橋本英郎公式サイト「絆」
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vol.7 河野亮(楽天野球団)

河野 :今の話じゃないけど、橋本さんはまさに『守備に定評がある』選手ですよね(笑)?と、僕は思っていたんだけど、最初に話したうちの会社にいる橋本さんのファンの子に「橋本さんってどんなプレーヤーなの?」って聞いたら「なんでも出来るんです」って言っていて…何でも出来るんですか(笑)?!野球で言えば、ピッチャーも出来て、キャッチャーも出来るの?って聞いたら「そういうタイプです」って言うから、それはすごいな、と(笑)。
橋本 :キーパーは無理ですけどね(笑)。要するに…器用貧乏みたいなものですよ。最近は、そのことで逆に困っているというか(笑)。どこでも出来ると思われているせいか、逆に、ここ、っていうポジションがなかったりするので。
河野 :優勝した年はボランチっていう印象が強かったですけどね。
橋本 :05年は比較的ボランチで定着していましたからね。ただ、それ以降は、結構いろんなポジションを漂流しています(笑)。
河野 :ボランチって楽しいんですか?

橋本 :そうですね。僕はそこが一番自分にあっているかな、っていう風には感じていますね。変な言い方ですけど、やっていて一番、疲れないんです。しんどくない。これは他のポジションをやったからこそ気づいたことでもあるんですが、やっぱり疲れ度合いが違うっていうのを改めて実感しましたね。それもあって「ああ、自分が一番あっているのはボランチだな」と。同じ守備といっても全然違いますからね。ボランチ以外をやる時は、サイドをすることが多いんですけど、イコール、ランニングプレーヤーみたいな感じで上下に長い距離を走らなければいけない。だけど、ボランチは基本的に短い距離をバスケットのようにずっと動いている感じですから。要は持久系と短距離系っていうくらいの違いがあるので、それによって自分のキツさも大いに変わってくる(笑)。今年に関してはだいぶ…両方いけるようにはなってきましたけど、でも…ね(笑)。
河野 :この前、宮崎で12球団のファームチームプラス、アイランドリーグっていう四国リーグの選抜チームと、韓国のナショナルチームの4番がいる斗山ベアーズっていうチームの14チームでフェニックス・リーグという教育リーグを3週間、14試合やったんですよ。その時に斗山ベアーズの監督が言っていたんですけど、そういう試合の時は若い選手にはシーズン中とは別のポジションをやらせることが多いそうなんです。そうすると、いつも自分のポジションでやっている時の、得意なプレーとか、いいところが出せなかったり、逆に思いもよらなかったりすることが出来たりもして…野球というのはどうしてもマンネリ化していくスポーツでもあるので、そういう感覚的なものを一度変えることも大事だっていう風に考えていらっしゃるみたいなんですよね。それを聞いて僕はすごく納得したんですけど、それと同じで、橋本さんの場合も違うポジションをやることの良さ、プラス材料も絶対にあると思いますよ。
橋本 :確かにそれは言えていますね。実際、他のポジションをやったからこそ見えてくることって必ずありますから。ちなみに、そこにいた選手たちっていうのはいくつくらいの選手でした?
河野 :うちの場合、基本メンバーは25才以下で考えていますね。大卒で2年目くらいが基本かな。今年はちょっと人数が足りなかった関係で28才くらいの選手もいたりしたんですけどね。
橋本 :やっぱり、野球の年齢的な感覚はサッカーとは違うのかなぁ。というのも、僕は今、28才で来年で29才になるんです。で、そろそろベテラングループに入れられそうな感じで…チームの中で、今年で中堅は終わりみたいな、雰囲気があるんですよ(笑)。ただ野球だと僕らの年齢はまだまだ若手と見てもらえるというか…前に、阪神の野球の…橋本健太郎さんと食事をする機会があって。僕より1才下の選手なんですけど、食事した翌日に新聞を見ていたら『期待の若手』と書かれていた(笑)。で、うらやましいなと思った記憶があります(笑)。
河野 :へぇ。そういう違いがあるんだね(笑)。ところで、育成の参考にさせてもらいたいんだけど、橋本さんはこれまでのキャリアの中でいい指導者に巡り会えたなっていう風に感じていますか?
橋本 :そうですね。僕の場合、中学、高校、プロと…しかも学年ごとに監督やコーチが変わるという珍しい状況ではあったんですけど、それが逆に僕にとっては新鮮だったし、そうやっていろんな人に…例えば体育会系のスパルタ的な指導者もいれば、サッカー協会にも行っていたような科学的に指導してくれる指導者もいたり、代表の監督をしていた指導者もいたりしたんですけど…そういったいろんな人に教えてもらったのは良かったのかなっていうのは、今になって思います。
河野 :いい指導者に巡り会えることってすごく選手にとって大事なことですよね。もちろん、それは選手側が一方的に願っても実現しないもので、その時の運というか巡り合わせみたいなものもあるんだろうけど。
橋本 :確かに、運は大きいですね。僕の場合、プロに入ってからも最初は全然、試合にも出られなくて…っていうか、ずっとサテライトだったんですよね。ひどい時は3人で練習していたこともあったりして(笑)。ただ、ある年にその3人のうちの2人が戦力外になって、僕一人になったことで、トップと一緒に練習をさせてもらうようになって。というか、チーム全体が新しいシーズンを迎えて仕切り直し、的な雰囲気があったんですけどね。その時に、たまたまカップ戦で出場チャンスをもらったら点が獲れて(笑)。そこから少しずつ使ってもらえるようにはなったんですけど、その監督も次の年の半年間でやめてしまって。その後、新しく来た監督には最初使ってもらえなかったんですけど…っていうのも、同期に稲本潤一が同じポジションでいましたから。当然、彼が優先的に使われる分、僕は彼がケガなどで出られない時だけ試合に出れるっていう感じだったんです。そしたら、稲本が21才の時にアーセナルに移籍して、ポジションがあいて。そこを誰がやるかっていうのでやりくりする中で試合に出れるようにはなった。でも、チームとしての結果が出ずに監督が交代になり…今の西野監督が来たんですが、西野監督にはある程度、コンスタントに使ってもらえるようになった、と。って考えると、僕は結構、運で進んできているなって思うんですよね。稲本がずっといたら、ずっと出れなかっただろうし…今もここにいないかもしれません(笑)。

河野 :とはいえ、その時々で橋本さんなりに我慢もして切り抜けた時期もあっただろうから、正確にはやっぱり運だけでもないんでしょうけどね。今の立場で選手をみていても、やっぱり指導者、コーチのアドバイスに対してうまく吸収、消化が出来る選手っていうのは大成するというか。言われていることに対して「関係ないや」ではなくて、もちろん全部は納得できないかも知れないけど、選択肢の1つとして考えられる選手っていうのは、後にいい選手になっていく。そういえば、最初に、ハワイ・ウインターリーグに行って来たっていう話をしたじゃないですか?これは20~21才くらいの有望な若い選手を集めて2ヶ月間の日程で行われる教育リーグなんですけどね。今回、そこのチームにうちの選手3名を派遣していたんですよ…過去にはブレイク前のイチロー選手や小久保裕紀選手なんかも参加して首位打者を獲ったりしたんですけどね。で、そのうちの選手が所属したチームの監督を、アメリカのアトランタ・ブレーブスでマイナーの監督を20年くらいやっている人が、バッティングコーチをヤンキースのAAで監督をやっている人がやっていたんですけど、その人たちといろいろ話をしていたら、「さすがにここに来る選手は所属しているチームの教える型が出来ているし、いい選手ばかりで悪送球なんかは絶対にしない。ただ、ここから彼らがよくなるかどうかは、野球に対する姿勢次第だ」って言うんですよね。いかに、野球に真摯に向き合えるか、と。その言葉も深いなと思ったんだけど、そこに来ていた選手に、すごく下手な選手が一人いて(笑)。ただ、彼は…ショートを守っていたんだけど、常に守りの時は全力で走っていってポジションにつくし、帰ってくる時も選手の中で1番最初に、全力で帰ってくる。ずっと声も絶やさないしね。で、その監督、コーチたちの話を聞いていたこともあって、その選手にも話を聞いてみたいな、と思って練習後に話したら、お父さんがAAAまでいった選手らしくて。そのお父さんに彼はいつも『ピート・ローズやエクスタイン選手を見習え』と言われていたそうなんだ。ピート・ローズはシンシナチ・レッズのスーパースターで、エクスタイン選手は何年か前に優勝したアナハイム・エンゼルスのショートを守っていた選手なんだけど、とにかく野球に対して一生懸命だった、と。ただ彼はこうも言ったんだよね。「僕は親父に言われたから、そうしているんじゃない。僕は野球を尊敬している。だから一生懸命野球をやるんだ」と。で、なぜ、野球を尊敬しているんだ?って聞いたら「野球は一生懸命やっていると、必ず良いことがもたらされるからだ」と。野球は裏切らない、という答えが返って来た。なんか、メジャーはいろんな意味で歴史があるし、深いなって思った出来事だったよ。
橋本 :いい話ですよね…本当にその通りですよね。僕もサッカーに対して真摯でなければいけないなって思いますね…。ただメジャーと日本のプロ野球を比べても亮さんが差を感じるように、日本での野球とサッカーを比べても、野球は歴史が深いなって思いますよ。もちろん、サッカーもヨーロッパとか、国技と言えるくらいにまでなっている国に行けばそんな感じだと思うんですけど、日本はまだ遅れていますからね。日本も日本のシステムを作ろうとしているようには感じるし、その中で歴史を作っていっているようにも思いますけど、まだまだ国技と呼ぶにはほど遠いものがありますから。それにしても、すごく楽しい話をありがとうございました。っていうか、まだまだ聞きたいことはいっぱいあるんですけど、時間ですよね…残念です。
河野 :僕もすごく貴重な時間になりました。どうもありがとう。また橋本さんの話も、うちの若手選手にさせてもらいます(笑)。
橋本 :ありがとうございました。またどこかでお会いできたら嬉しいです!

text by/misa takamura

河野亮/プロフィール
1971年5月3日生まれ。ヤクルトスワローズ、福岡ダイエーホークス、中日ドラゴンズ、オリックス・ブルーウェーブでプレーした後、某スポーツ用品販売店でのサラリーマン生活を経て、05年に株式会社楽天野球団に入社。東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍総務を経て、現在は、チーム統括本部 編成部 ファームディレクターを務める。