なって、今があるんですね。
橋本 :ガンバのチームメイトはあまり真面目とは思ってないですけどね(笑)。そういえば、この前、若い選手に「怒ったことはありますか?」って風呂場で聞かれた(笑)。
加藤 :あります?
橋本 :ありますよ。すぐに思い出せないけど、でも…そいつにも聞いたんですよね。「うちのチームで怒ったことありそうなやつっているか?」って。そしたら「確かにいないですね」って笑ってた(笑)。うちは穏やかですから。というわけで、美樹さん、今日は初ゲストにふさわしい面白い話を、ありがとうございました!また保健室の先生の声で僕やリスナーの方を楽しませてください。
加藤 :ありがとうございます。これからも応援しています。がんばってください!

text by/misa takamura

加藤美樹/プロフィール
3月26日生まれ。B型。1994年の802DJオーディションに合格。音楽に、生活に、独自の優しい視点をもつ彼女。802のお昼の顔として人気上昇中。
現在の担当番組:「FLOWER AFTERNOON」 MON-TUE 13:00-16:00、「フロム・エー/フロム・エー ナビ SUPER J-HITS RADIO」 SUN 19:00-22:00

vol.3 加藤美樹(DJ)

加藤 :私からもハシくんに質問したいんですけど?いいですか?
特に、日本代表に入ってからの事が聞きたいんですけど!
橋本 :はい、なんでも聞いてください。
加藤 :改まると、緊張しますねぇ…(笑)。
ではまず、どういうきっかけでサッカーを始めたのか教えてください。
橋本 :代表の話じゃないじゃないですか(笑)。ま、いいですけどね。
僕は兄ちゃんがやっていたから、です。6つ上なんですけど、ちょうど兄貴がやりはじめたのが小4とかで僕が幼稚園の時でした。で、同じチームに小学校1年から入って。中学校もお兄ちゃんがいっていたチームに入ろうと決めていたので、釜本FCに入ったら、偶然にも、僕が入った年にJリーグが出来るっていうことになって、『パナソニックガンバ大阪』になったんです。僕としては兄ちゃんを追いかけていただけなんですけどね。
加藤 :でも、どこかのタイミングでサッカーをずっとやっていこう、って思ったんでしょ?

橋本 :小学校の時に書いた卒業文集には「友達とW杯に出たい」って書いていましたね。
ただ、中学に入ってからは現実的に「そんなん、無理や」って思っていたような、可愛くない子供で(笑)。だって、ジュニアユースに上がってみたら、みんなめちゃくちゃ、ありえんくらい、サッカーが巧くて。小学校の時は、大阪市内の小さい、小さいクラブで、府レベルの大会になると10点差以上をつけられて負けるようなチームでやっていましたから。近所の小学生チームには勝てても、ちょっと大会規模が大きくなると、全く勝てない!みたいなレベルにいたのに、ガンバジュニアユースに入ったから、もう全然ダメで。なんか、周りの仲間は、プロチームの下部組織ということを知って、わざわざ選んで来ていたような奴ばかりで。稲本(潤一)も堺から出てきたり…でも、僕はそんな情報は全然知らなくて。なのに、入ってみたら、いきなり巧い人…大阪選抜とか関西選抜に選ばれているような子ばかりが集っていましたからね。
これは僕は無理だな、と(笑)。
加藤 :でもやめなかったんでしょ?
橋本 :やめたかったんですよ(笑)。練習に行くのも、むっちゃ嫌だったし。
でも自分の中学にサッカー部がなかったし、基本的に、サッカーは辞めたくなかったですから、しょうがなく…。だからジュニアユースに通っていても、友達と地元でサッカーをしている方が楽しくて練習に行かなかったこともありますからね。しかも、遠い(笑)。
小学校まで近所でやっていたのに中学になると、いきなり万博の近くまで通わなければいけなくなって。学校が終わった後、一生懸命走って帰らなければいけないのも本当に嫌で。小学校からの仲間も、最初は4人いたのに、速攻2人がやめちゃって…みんな巧すぎて、一緒にやっても楽しくないって(笑)。
加藤 :でもハシくんは、残ったんですね。サッカーがやりたかったからですか?
橋本 :ん~。あと、中学1年の途中に変なきっかけがあって。当時の僕は塾にも通っていたんですけど、でもサッカーも嫌々ながら行っていたんですよね。なのに、塾で休みがちな子がいて…っていう中で、あるコーチが、その子に対してだか、周りの選手に対してだか、いつも練習に来ている選手より、そいつの方が巧い、みたいなことを言ったっていうのを伝え聞いて。実際、どれだけ真面目に練習に行っても、僕は残りの10分くらいしか試合に出られないのに,その子はスタメンだったりして。そのことにムカついて、頑張った(笑)。で、頑張り出したら、楽しくもなりだして、みんなと同じように出来るようにもなってきた。
加藤 :悔しいと思ったことがきっかけになったんですねぇ。
橋本 :完全にそうですね。といっても、すぐにAチームになった訳じゃなくて、頑張ったけど、やっとBチームっていう感じで(笑)。しかも1学年の中で、ですよ。ただ、Aチームには選抜にかかわってる子らが10数人いて、みんな巧すぎるから、そこに入ると面白くないんですよ。Aチームの選手はプライドも高くて、へんな話、互いが認め合っているんですけど、その下のカテゴリーから上がって行くと、なんていうか、そいつらから言われるばっかりになっちゃって。いじめられるみたいな感じになるから面白くない。
でも、Bチームは、もちろん中には巧い選手もいるけど、そんなにプライドは高くなくて、気持ちがわかる人間が多いから、下から上がって来た選手には優しいし、同じ仲間にはもちろん優しいし、だからいすっごい楽しかったんですよ(笑)。それで、本当に練習に行くのが楽しくなって、そのうちにAチームから呼ばれるようになった。そしたら、また行くのが嫌になって…(笑)。当時のAチームにはなんていうか…巧いヤンキーみたいなのもいて(笑)。すぐに違うチームのやつと喧嘩して退場するとか…力さえあれば誰でも入れた時代だから、本当にいろんなやつがいたんですよね。でも、サッカーではそいつの方が巧いから、パスを受けても、すぐにそいつに出さないと、って気持ちにさせられるような、独特の雰囲気があって…。っていうのもあって、僕としてはBチームの方が好きだった。まぁ、中学2年になる年も、春合宿に行けばAチームでやっていたけど、試合はBチームで出たり、Aチームの後半に出たりっていう感じでしたけどね。
加藤 :今もそんな感じで1学年にAチーム、Bチームみたいに分かれているんですか?
橋本 :今は超エリートな感じで全然、違うんですよね。一学年10人くらいの少数精鋭で例えば、ユースでも、1学年10人で計30人。ほぼ、トップと同じなんですよね。僕の時は、1学年が30人強で、全部で100人強でしたから。
加藤 :でもその後、Aチームに定着し始めるんですよね?
橋本 :中学2年時から、中学3年との混合チームの方に…ようは大会に出るチームに、時々呼ばれるようになりましたね。それもまた嫌だったんですけど(笑)。
加藤 :なのに、やめなかったんですよねぇ。
橋本 :そうですね。中学での学校生活が別にあったからかもしれない。学校はすごく楽しかったですからね。そっちの友達とサッカーをするのも楽しかったし。土曜や日曜は、朝はガンバで練習試合をして、昼からはその友達とみんなでサッカーをやったりっていう感じでしたね。そういう意味では一日中サッカーをやっていました。
加藤 :じゃあ?いつ勉強してたんですか?どうして頭がいいんですか?

橋本 :英語だけですけど、塾に行っていましたからね。あとは学校の授業で結構カバーできました。あと、兄ちゃん、姉ちゃんが、英語以外に数学とかの塾に行っていたので、公式とか勉強の仕方とかを教えてもらったから、効率よく勉強が出来たっていうのもあったかも。テスト前とかも一夜漬けでしたけど、うまく乗り切れたし(笑)。
加藤 :大学には行くっていうのは決めていたんでしょ?それはなぜですか?
橋本 :家庭事情です(笑)。「サッカーをやるなら大学に行きなさい」「そんな不安定な人生はダメだ」と両親に言われていたので(笑)。だから、もし大学に合格していなかったら、プロではやっていなかったと思う。あるいは、浪人生活をしている間だけサッカーをやって、それでもアカンかったら2浪目の年はサッカーをやめて勉強だけっていう感じだったと思う。
加藤 :それが今では日本代表ですもんねぇ。
サッカーをやめてしまおうと思った事はないんですか?
橋本 :サッカーをやめようと思った事はないです。でもプロになるまでは、ガンバをやめようと思った事は何回もあります(笑)。正直、ユースに上がる時も、セレッソ大阪の方が家から近かったので、そっちに行きたかったくらいで(笑)。とにかく遠いのが辛かったんですよね。しかもユースになると更に遠くなって、茨木市の山奥まで通っていましたから。学校が終わって、天王寺から環状線に乗って、快速で茨木に出て、そこからバスに乗って…っていう生活が、毎日ですからね。
加藤 :でも…しつこいようだけど、やめなかったんですね(笑)。
橋本 :まだ子供だったので、どうやったら、セレッソに行けるかも分からなかったですからね。
実際、中学3年の時に、「Aチームにいる選手は全員ユースにあがれます」っていう話をされたんですけど、その後、自分がどうやってユースに昇格したのかよく分かってなくて。中学から高校生になる時の春休みも、ユースにあがる選手はみんなユースの練習に参加していましたけど、僕は受験勉強があったので、一度も行かなかったですから(笑)。
他の子は1~3月から既に参加していたのに、僕はきっちり、受験が終わって高校に通い始めた4月から(笑)。しかも、他のチームから新井場とか、更に巧い選手が集っていましたからね。「これは試合に出られないな」と思うと、余計に練習に行きたくなかった。
加藤 :中学の時と同じですね(笑)。
橋本 :まさに。だから、ユースに上がっても、最初は英語の塾だけはやめずに行っていましたからね。それは僕の中ではある意味、逃げだったんですけど…そっちに行く事で練習に行かなくて済んだから(笑)。でも、そうやって塾通いを5~6月くらいまで続けていたら、コーチの人に怒られて。「なんで練習に来ないねん?」と。「いやあ、塾に…」って答えて、いろいろ話をして。「これからは真面目に練習くるか?」って聞かれたから「はい、行きます」っていうことで、そこからは塾も辞めて、真面目に練習に行くようになったら試合にも出られるようになったんですけど。

text by/misa takamura

加藤美樹/プロフィール
3月26日生まれ。B型。1994年の802DJオーディションに合格。音楽に、生活に、独自の優しい視点をもつ彼女。802のお昼の顔として人気上昇中。
現在の担当番組:「FLOWER AFTERNOON」 MON-TUE 13:00-16:00、「フロム・エー/フロム・エー ナビ SUPER J-HITS RADIO」 SUN 19:00-22:00

vol.2 加藤美樹(DJ)

橋本 :ところで、美樹さんは、なんでDJになろうと思ったんですか?
加藤 :正直、なろうと思ってなった訳じゃないというか…。こう言うと、夢を持って「DJになろう!」って思っている人に失礼かもしれないんですけど、始まりは偶然なんですよね。モデルの仕事をしていた時、モデル友達にDJをやっていた「小牧ユカちゃん」がいて、彼女のラジオ番組に一度ゲストに出たんです。そしたら、その時の声を番組のディレクターさんが、気に入ってくれて「DJのオーディションを受けてみませんか?」って言ってくれたんです。それがきっかけ!アシスタントからのスタートでしたけどね。
橋本 :モデルの仕事をやっていた時からDJも興味くらいはあったんでしょ?
加藤 :全然(笑)。ラジオでおしゃべりするなんて、想像したこともなかったなぁ。モデルの仕事が楽しかったし、どちらかと言えば、お芝居は、やってみたいなぁと思って、その勉強はしてましたけど…。
橋本 :モデルはどのくらいやっていたんですか?

加藤 :中学3年生の時にスカウトされてから3年間くらいやってたんだけど、高校時代の後半はちょっと太ったりもして中断(笑)。
でも大学に入った時に「もう一度、真剣にやってみよう」って思い直して、まじめに取り組んだの。そしたらモデルが楽しすぎて、危うく大学の単位を落としそうになったけどね。(笑)。
橋本 :それだけ仕事がバンバン入ってきていたっていうことですよね?!
加藤 :うん。とても有り難い話だけど、当時は休みがないくらい、忙しかったですね。
私の通っていた大学は幼稚園からエスカレーター式で進級出来たんですけど、追試や補修がない分、あとから授業を受けられないの。だから授業に出ていないと単位がとれなかったんですよ。。だからかなぁ?テストがなくなった今でも「卒業できません」って通知を受ける夢を見たりするの(笑)。
橋本 :(笑)。エスカレーター式っていうことは、幼稚園でお受験を経験したんですか?
加藤 :そう、そう。幼稚園の受験も落ちそうになりましたけどね(笑)。最初の試験は、お部屋の真ん中におもちゃが無造作に置いてあって、「そのおもちゃで好きに遊んでください」って…。要は、友達との協調性とかを見るらしいんですけど、その時私は電話が大好きだったから、電話のおもちゃをとったの。そしたら、普通、家の電話って受話器をあげたら「プー」って鳴るじゃないですか?なのに、そのおもちゃの電話はいきなり「もしもし、私、リカちゃん」って喋ったの!それがすごく怖くなっちゃって大泣きで…。
おまけに面接でも、待っている部屋の壁に白いプチっとしたボタンみたいなマークがあって…。後できいたら、雀のフンだったらしいんだけど(笑)~。どうしてもそれを押したくなっちゃって、おそるおそる押したら、その瞬間にタイミングよく部屋のハト時計が鳴って(笑)。今度は、それが怖くて泣きまくり、「もうあの部屋には入らない」って。もう少しで試験を受けられないところだったらしいんですよ(笑)。結局、少し時間をおいてから受けさせてもらって、何とかお情けで受かったんですけどね(笑)。
橋本 :いろいろ、やらかしていますね(笑)。DJの仕事を始めた時は、モデルの仕事はどうなっていたんですか?
加藤 :その頃はもうモデルの仕事をやめちゃっていたから。お芝居をやろうと思って、ちょっとだけ舞台に出たり、テレビに出たりということをやっていた時だったの。でも、なんとなくテレビの仕事には向いていないかな、って思いもあって。そのタイミングで声をかけていただいたから、どんどんラジオにはまっていった感じですね。実は、音楽のことも、ラジオが始まってから勉強をしたんですよ。(笑)。
橋本 :それまでは音楽は全然?
加藤 :全然聞いてないですね(笑)。
子供の頃から「Char」さんが好きだったり、「山下達郎」さんの番組は好きで聴いたりは、してましたけどね。
ただ、1つすごく印象的だったのが、その「達郎」さんの番組の前後どちらかで、「杉真理」さんっていう方がDJをされている番組があって。その人が番組を終わる時に「じゃあ、またね。バイバイ」というフレーズを必ず言ってたんですよ。その感じが私としては「すごくいいな~」って思っていて、「私もいつかラジオ番組を持つようなことがあればこれ言おう」って漠然と思っていた記憶がありますね。そのことを、実際にDJになってから、ある日突然、思い出して、それからは自分が担当する番組では、それを言うようになっていったんですよね。とはいえ、自分としては、特別そのフレーズを大事にしていた訳でもなく(笑)。
でも、ある時、ある番組でそのフレーズを言わなかったら、リスナーさんからすごく怒られたことがあって(笑)。そんなこともあってか、いつのまにか言うのが当たり前な感じになってきちゃったんです。でも、もし私が「杉さん」に憧れたように、私のそのフレーズを好きだと思ってくれる方がいたら、それはとても嬉しいことですけどね。
橋本 :いい話ですね~。音楽はともかく、話すこと自体は好きだったんですか?

加藤 :そんなことないですよ。どちらかと言えば、人と喋るのが苦手だったし。でも、やるとなったら、やらなければ!ということで、NHKの通信講座で勉強したりは しましたねぇ(笑)。ただ、お芝居の稽古をしていたことが少しは活かされているかもしれないなぁ。だから、私の喋りって、基本的にはプロとしては、全くなってないですよね(笑)。幸いこの喋りを『個性』という風にやってこれたから良かったけど、大阪で番組を始めたばかりの時は、リスナーの方から「その喋り方、気持ち悪い!」って言われたこともありましたよ(笑)。
橋本 :そうなんですか?!大阪に来て何年でしたっけ?
加藤 :13年になります。
橋本 :『Flower afternoon』はいつからやっているんですか?
加藤 :あの番組自体は10年くらい続いているけど…私は9年かな。
橋本 :じゃあ、僕はたぶん、ほぼ最初から聞いてるんじゃないかな!僕が車の免許をとったのが、プロ1年目の12月で…今、僕は10年目ですからね!東京出身の人が大阪のラジオ局のオーディション受けるのって、当時は普通だったんですか?
加藤 :FM802で仕事をしている自分が言うのも何だけど、全国でこの仕事をしている人の中に、大阪のFM802を知らないって人はおそらくいないと思いますよ。私もオーディションで入ったけど、今もオーディションを受けに、すでにDJの仕事をして番組をもっている人も、たくさんデモテープを送ってくるくらいですからね。
橋本 :どうしてFM802が良かったんですか?

加藤 :この仕事が面白くなってきて、東京FMでも一人で番組を持つようになった頃に、「Mr.Children」の音楽と出会ったんですよ。デビューアルバムから本当に好きで良く聴いたの。そしたらそのアルバムの中のデビューシングル「君がいた夏」っていう曲が、FM802のヘビーローテーションになったって聞いたんです。その時に「ヘビーローテーションって何?」って当時の東京FMの制作の人に聞いたら「全番組で必ずかかる曲だよ」って教えてもらって、「すごい」って思ったの。しかも、当時はまだ「ミスチル」がHITしてない時だったからね。なのに「新人の曲を、全番組でかけるの?」ってびっくりしちゃって。しかも、1コーラスだけとかでもなく、最初から最後までしっかりON AIRするでしょ。そのことに感動して、「オーディションを受けてみたい」って思ったの。その時、東京FMと802を掛け持ちで仕事をしているDJの方に「紹介するよ」って言ってもらったりもしたんですけど、「なんか、それじゃあダメだ!」って直感で思って、1からオーディションを受けようと決めたんです。でも実際は、1次オーディションでいきなりダメで、お断りの手紙をいただいちゃったんですよ…しかも、手書き(笑)。でも、「オーディションの返事を手書きでくれるなんて、なんて丁寧な…」って思っていたら、実際は、後で聞いたところによると、当時私が、同じエリア内の神戸『KISS FM』で仕事をしていたからというのが、その理由たっだみたいなんですけどね(笑)。
橋本 :で、もう一回、受けた、、、と。2回も受けようと思ったほど魅力があったんですね。
加藤 :うん。1回目は「なんでダメなのかな、2次にも呼ばれないんだ…」ってすごく悔しくて。でもお断りは手書きだし、変だなって(笑)。
で、私にも意地があったから、「もう一回挑戦したい」って思って履歴書を送ったら、今度は2次試験を飛ばして、3次から呼んでいただいたの(笑)。なんでだろうって思いながら、受けたら今度は、いきなり合格。でも、なかなか担当番組が決まらなくてね。しばらくして、ある時、いきなり日曜日の番組をもらっちゃった時は、うれしかったなぁ。
橋本 :普通、なんでも中心は東京だ!みたいな感じがあって、どちらかといえば地方から東京を目指すじゃないですか?でも、FM802の場合は、逆ですね。東京の人が関西を目指してる(笑)。
加藤 :そう。でもやっぱ、東京でやりたいっていう人は今でも多いと思うよ。ただ、私としてはやっぱり地方の良さってあると思うんですよ。特にFM802はね。日本全国のラジオ局の中でも新人アーティストの発掘や、HIT曲発掘には特に定評があるし、なんと言っても音楽をとても大切にしている局だと思うんですよ。世の中には、いろんないい曲がたくさんあってそんな音楽達を愛して、アーティストを敬って、人との繋がりとかを大切にしていく、そんな事を放送局全体でやっているようなところは、なかなかないんですよ。それがやはりFM802の一番の魅力だと思うなぁ。
これは、大阪の街や、大阪の文化も関係していると思いますよ。街の大きさとか、音の伝わり方、話題の伝わり方も地域色が出るし。そういう意味では大阪が生んで、大阪が育てたラジオ局だって思うし、実感します。
橋本 :13年やってきて、DJは天職だと思いますか?
加藤 :よく聞かれるんだけど、そう言いきれるほど自信は持ってなくて…っていうか、一生そ の自信はないと思います。天職って言えるほど何かしたわけでもないし、自信があるわけでもないし…、情けないんですけどね。でも…天職って何でしょうね?
橋本 :そうですよね。僕もサッカー選手は…天職っていう感覚はないですね。っていうか、むしろ自分で天職って言える人は凄いと思う。
加藤 :そうですよね。私もそう思う。天が与えてくれた職だと考えるなら、天職はむしろ自分で判断するものじゃないというか…そう思いますね。
橋本 :そうですね。
加藤 :でもこの前、あるコンダクターの方がテレビで「この仕事は天職です」って答えていたのは凄く格好よかったですけどねぇ~。だからきっと、言える人もいるんですよ。
橋本 :でも美樹さんの声は生まれもってのものだから、ある意味、天が与えた才能ですよね。練習したところで、その声は出来上がらないし。
加藤 :これはラッキーだっただけですよ(笑)。でも誉められると嬉しいけど。
橋本 :自分の声は好きですか?
加藤 :声は好きかな。
橋本 :それはいいことですね。
加藤 :でも声って面白いもので、自分の声を知らない人ってすごく多いんですよ。
橋本 :うわっ。僕も分かっていないです。
加藤 :こうして普段、話している声ってあるでしょ?これも人によっては地声で話していない人もいて。これは芝居で覚えたんだけど、人によっては「これが地声だ」って思っていても、実際は違っていたりするんですよ。まぁ、難しいことは抜きに、一番普通に、楽に喋れる声が地声なんですけどね。
橋本 :じゃあ、美樹さんはラジオでも地声ですね。
加藤 :ほとんど地声。あまり変わらないですからね。
橋本 :僕もあまり変わらないかな?
加藤 :そうですね。ハシくんのテレビを通して聞く声も普段の声かなぁ。
橋本 :僕、自分が喋っている時に聞こえてくる自分の声は好きなんですけど、テレビとかを通して聞く声ってあまり好きじゃないんだけどな。
でも同じなら…残念(笑)。
加藤 :そうかなぁ。耳に入りやすい、素敵な声をしてますよ。顔つきも最近変わってきて、すごくいい顔になったように思うし。代表に選ばれる前と後では、全然違うと思うんですけど。
橋本 :疲れている、いないではなくて(笑)?
加藤 :違う、違う。やっぱり厳しい戦いの場に行くと、顔つきも変わるんだなぁって…、きっと。

text by/misa takamura

加藤美樹/プロフィール
3月26日生まれ。B型。1994年の802DJオーディションに合格。音楽に、生活に、独自の優しい視点をもつ彼女。802のお昼の顔として人気上昇中。
現在の担当番組:「FLOWER AFTERNOON」 MON-TUE 13:00-16:00、「フロム・エー/フロム・エー ナビ SUPER J-HITS RADIO」 SUN 19:00-22:00