vol.36 中川聴乃(バスケットボール選手)
|橋本:聴乃ちゃんはやっぱり身長が高いから、バスケットを始めたの?
|中川:そうですね。あとは、たまたま小学校の時の担任の先生がバスケットの顧問をしていたこともあり、「バスケット部に入らないか」って誘われたんですよね。しかも仲が良かった友だち何人かが、みんなバスケットを始めたもんだから、これはもう入るしかないな、と思って入部ししました。
|橋本:出身地の長崎県自体は、バスケットが盛んだったの?
|中川:全国の中では結構、強いチームは多い方かも知れないです。
|橋本:でも、高校時代、長崎から名古屋の高校に転校しているよね? それはなんで?
|中川:中学から高校に上がるタイミングで、何校かから「うちでプレーしないか」みたいな感じで声を掛けてもらっていて。私としては本当はその時により強い高校に行ってバスケットをしたいと思っていたのですが、私の通っていた学校法人純心女子学園は中学、高校の一貫教育で知られている学校でしたからね。それもあって高校に上がるタイミングでは純心を出るのが難しいということになり「それなら、純心でしっかり頑張ろう」と思って県外に行くことはあきらめたんです。でも高校生になって、インターハイや国体に行くにつれて「やっぱりもっとレベルが高いところでやりたい」という思いがどんどん強くなって。それもあって、当時、強豪として知られていた名古屋の桜花高校に転校することを決意しました。
|橋本:実際に入ってみて、桜花高校のバスケットのレベルとか練習内容は、どうだったの?
|中川:それはもう、全てが違いましたね!中でも一番違いを感じたのは、バスケットをやる環境がすごく整っていたこと。実業団クラスというか…もしかしたら実業団以上にバスケットをする環境が整えられていたし、練習も厳しかったけど、高いレベルの中でプレーすることが楽しくて仕方なかった。それまで自分がやってきたバスケットとはまた違って、単にたくさん練習をして、巧くなればいいというよりは、理論的なこともたくさん学ぶことができたのも良かったと思います。
|橋本:単身で名古屋に乗り込んだの?
|中川:はい、乗り込みましたね(笑)。だから寮に入りました。っていうか、桜花高校はそういう生活環境も充実していた分、私だけではなく、沖縄から北海道までいろんな県から選手が集まっていました。
|橋本:高校時代は178センチだったって言っていたけど、高校の中ではその身長はもちろん大きい方だったよね?
|中川:大きい方だったけど、一番ではなかったですね。180センチの選手もいましたし。
|橋本:180センチの女子高生って、なんか想像つかへんな(笑)!
|中川:確かに、多くはないですね(笑)。
|橋本:聴乃ちゃんの場合、背は高いといっても、線は細い感じだけど、女子のバスケット選手ってみんなそんな感じなの?ゴツい感じではない?
|中川:どうだろう…でも私は基本的に昔からずっとこんな感じですね。筋トレはちゃんとしているんですけどね。ただ…基本的に筋トレは好きじゃないというか、あわないです。筋肉がつきすぎると、プレーの幅が狭まるし、パフォーマンスが下がる気がして…だから出来ればやりたくない(笑)。
|橋本:サッカー選手でもそういう選手はいるけどね。なんていうか…キレ重視の選手は、自分のインスピレーションで動こうとした時に、筋肉がつきすぎていると身体がついてこなくなるらしい。
|中川:分かります!基本、私も自分の感覚というか、直感を大事にプレーするタイプですから。
|橋本:直感かぁ。イマジネーションの部分も重視されるスポーツは確かにそれがすごく大事なところもあるよね。ちなみに、バスケットはどんな能力が優れていたら、いい選手になると思う?
|中川:足は少々遅くてもいいけど、1歩目が速い選手かな。抜くタイミングや、判断のタイミングなど、全てのシーンにおける『瞬間的な1歩目』の動作が速い人。そう思うからこそ、私もプレーする上で『1歩目』はすごく意識しますね。
|橋本:それって、もちろん技術があっての話よね?
|中川:う~ん。説明が難しいですが、技術が少々低くてもこの世界でプレーしている人たちはたくさんいて。そういう選手がどうして生き残れるかと言うと、やっぱり『1歩目』の、瞬間的な速さに長けているからだと思うんです。あとは…頭を使える人。これはサッカーや他のスポーツでも同じだと思いますけどね。
|橋本:僕はまだ聴乃ちゃんがプレーしているところを見たことがないけど、自己判断では、女子バスケット界の中で聴乃ちゃんの『一歩目』は速い方?
|中川:自分で言うのもなんですが…おそらく速い方だと思います。
|橋本:それは意図して身に付けたものなのか、あるいは天性の才能の部分なのか?
|中川:さっきも言ったように私の場合、感覚的にプレーするタイプですから。実際、これまでも頭を使ってというよりは、自分のひらめきとか直感でプレーして来た感じなんですよね。昔から、いろいろ計算して考えて、というよりは感覚で…こっちに動こうとか、あっちに動こうという感じで自然に身体が動いていた。そう考えると意図的に身につけたというよりは、天性のものかも知れないですね。
|橋本:でもさっき、頭を使える選手はいい選手だって話があったよね(笑)。そことは矛盾してない?
|中川:頭を使うことの大切さは社会人になって気づいたというか。今まではずっと感覚だけでプレーしてきたけど、シャンソンでプレーするようになって、頭を使ってプレーすることが出来るようになれば、もう少し自分のプレーもよくなるのかなっていう風に思えるようになりました。それもあって、今は結構、頭を使う練習をしているというか。手術をしてプレーをできないから、っていうのもあるとはいえ、最近はテレビとかでバスケットを見るにしても、以前よりも考えながら見るようになった。
|橋本:『見る』部分で他のスポーツを参考にすることはある?
|中川:以前は全く興味がなかったんですよ。同じ静岡を拠点とするJリーグの清水エスパルスの試合をチームメイトが観に行った時も、私は疲れるから行かない、みたいな感じで行かなかったくらいですから(笑)。でも最近は、橋本さんと知り合ったり、ケガを通して他の競技の方と接する機会も増えたことで、他のスポーツにも興味を持つようになって。テレビとかでサッカーの試合を観ながら、頭の中で「ここでこういうプレーをしたら面白いのにな」とか「こうやったら巧く行くかも」っていうようなことを考えるのが楽しくなってきた。っていうか、今はそれしか出来ない分、余計に楽しく感じるのかも知れないけど。
|橋本:自分のプレーにおけるイマジネーションの部分は、どうやって身につける感じ?それも『見る』ことによって学ぶこともあったりする?
|中川:いやぁ…基本、見るというよりは、やっぱり自分で動く中で、自分の感覚をプレーに取り入れていくという感じですね。
|橋本:あまりトリッキーなプレーは好きじゃない?
|中川:いや、むしろトリッキーなプレーが好きなんです。でもそのトリッキーなプレーも誰かを真似て…というよりは、殆ど自分の感覚ですね。「こうしたら面白いだろう」とか「こういうプレーは有効かな」って思うことをどんどんコートの中でやっちゃう。ループパスがきた時に、空中でとってそのままシュートしちゃうおとか、ガガガッ~と自分で切れ込んでいっちゃおうとか。新しいプレーの感覚が次から次へと沸いてくる感じで、それを体現していくのが楽しいんですよね。
|橋本:じゃあ、今のそういう感覚的なアイデアをもとにしたプレーに、ケガをしたことによって身に付きつつある『考えるプレー』が加わったら、復帰後は更にすごい選手にスケールアップしてそうよね!
|中川:だといいですけどね。ケガをする前も、今まで感覚だけでやっていたことに頭がついてくるようになりつつあったんですけど、手術の間に更に考えることのクセがついた分、復帰後、また自分のプレーがいい方に変わっていたらいいなとは思います。ただ、感覚的なものはやっぱり私の武器でもあるので、それは大事にしたいですけどね。
text by misa takamura
中川聴乃/プロフィール
1987年4月26日生まれ。長崎県出身。182センチ。フォワード。地元長崎の仁田小学校から純心中学、純心高校と進み、高校一年生時に名古屋の強豪、桜花高校に転入。その高校3年生時には日本代表に選出される。卒業後はシャンソン化粧品に入社。シャンソンVマジックの選手として1年目から活躍し、同年のドーハアジア大会の日本代表にも選出された。その後は膝のケガに苦しめられる時期が続き、今年、手術を決意。無事手術を終えた今は、リハビリをしながら来年の復帰を目指している。
vol.35 中川聴乃(バスケットボール選手)
|橋本:というわけで、ここからはバスケット界の話を聞かせてもらおうかな。いま、トップリーグは8チームだよね?
|中川:トップリーグであるWリーグが8チームで、あと、サッカーでいうJ2リーグにあたるW1リーグが5チームです。入れ替え戦も行われていて、Wリーグの最下位と、W1リーグの1位が入れ替え戦をします。Wリーグについては上位4チームによるプレーオフもありますよ。
|橋本:シャンソンは近年、リーグ優勝はしてないよね?JOMOが強いんだっけ?
|中川:そうですね。今はJOMOではなく…親会社のジャパンエナジーが新日本石油と合併した関係でチーム名が変わり『JXサンフラワーズ』と言うんですが、相変わらずそこがダントツで強い。シャンソンも以前は強かったんですけど、優勝は05年を最後に一度もしていません。つまり、私がシャンソンに入部した06年から一度も優勝していないということになる。プレーオフにあがって2位までいったことはあるんですけど、結果的に優勝はJOMOにもっていかれてしまった。最近はトヨタ自動車アンテロープスも結構強いけど、選手層の厚さを考えてもやっぱりJXサンフラワーズが一番強いと思います。
|橋本:基本的に実業団という位置づけになると思うんだけど、会社のサポートはどこもしっかりしている感じ?
|中川:バスケットをする環境ということではシャンソンは恵まれていますね。会社にもしっかりサポートしていただいていて、バスケットだけに専念できる環境を整えてもらっていますしね。実際、私たちはバスケットをすることを会社の宣伝活動の一貫として認めてもらっているから普段は全く仕事はしていなくて、プロと同じようにバスケットだけをさせてもらっているけど、Wリーグに所属する全てのチームがそういう訳ではないと思います。それに、うちは常駐のトレーナーやチームドクターがいますけど、そうじゃないチームもありますしね。
|橋本:1チーム、保有選手はどのくらいいるの?
|中川:14~15人です。サッカーは?
|橋本:30人前後かな。そう考えるとバスケットはえらい少なく感じるけど、…サッカーはスタメンが11人で、その約3倍くらい保有選手がいると考えたら、5人でプレーするバスケットがその3倍の15~16人というのは妥当か。チーム内で紅白戦をするにしても最低でも倍は必要だし、ケガで離脱する選手がいたり…ってことを考えても、もう1チーム分余らせるくらいの人数はいる…よね?
|中川:そうですね。ただバスケットの場合は、メンバー交代に制限がないので、監督が出そうと思えば所属選手全員が試合に出ることはできます。
|橋本:フットサルのような感覚か。じゃあサッカーファンの人も、フットサルをみるような感覚で、バスケットを観に行ったら面白いかも。
|中川:ぜひ、来てほしいですね。バスケットを知らない人にも見に来てもらって楽しさを味わってもらえたら嬉しいから。
|橋本:いま、1試合あたりどのくらい集客があるの?
|中川:場所とチームの人気によっても全然違います。Jリーグもそうかも知れないけど、強いチームはやっぱりたくさん入りますね。でもシャンソンは…毎試合500人に満たないくらいかなぁ。静岡で試合がある時はほぼ満員だったりもするけど、体育館だから満員といってもそんなに多くない(笑)。面白いカードの試合だったりすると、立ち見が出るくらい観に来てもらえることもあるんですけどね。
|橋本:ファン層は女性と男性ではどちらが多いの?
|中川:チームにもよりますが、うちは男性が多いですね。ただJOMOは逆に女の子のファンが多い。所属選手の雰囲気にもよるのかなぁ。例えばJOMOは男っぽくて格好いい人が多いから女性ファンが多いとか、うちはそんなに背も大きくない選手が多く…どちらかと言えば女性っぽいタイプが多いから男性ファンが多いのかもしれない。実際、身長的にも私で一番大きいくらいですから。
|橋本:よく選手紹介のプロフィールに身長や体重が載ってるやん?バスケットの選手って、少しでも大きくみせたいからと、大きめに書いたりするものなの?あるいは、逆に小さくみせたかったりするのかな…。
|中川:どうだろう。でも、基本的に、小さくみせてる人が多いんじゃないかな。私はそのまま書いているのに180センチもあるようには見えないらしく、たまに「大き目に書いてる?」って聞かれるんですけど、サバは読んでいません(笑)。サッカー選手はどうですか?
|橋本:そこは見栄で大きめに書いている選手が多いんじゃないかな。例えば、うちのチームの佐々木勇人はG大阪に移籍してきたばかり時、プロフィールに168センチって書いてあって。「ホンマに168センチもあるか?」って話していたら、そのあとに下部組織からトップチームにあがったMF安田晃大(現ギラヴァンツ北九州)が165センチでさ。その晃大と勇人が並んだ時に「ほら、ほぼ一緒やん!」っていうことになり、そのあと、勇人はプロフィールの身長を165センチに訂正していたわ(笑)。身長と言えば、最近、聴乃ちゃんが気にしていた猫背、直ってきたんちゃう?まあ、それは小さくみせたいが為に猫背になった訳じゃないと思うけど。
|中川:そうですね(笑)。これは… 自分の接する人が自分より身長が小さい人が多い分、目線をあわそうとしたら自然に猫背になっているという感じで。でも鳥取でちゃんと直した方がいいと言われてから意識してやっているとずいぶん、マシになった気がします。ただ…意識していないと気がついたらすぐに戻っちゃってることも多いです。
|橋本:じゃあ、そこも徐々にってことやね。ところ聴乃ちゃんで一番身長が高いっていうことは…女子チームの平均身長はスターターの5人では何センチくらいなの?
|中川:確か…平均で171~172センチくらいかなあ。
|橋本:え!?思ったより小さい!
|中川:そうなんですよ。だから意外と驚かれます。ポジションによっては165センチくらいしかない選手もいるので結局、平均するとそのくらいになっちゃうんです。
|橋本:スラムダンクでいう宮城リョータのポジションは、小さくていい、と(笑)。
|中川:そうですね。彼はポイントガードですが、他にもFWとかシューターは基本、そんなに身長が高くなくても大丈夫です。でもセンターは178~180センチ越えの選手が多いです。
|橋本:あれ?聴乃ちゃんセンターだった?
|中川:いや、私はFWです。FWで 180センチあるのは…珍しくはないけど、そんなに多くはないかな。ただ何人かはいますよ。それに私の場合は身長が大きい分、ポジションはFWとはいえ、センターの場所に入ってFWのような動きをしたりすることも結構あります。
|橋本:じゃあバスケット選手って背が高ければいいって訳でもないのか。
|中川:さっきも言ったようにポジションによっては大きい方が有利だとは思うけど、例え小さくても活きる方法はあると思います。あと、プレー的にも、例えばリバウンドをとるとか、ボールカットをする時は大きい方が有利だと思うけど、逆に小さくても、すばしっこく、うまく相手をすり抜けられる選手もいますから。
|橋本:外国籍選手枠はあったっけ?
|中川:私たちが籍を置く、ジャパンバスケットボールリーグ(JBL)には外国籍選手枠がないので、日本でプレーをしようと思ったら帰化をして、日本国籍をとらなければいけません。男子の BJリーグなんかは外国籍選手がOKなので、何人かプレーしていますけどね。
|橋本:ちなみに聴乃ちゃんは、何才の時に一番身長が伸びたの?
|中川:小学校の5~6年で10センチずつ、合計20センチ伸びて168センチになり、中学で10センチ伸びて178センチになって、高校の時に2センチ伸びて180センチになったんですよね。これで止まるかなと思ったらまだ伸びて、シャンソンに入ってからも2センチ伸びて、今に至る感じです。
|橋本:すごいな!ご両親も背は高い?
|中川:お父さんは178センチ、お母さんが170センチだから高い方だと思います。
|橋本:確か妹さんが2人いたよね?妹さんたちも背は高いの?
|中川:お父さんは178センチ、お母さんが170センチだから高い方だと思います。
|橋本:へえ!姉妹でもそんなに違うんや!でもまだ一番下の妹さんはここからグンと伸びる可能性があるよね。
|中川:そうですね。でも私の中学生時代が178センチだったことを思えば、さすがにそこには及ばないと思いますけど(笑)。
|橋本:バスケット以外の他の競技に誘われたりはしなかった?
|中川:陸上部から誘いを受けたことはあります。足も速かったので、そっちかなと思ったら、高飛びで(笑)。というのも、小学校6年生の時に市の小学生が集まって競い合う運動会のようなものがあったんですよね。出場種目は玉入れから、サッカーまでいろいろあって、そのどれかに出場するんですけど、私はなぜか勝手に「高飛び」に名前が入っていて。仕方なく出場したら、そこで長崎市の記録を出しちゃったんです。それもあってオファーがきたらしい。
|橋本:高飛びって…背面跳びで飛んで記録を出したの?
|中川:それが挟み飛びで(笑)。当然ながら全く練習はせずに挑んだし、他の選手は背面で飛んでいた中で、私は挟みで飛んで記録を出しちゃったから驚かれました。
|橋本:それはすごいな!背面で飛んでいた人の記録を挟みで上回るって…もし聴乃ちゃんが背面で飛んだらすごいことになっていたんやろうな(笑)。しかも、今の高飛びの選手を見渡しても、おそらく日本人で180センチ以上の人っていないでしょ? そう考えると、海外に対抗していくには聴乃ちゃんのような背の高い陸上選手の誕生が求められているのかもしれない。垂直跳びとかも結構飛べるの?
|中川:図ったことはありますけど…数字は覚えていないですね。
|橋本:バスケット選手にとって、垂直跳びをどのくらい飛べるかはあまり関係ない?
|中川:全く必要ないとは思わないけど、バスケットの場合、バレーボールみたいに上に直線的に飛ぶことより、走りながらのジャンプとかの方が多いから垂直跳びがいくら飛べても、あまり関係ないかも。ただ、滞空時間が長い選手は結構いますよ。私も空中プレーが好きなので他の人より滞空時間は…多少長いかも知れない。
|橋本:鹿島アントラーズにいるFW 田代有三っていう選手は尋常じゃない滞空力やからね。ヘディングの時に完全に空中止まっているから。だから相手DFと競りあったとしても自分だけ空中で残っていたりしてる。あれはかなりの武器だと思うわ。だって彼自身の身長は180センチくらいしかないのに、190センチくらいの選手にも余裕で競り勝ったりしているからね。あ…そう言えば、彼も福岡大学から鹿島に入団した1年目に前十字を痛めたはずだけど、今でも元気にピョンピョン飛んでいるからね。ああいう姿を見ると、ケガで離脱中の僕らとしては励みになるよ。
text by misa takamura
中川聴乃/プロフィール
1987年4月26日生まれ。長崎県出身。182センチ。フォワード。地元長崎の仁田小学校から純心中学、純心高校と進み、高校一年生時に名古屋の強豪、桜花高校に転入。その高校3年生時には日本代表に選出される。卒業後はシャンソン化粧品に入社。シャンソンVマジックの選手として1年目から活躍し、同年のドーハアジア大会の日本代表にも選出された。その後は膝のケガに苦しめられる時期が続き、今年、手術を決意。無事手術を終えた今は、リハビリをしながら来年の復帰を目指している。
vol.34 中川聴乃(バスケットボール選手)
|橋本英郎(以下、橋本):まずは… 簡単に自己紹介をしてもらっていい? このホームページを見てくれている人はあまりバスケットに詳しくないかもしれないから。
|中川聴乃(以下、中川):静岡のシャンソン化粧品でバスケットをやっている、中川聴乃(あきの)です。今は両膝の手術をしたばかりで関西の病院に入院しています。来シーズンの10月復帰に向けて、来年の4月あたりには練習ができたらなと思っているところです…というような感じで大丈夫ですか(笑)?
|橋本:ありがとう。僕が聴乃ちゃんに初めて鳥取で会ったのは…いつだったっけ?
|中川:確か去年の6月くらいだったと思います。
|橋本:そっか、そっか。僕が毎年、 1月のオフ中に身体のメンテナンスにいっている鳥取のトレーニング施設があるんやけど、去年だけイレギュラーで夏のW杯による中断期間中に行っていて。その時に聴乃ちゃんも来ていて知り合ったんよね。
|中川:そうそう。橋本さんは鳥取には毎年来られていたそうなんですけど、私はその時が初めてで。バスケットボールの選手は殆どいなかった分、やや心細かったので知り合いになれて良かったです。橋本さんの足の具合はどうですか?
|橋本:まあまあ順調かな。8月末には全体練習にも合流できそうやし、ようやくここまできたっていう感じ。聴乃ちゃんは? 確か出会った後、一度復帰したのに、そのあとまた離脱して、今回の手術ということになったんよね?
|中川:そうですね。一度復帰したんですけど、自分としては難しいというか…思うようにプレーできなくて。100%のうち30%くらいの力でしかやれないという状況での復帰だったのこともあり、これはダメだな、と。実際、ドクターに診断してもらっても、手術をしないと、もうバスケットボールができないという風にも言われたので、手術をすることに決めたんです。
|橋本:具体的な手術の内容は?
|中川:軟骨移植手術ですね。膝の軟骨がダメになったので、それを取り外して自分の膝の外側の軟骨を移植しました。
|橋本:もともと、どういう原因で痛みを感じ始めたの?長年の蓄積によるものなのか、単発的なケガによるものなのか。
|中川:基本的には使い過ぎですね。実は私、半月板も3分の2しかないんですけど、それによるダメージが軟骨にもいってしまい、今の軟骨では耐えられない状況になっていたみたいで。バスケットの選手にはよくあるケガなんですけどね。
|橋本:競技性を考えても、膝に負担がくるんやろうなぁ。
|中川:はい…でも結局、殆どの人がだましだましというか…我慢して注射を打ちながらやっているという状況で、私もかなり我慢していたんですけど、限界がきました。
|橋本:女子は我慢強いからなぁ…っていう話を前回、このコーナーで対談した岩城ハルミさんという五輪にも出場したことのある元バトミントン選手と話していたんやけど(笑)。ハルミさんも疲労骨折を我慢して注射を打ちながらやっていたら、結果的に骨が壊死したような状態になり、結局手術した、と。でもある大会に出たくてリスタートで復帰したら、今度はその周りのお肉がそげ落ちてしまって…っていう話をしていたよ。
|中川:注射打って我慢って…分かります。ただ、私は手術に踏み切る前も痛み止めの注射は打っていないんですよ。というのも、痛み止めの注射を打っても良くならないという考えが自分の中にあったから。結局その時は痛みを多少押さえられたとしてもケガそのものが良くなる訳じゃないし、むしろ悪くなってしまうことの方が多いですからね。だから私は基本的に、痛み止めの薬とヒアルロン酸を週1回くらい打って、栄養を与えるということを続けていたんですけど、結局、殆ど痛みはとれなくて。って言っても、薬を飲んでとれるような痛みではないのは分かっていたんですけどね。
|橋本:このタイミングで手術に踏み切ったのは、痛みに限界がきたから?
|中川:それもあるけど、いま24才ですからね。ここから先の選手人生を考えた時に今しっかり治しておかないと先はないと思ったことが一番大きかったと思う。
|橋本:具体的にいつまでバスケットをしたいとか考えているの?
|中川:やれるところまで、ですね。
|橋本:シャンソン化粧品の所属選手をみていると、一番年齢が上の人で30才くらいだったと思うけど、バスケットの世界での30才はまだ余裕でやれる感じ?
|中川:やれますね。もちろん、多少練習で調整するところはあると思いますけど、身体のケアさえしっかり出来ていればやれると思うし、私もそのくらいまでは最低でもやりたい。というのもシャンソン化粧品に入部してから、ずっとケガをしていましたからね。シャンソンに入って1年目の5月に、ナショナルの合宿にいっていたんですけど、何の前触れもなくいきなり膝が腫れてきちゃって。膝が曲がらなくなってしまったから病院に行ったら、軟骨のことを言われてしまった。そこからずっと膝の痛みを抱えてやったり、休んだりでしたから、今回はしっかり治して、とにかく痛みを感じずにバスケットを思い切りやりたい。
|橋本:今後のスケジュールは?さっき、来年の4月にはっていう話をしていたけど。
|中川:もう少し入院した後、今度は東京の病院で1ヶ月間、リハビリ入院をして、そこで筋力をつけるトレーニングをしてもう少し筋量をあげてから、10月くらいにチームに戻る予定です。そこから来シーズンの10月の開幕に間に合うようにと思っているので…そうなると結果的に1年くらいかけてリハビリをすることになると思います。一応、ドクターには復帰のメドは術後6ヶ月と言われていますが、私は両膝を手術しましたからね。一度に執刀すると歩けなくなるから左足を3月の末、右足を8月の半ばに手術したので、来年4月くらいにはチームの練習に合流できたらいいかなと。
|橋本:そうか。先は長いけど、あまりいろいろ考えずに、やるしかないもんね。
|中川:はい。そこは気長に頑張ります。
text by misa takamura
中川聴乃/プロフィール
1987年4月26日生まれ。長崎県出身。182センチ。フォワード。地元長崎の仁田小学校から純心中学、純心高校と進み、高校一年生時に名古屋の強豪、桜花高校に転入。その高校3年生時には日本代表に選出される。卒業後はシャンソン化粧品に入社。シャンソンVマジックの選手として1年目から活躍し、同年のドーハアジア大会の日本代表にも選出された。その後は膝のケガに苦しめられる時期が続き、今年、手術を決意。無事手術を終えた今は、リハビリをしながら来年の復帰を目指している。
vol.33 岩城ハルミ(元バドミントン選手)
|橋本:ハルミさんは何年で引退されたんですか?
|岩城:バルセロナ五輪に出場した年、92年に引退しました。先ほどちらっと話しましたけど、五輪前は本当にいろんなことがありすぎて…それでも、自分としては出来ることを目一杯やって、実際に五輪にも出場できましたからね。そこで「もう、いいかな」と思えた。それに、所属していた尚美学園の子供たちの方に何かしてあげたいっていう気持ちも強かったので、スパッとやめて指導者の道へ進みました。
|橋本:そんなにスパッとやめられるもんなんですか?!っていうか、実際に、やめたあとの気持ちはどうでしたか?
|岩城:すぐに指導者としての生活がスタートしたし、あまり考える間もなかったので…やめたことに対してはあまり深く考えなかったですね。それに、ずっとバドミントンだけをして生きてきた分、他の道にチャレンジしたいという気持ちも強かったですから。実際、引退後は指導者をしながらも、着付けの先生の免許をとったり、トールペインティングに挑戦したり、やりたいと思うことはいろいろとやって…それに、その頃にはちょうど結婚願望も出て来た頃でしたからね。バドミントンの指導をしながらもいろんなことを欲張りに考えていた気がします。
|橋本:そのタイミングで岩城トレーナーに出会ったんですか?
|岩城:はい。引退したのが28才で、引退後も関西に帰らずに東京で指導者の道をスタートさせたんですけど、親にしてみたら、そろそろ結婚をと思っていたらしくて。「いい人を紹介してくれる人がいるから会わない?」みたいに言われたんですけど、私としてはいまいちピンとこなかったし、とりあえず「紹介されるならこんな人じゃないと嫌や!」っていうのを紙にバ~ッと書いたんです。
|橋本:うわ、めっちゃ面白い。どんな条件を出したんですか?!
|岩城:ありきたりですけど…身長が 180センチ以上、血液型が私と同じO型。で、次男。もちろん経済力もあり…といっても金額は明確に言った訳ではないですけどね(笑)。あとはやっぱりスポーツをしている人で優しい人。それから、同じ年の人は嫌だ、と。私自身がいろんな経験をして生きて来ただけに、同じ年の男性では頼りなく思ってしまうような気がしたので…くらいかな。そんなに難しくないですよね?
|橋本:いや、結構、難しいと思いますよ(笑)。で、それに岩城トレーナーが当てはまった、と。
|岩城:全ての項目にあてはまった訳じゃないですけどね。ただ会ってみようという話にはなって、実際に会ってみたら、めちゃくちゃ優しくて。バドミントン界ではあり得ないくらいレディファーストで、こんな人がおるんや!って驚いた。ただ私も当時はまだ東京にいたので、最初は遠距離恋愛だったというか。主人も出張などでこっちに来ることが多かったから、ちょくちょく会っているっていう感じでした。ただ…なにせ、デートがお寺とか古風な場所が多いことにびっくりして(笑)。もともと私がモロ、体育会系でそういうタイプではなかったからっていうのもあったと思うんですけどね。
|橋本:岩城トレーナーがそういう場所を好むというのは何となく想像できます(笑)。で、どこに惚れたんですか?
|岩城:とにかくすごく気がつくし、気配りが出来る人だなっていうのは思っていましたね。ただ…なかなか煮え切らないというか。出会って2年くらい経っても手も握らない、くらいの感じだったから、これは白黒ハッキリさせたいな、と。それで本来、積極的なタイプの私としては我慢できずに「結婚する気とかあるんですか?」って自分から聞いちゃった(笑)。
|橋本:そんなレアな話を載せても大丈夫ですか?! で、返事は?
|岩城:確か…ちょっと考えたのかな? 実際、プロポーズされたのも半年後でしたしね。そもそも遠距離恋愛だったということもあて、なかなかお互いに盛り上がらないところもあったのかもしれないですけど、でも、とにかく主人と一緒にいると居心地がよかったですから(笑)。それに、さっき挙げた条件とは違って、主人とは同じ年だったんですけど、いろんなことを知っていて同じ年だとはぜ全く思えなくて。実際、今では私以上にいろんな経験をしてきているので私の方が頼りっぱなしですからね。
|橋本:はい、ごちそうさまです(笑)。そして、今では2人の息子さんと1人の娘さんの3人の子供とともに…いや、違ったハルミさんを含めた4人の子供と幸せに暮らしている、と(笑)。息子さんたち2人はサッカーをしているようですが、どうですか?楽しんでやっていますか?
|岩城:どうなんですかねぇ。見ていて歯がゆい部分も結構ありますけど、そこは息子たちの自主性に任せて我慢しながら見守っています。
|橋本:本音を言えば、もっと練習しろ!走ってこい!と言いたい、と?
|岩城:はい…ゲームをしている暇があったら外に行って走ってこい! ボールを蹴ってこい!と言いたい気持ちはあります。あの…橋本さんはゲームってどう思います? 私は自分が全然興味がないこともあって、いまいち、ゲームをすることの楽しさが理解できない!!
|橋本:僕が思うに、ゲームはゲームで意外といいと思いますけどね。というのも、ゲームには発想力、イマジネーションに繋がるところもたくさんあるから。サッカーをしていると、大人になって、レベルがあがるにつれて、遊び心が出しにくくなるじゃないですか? 子供の時にやっていた「これをやってみよう」というチャレンジがなかなか出来なくなる。実際、僕らでもプレーのレベルがあがっていくにつれて、チャレンジのパスより、成功するパスを選んでしまう自分がいたりしますからね。でもそれがゲームでは出来るというか。ゲームではミスが許されるからイマジネーション豊かにプレーできる。そう考えると決して悪いとは思わないです。
|岩城:うちの子はまだ橋本さんたちほど技術がないのに、それでもいいんですか?
|橋本:はい。僕は頭を使うことの訓練にもなるからいいと思いますよ。ただ、対戦相手がコンピューターばかりだとよくないというか。対人でやればその人の性格が見えたりもして面白いけど、相手がコンピューターだとそれが望めないですからね。できれば人と対戦した方がいいとは思います。実際、僕らもチームメイトとゲームをすることもあるんですが、それぞれの性格が見えて結構、面白いですよ。それに、その選手が普段、どういうチームでプレーしているのかも分かる。実際、パスサッカーが中心のチームの選手はパスを繋ごうとするし、ドリブル中心のチームならドリブルをしようとしますからね。逆にパスサッカーのチームにいても、自分が「ドリブルをしたい!」と思っている選手はドリブルを仕掛けて来たりもして…。ちなみに僕は実際のプレースタイルとは全然違ってめっちゃドリブル派なんです。それはおそらく潜在的にドリブルをしてみたいっていう気持ちがあるから。そういう意味でも、ゲームの中だけでは違う選手になれるし、違う発想を持てるから楽しさは理解できます。
|岩城:それを実際のプレーでやってみようということはないんですか?
|橋本:あります、あります。ゲームで成功したスルーパスにチャレンジしてみたり。そういう意味ではイマジネーションを鍛えるにはいいと思いますけどね。だから禁止はしないであげてください(笑)。
|岩城:そうですね。いや私も…何をやっても無駄なことは一つもないと思っているというか。自らやろうと思ってすることは全てプラスになると思っているんですけど、あまりにも長い時間やっているとついつい文句を言いたくなってしまう。
|橋本:メリハリは確かに必要ですよね。でもそれも、本人たちがそう思えないと意味がないのかもしれない。
|岩城:そうなんですよね。結局、自分がやらなければ、と思わないと始まらないし、身に付かないですからね。そう思うからこそ…我慢、我慢です(笑)。
|橋本:そろそろ締めに入ろうと思うのですが大丈夫ですか? 最後にケガから復帰されたハルミさんに、今まさにケガから復帰しようしている僕に対してのメッセージ、アドバイスを貰えたら嬉しいんですが。
|岩城アドバイスって言うのはおこがましいんですが、ケガのことって、痛みも、“出来る、出来ない”のラインも、自分が一番分かっていると思うんですよね。もちろん、ドクターやトレーナーの方たちもケガの状態は十分に把握して下さっているだろうし、常に見ていてくれるだろうけど、何よりも自分自身が一番分かっている。だからこそ、自分が設定する“出来る、出来ない”のラインを少し下げたらどうかなとは思います。というのも、一流の選手ってどうしても“出来る”ラインをギリギリの高さに設定しちゃうところがあると思うんですよね。橋本さんもそうだと思うんですけど、ラインをギリギリに設定して頑張ってしまう。ただ…いろんな経験をされてきているので、私が言うことではないとは思いますが、若い時のケガではないからこそ…先のことを考えればこそ、そのラインを少し下げながらやっていくのがいいのかな、と思います。
|橋本:おっしゃっていることはすごくよくわかるし、僕自身も今のテーマは「やりすぎない」ことと、「焦らない」ことですからね。そういう冷静な自分というか、客観的に「焦るな」と言える自分がいないと、自分を止められなかったりしますしね。
|岩城:そうなんです。私もそれで自分を止められずに苦しんだだけに、そこは気をつけて欲しいです。ただ、プロゆえになんでもかんでも安全に、安全にとやっていてもダメなことも分かるので、そこはドクターやうちの主人も含めたトレーナーの方たちがしっかりとついていてくれると思うので、相談しながらやっていって欲しいなと思います。実際、これを言うとノロケるみたいで嫌なんですが(笑)、私もケガをした当時に主人と出会っていたらって思うことってたくさんあるんですよね。今でもたまにケガをした際に診てもらうことがあるんですが、そうするとすごく的確にアドバイスをくれるし、すっと戻してくれる。それに何より、自分自身のケガに対する強い気持ちをすごく持たせてくれるんですよね。ケガをしたことを後ろ向きに考えさせることなく、「やるのは自分だ」という気持ちを持たせてくれる。そういう方が、主人も含めて橋本さんの周りにもいらっしゃると思うので、その方たちのアドバイスを信じて、かつ自分の中でのラインをちょっと下げて、頑張って欲しいなと思います。
|橋本:ありがとうございます。同じようなことを、他の人にも言われたことがあります。「せっかくここまで戻ってきて、今またもう一度同じケガをしたら間違いなく選手生命は短くなる。だからこそ、今はとにかく我慢しながらやりなさい」って。それもあって僕も「焦らない」ということは肝に銘じているので、ゆっくりやっていこうと思います。ハルミさんもおっしゃっていましたが、僕もこの半年、ケガをしたことによっていろんな人に出会い、いろんな話を聞く機会があったのですが、それって自分にとってすごく良かったと思うんですよね。ケガをしたこと自体を良かったとは思えないけど、そういう人との出会いは自分の財産になった。だからこそ、それを大事にしながら焦らず、やっていこうと思います。今日はいろんな話を聞けて楽しかったです。ありがとうございました。これからも岩城トレーナーともどもお世話になると思いますが、よろしくお願いします。
|岩城:こちらこそ遠方までありがとうございました。また気軽に遊びにいらしてくださいね。
取材協力/dieci
text by misa takamura
岩城ハルミ/プロフィール
1965年6月24日生まれ。大阪府大東市出身。中学1年生時に本格的にバドミントンをはじめる。中学~短大までを過ごした名門・四条畷学園では、高校2年生時に日本一の座を手に入れたのを皮切りに、卒業までその座を守り抜く。卒業後、所属した三洋電機ではケガに苦しむことが多かったが、2年半のリハビリ生活を経た88年。復帰戦となった全日本社会人大会で優勝し、劇的な復活を遂げる。以降もコンスタントに結果を残しながら、92年のバルセロナ五輪への切符を手に。同大会への出場後引退した。現在は『ヨネックスアドバイザリー』スタッフ、『オリンピアンズ協会』『大阪市ゆとりとみどり「夢・授業」講師や『パナソニックジュニアバドミントンクラブ』のコーチングスタッフとして小中学生の指導にあたる。<岩城浩平オフィシャルブログ/http://pure-city.jp/kohei/index.html
vol.32 岩城ハルミ(元バドミントン選手)
|橋本:バドミントンをする上で一番求められる能力は何ですか? やっぱりバネ?
|岩城:バネは…確かに大切ですけど、飛び過ぎてもダメらしいんですよね。なんて言うか、バネといっても、ピョンピョンと飛び跳ねるようなバネは良しとされない。
|岩城:それよりも地を這うようなフットワーク力の方が必要ですね。結局、ピョンピョン飛んでいるような人はバンっと打ち込まれたら終わりですから。もちろん、ジャンピングスマッシュとか部分的にバネが求められるプレーもあるけど、女子はそんなに使わないですしね。だから子供に指導する時も、ピョンピョンと跳ねてプレーする子には跳ねないように注意します。実際、プレーしてみたら分かると思うのですが、バドミントンは上に跳ねるというより、すり足で前に飛ぶ感じですからね。そういう意味では足の指先の強さ…特に親指の強さは求められる。特にバドミントンは、前に行って、すぐ後ろに戻るっていうような前後の動きが多いだけに、グリップ力というか、親指の強さが必要になる。実際、そういう動きに強い子は裸足を見たら分かりますよ。足の5本の指がしっかり開ける子は、地面を捕まえる力もある。
|橋本:(足の指を開いてみせて)僕、どうですか?
|岩城:結構、いい指をしています(笑)。やっぱり利き足の右の方が指が開いていますね。でも、競技性からしてプロサッカー選手はみんなある程度、グリップ力があると思いますよ。
|橋本:良かった。褒められて(笑)。
|岩城:あと…これは能力とは違うかもしれないけれど、やっぱり練習量と強さは比例すると思います。これはどのスポーツでも同じだと思いますけどね。実際、私も練習量だけは負けないというか…走り込みも、かなりやってきただけに、やっぱりそこが基本だと思ってしまう。だからこそ、今、サッカーをしている息子たちにも、そこを強調したいんですが、無理矢理やらせたくもないし、本人たちが感じなければ意味がないので、そこは我慢、我慢で(笑)。
|橋本:やっぱり自分が育てられてきた過程を間違いじゃないと思える人は、指導者になってもそれを受け継いで行くところってあるんでしょうね。ハルミさんが「やっぱり練習量だ」と言い切れるのも、それでご自身が結果を出してきたからだと思いますしね。
|岩城:それはあるかもしれません。それに…世界で勝つためには、そういう日本人的なプレースタイルが絶対に必要というか。走り込むことによって身につけたエネルギー、メンタリティが日本人選手の武器になるし、海外にも通用する要素にもなると思いますから。だからこそ、私はその部分を強調したいというか。バドミントン界もいろんな意味で変化をしている中で、新しいことを取り入れることは決して悪いことじゃないとは思うんですよ。でも、それはあくまでもベースを大事に考えた上でのプラスアルファの部分であって、全くもって日本人独特の武器を排除してしまったら、絶対に世界では勝てない。そう思うからこそ、自分の指導では走り込みもさせるし、厳しい練習もやらせます。
|橋本:言っていることはすごく分かります。僕もどちらかと言えば、厳しい育ち方をしたというか…ジュニアユース時代もユース時代もとにかく走り込みが多かったけど、今はどちらかと言えば科学的なトレーニングになっている、と。それによって技術は巧い選手も増えたけど…なんていうか、例えば下部組織からトップに昇格して来た選手って、そろいも揃ってゆる~い感じなんですよね(笑)。才能も技術もすごいけど、でも緩い。稀に宇佐美貴史(バイエルン)のような選手もいますけど、彼が海外に行けたのは、結局、個人的に負けず嫌いな面を強く持っていたからだと思うんですよね。つまり、下部組織にいて鍛えられたものというより、持って生まれたもので、それがベースにあった上で技術を身につけられる環境があったから成長できた。ただ、最近の下部組織出身の選手にはなかなかそういう気持ちの強さを持った選手はいないというのが正直な印象ですね。事実、それを証明するように、今、海外でプレーする選手の殆どが高校サッカー出身の選手ですからね。彼らにはそういうメンタル的な強さがあるから海外の環境でも戦える強さがある。日本代表を見ていてもそうですよ。例えば、02年の日韓大会の時は、ユース出身の選手が 2~3人いて、それが10年の南アフリカ大会で増えたのかと思いきや、全く増えてなくて、下部組織出身の選手は確か3人だけでしたからね。考えてみたら、 Jリーグも20年の歴史があるというのに、結局、ワールドカップや五輪に出ているのは、高校や大学出身の選手が殆どですから。そのことをどう考えるかですよね。近年、下部組織からプロになる選手を見ていても、絶対に技術や才能は目に見えて高いのに、そこからどれだけ頑張れるかとなれば…なかなか結果が出せない。それはやっぱりメンタリティの問題だと思う。高校や大学でいろんな経験をしてきた選手に逆境に打ち勝っていける強さがあるのに対して、下部組織出身選手は、能力は高いのにそれがない。まぁ、僕も下部組織出身だし、下部組織を否定する訳ではないけど、いずれにしても、やっぱりメンタルを育てることを考えなければいけないとは思います。
|岩城:そこは絶対に必要だと私も思います。でも、それって教えられない部分でもあるから難しいんですよね。いくら大事だと言っても、本人が自分で感じ取ることができなければ本当の意味での強さは身に付かない。プレーなんて、一瞬一瞬のことで、その都度、誰かからアドバイスをもらえる訳ではないですからね。
|橋本:その通りだと思います。ただ今の日本の教育を見ていると、競争をさせないことをヨシとする傾向にありますからね。それは大きな問題というか。運動会でも順位をつけない学校があるって聞いたけど、そんなことは絶対に考えられない! 結局社会に出れば順位付けされるし、どんな会社に入っても仕事ができなければ給料はあがらないし、昇級もないという現実があるのに、子供時代にそういった競争意識を植え付けないなんてことをしていたら、社会に出た時に間違いなく脱落してしまう。
|岩城:私もそれは本当に同感です! 急に競争しろと言われて、できるものではないですからね。子供の時から厳しい競争をかいくぐってこそ、培われるものは絶対にある。それに競争があるから、それにともなって『勝ちたい』という気持ちが芽生えるだろうし、だから練習しよう、考えようってことになるはずですからね。ただもちろん、そうはいってもメンタル、メンタルばかりでもいけないし、時代の流れを汲んだ中で、私たち指導者も学ばなければいけないところも絶対にあるとは思っています。
|橋本:単にスポーツをするだけでも楽しさを覚えられるかもしれないけど、そこに勝ち負けがあってこそ、楽しさが増すことも間違いなくありますからね。実際、ハルミさんもそうだったと思いますが、勝つことの喜びがプラスに働いて結果を残せている人もたくさんいる訳ですから。ただハルミさんのように、そういうスパルタの中で頑張った先に、例えば五輪出場とか、結果が残せた人はいいけど、逆にそうじゃなかった人が指導者になった場合は、自分が育てられてきたことと全く逆のことをする可能性はあると思うんですよね。っていうか割合で考えればきっとそっちの方が多い。もしかしたら、だからこそ、競争させることをしなくなっているのかも知れないし…難しいですね。
|岩城:自分のことなら自分が頑張ればそれでよかったけど、誰かを教えるというのは、本当に難しいなと思います。中学時代、私が先生に言われたように、可能性のある子供たちに対して「頑張れば日本一になれるチャンスがあるよ」ってことを言ったところで、それが間違いなく子供の心に響くとも限らないですしね。ただ、そこは指導者になった以上、私も逃げずに取り組んでいかなければいけない部分だと思っているので、粘り強く教えていくしかないとは思います。
|橋本:ハルミさんご自身は、そういう負けん気の強さをどの時代に一番培ったと思いますか?
|岩城:う~ん…基本は持って生まれたものというのも大きいかな。振り返れば、小学生の時から例えば走ることをひとつとっても、競り合うとゴールの手前で横の人に肘をいれてでも勝ちたいみたいなタイプでしたから。しかも、無意識に(笑)。
|橋本:運動神経は総体的に高かったですか?
|岩城:いや、高くないです。基本的にはバドミントン以外のことをやると絶対に一番にはなれないタイプだったから。ただ…稀に優れているものもあるんですけどね。
|橋本:それは?
|岩城:ボウリング(笑)。あと水泳もできる方かなあ。
|橋本:ボウリングのスコアはどれくらいですか?
|岩城:250くらいだったはず…。
|橋本:え~っ?! それ、かなりの腕前ですけど!
|岩城:以前、主人がセレッソ大阪に務めていた時代に行われたボウリングの家族対抗戦に参加したことがあって。周囲の方にはオリンピック選手だっていうことを言っていなかったから、かなり驚かれました。
|橋本:でも逆に、その場で「私オリンピックに出たんです」と言われてもビビりますけどね(笑)。
|岩城:あ、でもボウリングくらいで、他は全然ダメですよ。跳び箱とかも全然飛べなかったし…。
|橋本:跳び箱?!その競技が出てくるあたりが“体育館競技”育ちだなっていう感じがしますね。僕なんか殆どの時間を屋外にいた選手は、絶対に跳び箱なんて発想がないから(笑)。ちなみに、バドミントンではどんな技というか、プレーを得意としていたんですか?
|岩城:私が得意だったのは…カットって分かります? シャトルの羽根の部分をこするように叩くというか…しかも、緩くなら誰でも打てるんですけど、私の場合はかなりの全力で切っていく分、ストンと落ちるので、殆ど誰もとれなかった。
|橋本:シャトルの羽根の部分を打っていいっていうこと自体を今、初めて知りました(笑)。でもあそこを打つとなれば…想像するに、結構勇気がいりますよね?!
|岩城:そうなんです。なかなか思い切れる人は少ないと思います。シャトルの堅いところを打つのと同じ感覚で羽根の部分を切るわけですから。
|橋本:あのバドミントンのシャトルの速さってどのくらいなんですか?
|岩城:初速は男子で330キロ、女子で270キロくらいかなぁ。初速っていうのはつまり、当たった瞬間のスピードですが、球技の中ではおそらくバドミントンが一番速いはずです。しかも、見た目の速さと実際の速さは人によっても違うというか。身体の入れ方で全然変わってきますからね。例えば、身体を入れずに手だけでパンっと打つ人って、そのスピードが相手に届くまでに失速してしまうんですが、しっかり身体を入れて打っている人はスピードが失速せずに相手の懐まで食い込んでいきますからね。だからパッとみたら巧くても、実際に球を受けたらそうでもない、っていう選手は結構います。
|橋本:野球みたいですね。野球のピッチャーもスピードの速い選手はいろいろいるけど、球の伸びが人によって全然違うって言いますからね。じゃあ、視力はいいですか?
|岩城:動体視力はすごいと思います。自分では気づかなかったけど、普段の生活の中で蚊を捕まえるのもすぐにパンッと一発でしとめられますから(笑)。
|橋本:すごい…ある意味、技ですね(笑)。
取材協力/dieci
text by misa takamura
岩城ハルミ/プロフィール
1965年6月24日生まれ。大阪府大東市出身。中学1年生時に本格的にバドミントンをはじめる。中学~短大までを過ごした名門・四条畷学園では、高校2年生時に日本一の座を手に入れたのを皮切りに、卒業までその座を守り抜く。卒業後、所属した三洋電機ではケガに苦しむことが多かったが、2年半のリハビリ生活を経た88年。復帰戦となった全日本社会人大会で優勝し、劇的な復活を遂げる。以降もコンスタントに結果を残しながら、92年のバルセロナ五輪への切符を手に。同大会への出場後引退した。現在は『ヨネックスアドバイザリー』スタッフ、『オリンピアンズ協会』『大阪市ゆとりとみどり「夢・授業」講師や『パナソニックジュニアバドミントンクラブ』のコーチングスタッフとして小中学生の指導にあたる。<岩城浩平オフィシャルブログ/http://pure-city.jp/kohei/index.html