橋本英郎公式サイト「絆」
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vol.18 朴一(パク・イル/大阪市立大学)

: 例えばやけど、ハシモみたいに頭のいい選手は、早めに実業家に転身するとか、解説者になるとか、っていう道を選ぶのもいいんじゃないかなって思うけどね。野球の工藤公康(横浜)くんみたいにボロボロになっても投げ続けるのも魅力だと思うけど、ああやってやり続けるには相当の努力がいる訳で。実際、彼もすごく真面目に野球に取り組んでいるでしょ?専用のマッサージ師を自腹で雇って、年間2000万払っているっていう話も聞いたことがあるし。そういう風に長く頑張ろうと思ったら、お金も実際にかかるやろうしね。誰でもがそれを出来るかと言えば、出来ない選手の方がやっぱり多いと思う。
橋本 :そうですね。カズさんももちろんそういう影での努力というか、自分なりの努力をずっと続けてきているから今のカズさんがあると思いますしね。しかも、カズさんは楽しそうにサッカーをやっている。あれはかなりの理想です。

: じゃあ、ハシモは無様な…といったら失礼やけど、例えば下のリーグでプレーするのも全然、問題ないの?
橋本 :基本は、無様でもいいです。楽しくできれば。だから下の方のリーグでも呼んでもらえるのなら、どこでも行くと思いますし。
: それだけの覚悟があるならたいしたもんよな。年俸が例え300万でも?
橋本 :問題はそこですね(笑)。僕個人がよくても、結婚をして、一人の生活ではないだけに、そのへんは軽々しく答えることは出来ない。
: これから子供でも出来たらまた、大変やしな。でもハシモのことやから、何やかんや言って、ちゃんと貯金しているんやろ?
橋本 :(笑)。いますごいやらしい目で僕を見ましたね(笑)!
: だって前に僕が貯蓄法の本を読んでいたら「先生、これ貸してください」って持って帰ったやんか(笑)。朝日新聞のコラムには株もしているって書いてあったし。なかなかプロ的な投資術が紹介されていたけどなぁ。
橋本 :いえいえ、それほどのことではないですよ!むしろ、そのあたりのことは先生にもっと詳しく教わりたいとは思っていますけど(笑)。
: でもやっぱり自営業っていうのは厳しいよな。僕らみたいな普通の公務員なら、60才まで働いて、そこから更に80才まで生きると考えたら、老後は20年あるわけやん?つまり、1年の生活費を平均の300万で考えたとしても、300万×20年で6000万が必要になる。それを年金と退職金でまかなって…っていうことになるけど、自営業の人たちはなかなかそうもいかんでしょ?特にJリーガーとかは選手生活が終わった後の年金ってどうなっているんかなって思う。退職金があるのか、とか…。
橋本 :その部分も少しずつ改善されてきましたけどね。そういう制度的な部分も充実させようとしている最中ですし。

: アメリカの大リーグって、何がすごいかと言えば、大リーグに10年以上在籍したら引退後、年金が毎年、1000万以上貰えるっていうこと。あれはすごいよね。だからマリナーズの長谷川滋利くんとかも、引退して既に日本に戻っていても、大リーグから貰える年金で基本的な生活は保証される。ああいうシステムが Jリーグにもいるんじゃないかな。
橋本 :はい、それは一応僕らも目指しているんですけどね。ただ、まだ基本のベース資金が整っていないから。スポンサーだとか、Jリーグから降りてくるお金だとかっていうのを選手会としてプールしているんですけど、それがもっと大きくなっていかないといけないし、プラス、選手の会費という部分でどれだけ充実させていけるか、っていうことになるとは思う。ただ、昔に比べたら金額的にも徐々に増えてはいますからね。それが毎年貰えるようになればいいんですけど、そこにはまだ到達していないし、そうなるにはまだまだ問題が多いですね。
: ただ特にプロサッカー選手なんていう職業は、サラリーマンには決して味わえない醍醐味もあるからな。それはそれでお金に代えられない大きな魅力なんやろうけど。
橋本 :そうですね。あの緊張感や興奮っていうのは、あの場に立って戦える僕らの特権ですからね。それは確かにお金には代えられない価値も魅力もありますから。
: 引退してないのに、引退の話をするのもなんやけど、ハシモは子供にサッカーを教えたり、っていうことに魅力は感じていないの?
橋本 :いや、それは理想ですね。学校の先生になって、子供たちにサッカーを指導できたら一番いい。
: 高校サッカーの監督とか?
橋本 :いいですね~。あとはこの大学の監督とか…(笑)。
: 市立大学のサッカー部は弱いからなあ。
橋本 :弱くていいんですよ。強くすればいいんですから。
: ああそういうことか(笑)。弱いところのほうが伸びる可能性が高いしなあ。
橋本 :でも大学の講師とかも魅力ですね。

: それなら大学院に入り直して、少なくとも修士をとらなアカンけど、ハシモなら出来るやろう!あとはスポーツマネージメントとかも面白いやろうけどな。
橋本 :それは興味がありますね。
: 実際に現場を知っている人がそういうのを勉強した方がサッカー界にとっても、絶対にいいと思うしな。だから、42才までボロボロになってもサッカーをしているというのもいいんやけどさ…やけど、な?もう言うなって(笑)?
橋本 :いや、先生。42才までボロボロではないですから。僕は42才までフレッシュにやることを目指しているので(笑)。でも、それもケガ次第ですよね。僕はこれまで大けがはない方ですけど、例えば今の30才という年齢でケガをしたら、いろんな意味で…契約年数とかも含めて、サッカー人生に影響が出てくると思うんです。個人的に元のパフォーマンスが戻るのか、っていう不安が出てきたりね。そのへんを克服できたらまた楽しくやれるんでしょうけど…って考えても引退を考えるきっかけはケガになりそうやなって気もしますけどね。
: 海外でプレーしたいとかは思わないの?
橋本 :思いますよ。
: どこの国に行きたいの?
橋本 :スペインですね。スペインだったら僕の体型でもやっていけるんじゃないかと。フランス、イタリア、ドイツ、とかはちょっとキツいかな、と。
: 中村俊輔(セルティック)みたいにスコットランドリーグとかにいって、チャンピオンズリーグに出るっていうのも一つの選択としてあるよな?リーグそのものの質はプレミアに比べたら明らかに落ちるけど、たどり着く場所は最高の場所って言うこともある訳やから。
橋本 :確かにそうですよね。例えばイタリアのセリエAに行けたとして、下位の方のクラブで頑張っていたとしても、そこでどれだけ活躍してもチャンピオンズリーグに出られる訳ではないですからね。そういう基準で選ぶのも一つの手かもしれない。ただいずれにしても、そこで楽しくサッカーが出来るかどうか、っていうのが問題ですね。

: 実際に海外には行けても、出場機会が減ってしまっている選手も多いしなぁ。日本代表ということを考えてもある程度試合に出ている方がいいに決まっているし。…って考えると、今更ながらパクチソンはすごいサクセスストーリーよなぁ。京都にいる時は、きっと彼自身、想像もしなかったはずの今を過ごしている。ハシモも将来的に海外移籍を考えるなら、弁護士とかをつけるのも、いいんちゃうか?
橋本 :一応、代理人はいますよ。
: そういう人がヨーロッパに仲介してくれるの?
橋本 :そうですね。
: じゃあその人を通じて海外からオファーが来るの?
橋本 :形式上はそうですけど、全くないですけどね。自分からお願いしてチャレンジしてみるということは可能だとは思いますけど。ただ今はそこまでまだ真剣に考えている訳でもないので。ガンバで必死です(笑)。
: そら、今はあれだけ西野監督にも信頼されているんやから、頑張らないとあかんよな。もちろん、日本代表でも頑張って欲しいしね。
橋本 :ありがとうございます。
: ハシモのいる世界は、僕らみたいに一度採用されたら、ずっと定年までおれるっていうサラリーマンとは違って、ちょっとでも気を抜いたらすぐに若手が台頭してきて、いつポジションをとられるか分からへんっていう厳しさもあるやろうから大変よな。ハシモももうベテランの域やし、いろんな意味で神経をすり減らしてやっているんやと思うわ。
橋本 :それは、もう!といっても僕はまだ中堅のつもりでいますけどね(笑)。30才でも中堅。これからもそう思って頑張ります!先生、今日は長い間ありがとうございました。
: いやいや、こちらこそ、久しぶりにゆっくり話せて楽しかったよ。僕はいつでも応援しているし、頑張ってや!
橋本 :ありがとうございます。そういう言葉が本当に嬉しいし、力になります。頑張ります!

text by/misa takamura

朴一(パク・イル)/プロフィール
*同志社大学卒業。同大学院博士課程修了。商学博士。
*専攻:朝鮮半島地域研究、日韓・日朝関係論、在日外国人の人権をめぐる諸問題。
*大阪市、神戸市、伊丹市、堺市などで外国人の人権に関する審議会委員を歴任。2005年、国会参議院国際問題調査会参考人。現在、富士火災コンプライアンス委員。
*マスコミ:NHKテレビ『ETV2000』、『アジアマンスリー』、『関西ニュース一番』、『ニュース9』、TBSテレビ『サンデージャポン』、『みのもんたのサタディずばっと』、毎日テレビ『ちちんぷいぷい』、『VOICE』、ABCテレビ『ムーブ』、テレビ朝日『たけしテレビタックル』、読売テレビ『たかじんのそこまで言って委員会』、『たかじんの非常事態宣言』、『ニューススクランブル』など数多くのテレビ、ラジオ番組にコメンテイターとして出演。
*執筆:朝日新聞全国版に『Eメール時評』(2001~2002年)、朝日新聞月刊誌『論座』に「アジア視察」(1998~2005年)、朝日新聞夕刊に「たまには手紙で」(2007年)をそれぞれ連載。著書に『在日という生き方』(講談社、1999年)、『朝鮮半島を見る眼』(藤原書店、2005年)、『在日韓国人』(ソウルポンム社、2005年)などがある。

vol.17 朴一(パク・イル/大阪市立大学)

橋本 :先生の教え子でプロサッカー選手なのは僕だけですか?
: そうやね。ただ、パク・チソン(マンチェスターU)くんは、彼が京都でプレーしている時に何度かお会いしたことはあるね。まさかあのマンチェスターUで、あんなにも活躍するなんて思ってもみなかったし、そのマンチェスターUとハシモのガンバがクラブワールドカップで対戦し、その舞台でハシモがあんな、ウルトラシュートを決めるなんて、夢にも思わんかった(笑)。あれは僕にとって本当に記憶に残るシュートやったよ。さすがに自分でも「(運を)もっているな~」って思ったやろ?

橋本 :いや、思ってないですよ(笑)。っていうか「もっているな」って思っていいんですか?僕の人生、ここまであまりにも「もってるな」グループではなかったもので、よく分からない(笑)。
: いや、あれは「もってる」よ。ただ、僕はあの瞬間、間違いなくハシモはシュートを外すと思っていたけど(笑)。
橋本 :鋭い(笑)。
: で、どうやった?ああいう世界的な、超一流選手とプレーした感想は?結構、プレーでもCロナウドとかと絡んどったよな?彼からボールを奪おうとか、していたし。
橋本 :はい。でもまぁ、実際に戦っている間はいろいろと相手のことを考える暇なく、必死に勝つことだけを目指してやっていましたけどね。ただプレーは全然スケールが違いました。まず、速さが違うのと、グラウンドの使い方が大きい。しかも1つ1つのプレーの正確性にも驚かされた。
: 素人ながら言わせてもらうと、ああいう相手と戦う時に、戦い方は2つあると思う。1つは、圧倒的に力の差がある相手だけに守りを固めて、ぶさいくな負け方だけは避ける。何て言うか、ディフェンス中心のサッカーをして、チャンスがあれば一気に攻め込む、と。そしてもう一つは、ガンバの戦い方。要は点を獲られてもいいから、点を獲ろうぜ、的なサッカーよね。でも結局、ガンバはガンバのスタイルを貫いたからいい試合になったと思うけどね。勝たなくてもいい…とはいわないまでも、自分たちを魅せよう、みたいなね。
橋本 :勝つ気は満々でしたけどね。ただ、先生がおっしゃるように守るというより、点を獲りにいくこと貫こうと思っていた。試合前は、「どんだけやられるんかな~」って不安もありましたけど(笑)。
: マンチェスターUを相手に3点も獲れてんから、たいしたもんよな。あれが5-0やったらちょっと格好つかんけど。
橋本 :相手も僕らが点を獲ったことで…2-1くらいから急に変わりましたからね。本気になってくれたというか。だから僕らも楽しんでサッカーが出来た。
: にしても、あのハシモのシュートは…あまりにもいいところにいすぎて外すやろうと思ったら、スーパーなゴールが決まって、テレビでもアップで映し出されて。その後に結婚式やろ?まさに、結婚式のためのシュートって言ってもいいくらい、出来すぎやったね(笑)。って考えても、去年はホンマにハシモにとっていいこと続きやったから、たぶん、これから先は悪いことしかないで(笑)。
橋本 :いやいやいや、せっかく少し「もってる」風が来てるんですから、もう少し続けさせてくださいよ(笑)。でも確かに、ACLも優勝できて、マンチェスターとも戦えて、ゴールも決められて、元旦も優勝できましたからね。去年はホンマにいいことがたくさんありました。
: で、結婚生活はうまくいってる?
橋本 :まあまあ、いってる方だと思います。といっても、昨日、喧嘩したばかりですけど(笑)。
: そら、喧嘩もするわなぁ。
橋本 :でも食事を含め、いろんな面でサポートしてもらっているので、結婚して良かったなと思います。
: これからは奥さんのためにもプロサッカー選手を頑張らないとアカンな。
橋本 :それはホンマに思いますね。結婚して調子が悪くなったとか言われたくないので、今はその一心で頑張れています。

: 将来のことは考えているの?っていうか、端から見ていても、Jリーグは今、転換期にきていると思うんよね。その中では選手の待遇も含めたステイタスをあげていく努力をもう少しすべきじゃないか、と。今、日本のプロ野球選手の平均年俸は1軍の選手で1億円くらいやけど、それと比べてもあまりにサッカーは低すぎる。しかもサッカー選手は働ける期間も野球ほど長くはないのに、今のままではプロを目指す子供も減ってしまうんじゃないかなぁ。もちろんハシモみたいに日本代表にでもなれば、何かしら引退してからも仕事はあるかも知らんけど、みんながそうじゃない。そう言えば、この間、テレビ番組でハシモの後輩、とかっていう元ガンバの選手が出ていたよ。バームクーヘンを西宮で作っているとか…。
橋本 :サキ(嵜本晋輔)ですね!僕の3つ年下の後輩です。結婚式の引き出物にもさせてもらいました。ブラザーズっていう名前の店なんですけど。
: サッカーを引退して店を始めたんよな?ってテレビで言ってたし、ハシモの後輩って言っていたから「ああいう人を応援してあげなあかんな!」ってかみさんと一緒にその店まで行って食べてきたんやけど、ああやって、サッカーを引退すれば自分で第二の人生を切り開いていかなアカンねんからな。大変やと思うよ。
橋本 :で、美味しかったですか?
: バームクーヘンの味は最高やったけど、店員の対応が悪くてな(笑)。
橋本 :そのコメントはサキのためにも敢えてカットせずに、ちゃんと掲載しておきます(笑)。で、どんな風に態度が悪かったんですか?
: とにかく、お客がイライラしとったわ(笑)。あの地域はスイーツの激戦区やし、あそこで生き残るのも大変やと思うけど、是非頑張って欲しいとは思っているけどね。その話はいいとして、そう言えばさ、サッカーって契約更改の時に年俸が明らかにされないでしょ?プロ野球の選手はある程度、明らかになっているけど…あれは何か戦略的な理由から、わざと隠しいてるの?僕としては夢を与える商売やし、提示をするのもアリかなって思うんやけどね。
橋本 :サッカーの場合、逆に提示すると逆に夢がなくなるからかも(笑)。野球みたいに、5000万アップとか、1億に到達したとか、そういう大きな話はサッカーにはなく、例えば「300万から150万円アップしました!」みたいな感じで可愛いものですからね(笑)。そういうのがバレると逆に夢がなくなるのかも(笑)。
: 日本代表になったら大幅にアップするとか、そういうのもナシ?
橋本 :ないですね(笑)。
: サッカーはまだまだ、お金というより名誉なんかなあ。

橋本 :J2だとかJ1でも下位の方のチームの若い選手なら、例えばサラリーマンをしていてもあまり変わらないという選手が多いっていうのもあるかも知れませんね。しかも、サラリーマンには将来の保証があるけど、プロサッカー選手にはこの先どれだけサッカーを出来るのか、将来の保証はないし、サラリーマン以上に綱渡りの人生ですからね。そうなると、全てをオープンにするのがいいのかどうか…そういう意味で、Jリーグも発足から15年以上経った中で、いろんな意味で難しい時期に差し掛かってきているんじゃないかと思います。
: だからこそもう少しチーム数を改善するとか、さっきも少し話に出た、選手の待遇改善、第二の人生についても、もっと真剣に考えていかなければいけない時期に来ていると思う。
橋本 :第二の人生については選手会も含めて、だいぶサポートがされるようになってきましたけどね。ただ、仕事は紹介してもらえたとしても、金銭的な部分の保証だとかを考えると、難しい部分がまだまだたくさんある。
: 確かにそのへんは難しいよね。今まで何千万と貰ってきた人が、急に「じゃあ、今日から月20万で」っていう訳にはいかないやろうし。それはプライドということを加味して考えてもね。そういう意味ではサッカー選手も何才までやるか、どこで区切りをつけるかは相当みんな考えているんやろうなぁ。ハシモは何才まで現役をやりたいと思っているの?
橋本 :42才です。
: その数字はどこから出てきたん?!
橋本 :カズさん(横浜FC)が基準ですね。
: なるほどね~。ただカズさんやゴンさん(中山雅史)くらい、カリスマ的な存在になれば、そういう生き方も認められるやろうけど、何て言うか…言い方は難しいけど"やめ時"っていうのはホンマにしっかり選択しないとあかんよね。僕なんかは、ハシモにはボロボロになるまでやるより、スパッと日本代表のままでやめて欲しいけどね(笑)。
橋本 :代表のままなら、すぐやめないといけないじゃないですか(笑)!もう少しやらせてくださいよ!

text by/misa takamura

朴一(パク・イル)/プロフィール
*同志社大学卒業。同大学院博士課程修了。商学博士。
*専攻:朝鮮半島地域研究、日韓・日朝関係論、在日外国人の人権をめぐる諸問題。
*大阪市、神戸市、伊丹市、堺市などで外国人の人権に関する審議会委員を歴任。2005年、国会参議院国際問題調査会参考人。現在、富士火災コンプライアンス委員。
*マスコミ:NHKテレビ『ETV2000』、『アジアマンスリー』、『関西ニュース一番』、『ニュース9』、TBSテレビ『サンデージャポン』、『みのもんたのサタディずばっと』、毎日テレビ『ちちんぷいぷい』、『VOICE』、ABCテレビ『ムーブ』、テレビ朝日『たけしテレビタックル』、読売テレビ『たかじんのそこまで言って委員会』、『たかじんの非常事態宣言』、『ニューススクランブル』など数多くのテレビ、ラジオ番組にコメンテイターとして出演。
*執筆:朝日新聞全国版に『Eメール時評』(2001~2002年)、朝日新聞月刊誌『論座』に「アジア視察」(1998~2005年)、朝日新聞夕刊に「たまには手紙で」(2007年)をそれぞれ連載。著書に『在日という生き方』(講談社、1999年)、『朝鮮半島を見る眼』(藤原書店、2005年)、『在日韓国人』(ソウルポンム社、2005年)などがある。

vol.16 朴一(パク・イル/大阪市立大学)

橋本 :大学在学中から、先生はサッカーにもかなり詳しかったですし、それ以外の世界の知識もたくさん持っていらっしゃっただけに、僕としてはかなり心強い人生の師でした。先生とサッカーのつながりは…なんでしたっけ?前にも聞いたかも知れないですけど。

: 僕はもともと韓国代表の応援から入ったというか。1966年、僕が10才の時に、北朝鮮代表がW杯のイングランド大会に出場して、イタリアに1-0で勝って予選を突破したんよね。で、アジア勢としては初めて、決勝トーナメントに出場しポルトガルと対戦した。その試合はラスト10分まで3-0で勝っていたのに、ラスト5分でエグゼビオ一人に5点も決められて、3-5で逆転負けをしたんやけど、その映像をあるところで見たんよね。その時に、かなり興奮してね(笑)。それがきっかけと言えばきっかけかなぁ。残念ながら、その後、北朝鮮は政治的な状況もあって国際試合から追放されて出場できなくなったけど、一方で韓国が力をつけてきたからね。というか、もともと韓国人はサッカーに対してかなり熱が高かったというか。実際、日本の朝鮮学校も、昔からレベルが高かった。僕が若かった頃は特に、朝鮮高級学校は本当に強くて同じ年代には戦える相手がいなくてね。普通の学校と試合をしても全然相手にならないというレベルやったから、実業団と試合をしていたよ。実際、今のJリーガーに結構朝鮮学校出身者がいるのもそういう背景もあってのことやからね。
橋本 :川崎の鄭大世(チョン・テセ)とかもそうですよね。
: そうそう。鄭大世くんを始め、最近は本当に活躍している人が増えた。しかも何が凄いかと言えば、朝鮮高級学校って、例えば、日本の強豪高校みたいに全国からセレクションで選手を集めるのではなく、ごく普通に、地域の在日朝鮮人が練習によってあそこまで育てられるということ。あれは一体、なんでやろうな?っていうのは今でも疑問やわ。指導者がいいのか、何なのか…。
橋本 :そういう話も大学に通っている時代から結構しましたよね?でも一番盛り上がったのは、やっぱり2002年の日韓共催のW杯の時かなぁ。僕が4回生の時で…ゼミでもいろんな話をした記憶がある。
: そうやね。あの時はまだハシモも日本代表ではなかったし、まさか後に代表になるなんて夢にも思わなかったけどね。いずれガンバのレギュラーに定着すればいいなとは思っていたし、実際にそうなったのは良かったけど、ホンマに日本代表になった時にはビックリした。日本代表に入る前に、スポーツ新聞で「橋本、代表入りか?!」みたいな記事を読んだ時も、「まぁ、無理やろうな」と思っていたから(笑)。ごめんな(笑)。
橋本 :大丈夫です。僕自身もそう思っていましたから(笑)。

: だから、本当に選ばれた時はゼミのみんなもビックリしていたし、かなりみんなで喜んだ。ただ、その後が問題で。今度は代表で果たして試合に出られるのか、というのが気になってね。ハシモが選ばれて以来、日本代表の試合も殆どテレビで見ているけど、なかなかハシモは出場機会がなく…ハシモがどれだけ胃が痛い思いをしているのかな、と。しかも、せっかくしっかりコンディションを整えて、遠い海外にまで行っても、その間ずっとベンチウォーマー…っていう言い方は失礼だけど、そういう状況で一体どんな気持ちでいるのか、と思ってね。というように、見ている僕らでさえ、それだけ複雑に思うんやから、ハシモはもっといろんな思いがあったと思うけどね。
橋本 :確かに、アジアカップの時は期間も長かったし、複雑というか…自分を維持するのがいろんな意味で難しかったりもしましたけどね。ただ、これは強がりではなく代表に行くことで学べることはたくさんありますから。もちろん試合に出るに越したことはないけど、そうじゃなかったとしても、全く無駄だった、ということは絶対にない。それは自分がチームで戦う上での力にもなっていますしね。
: そう言えば、韓国との試合で初めて先発出場したでしょ?あれは、僕としてはかなり複雑やったわ(笑)。
橋本 :去年の東アジア大会ですね。
: まさか、先発するとは思っていなかったから、先発に名前があった時は本当にビックリした。しかも、僕はいつもなら韓国を応援するんだけど、相手にもハシモが出ているから困ってね(笑)。もし、日本が負けたらハシモはまた次、出られなくなるかも知れないし…っていうのでとにかく引き分けを祈りながら、非常に辛い立場で見ていたよ(笑)。
橋本 :そしたら先生の理想通りじゃないですか(笑)。ほんまに1-1で引き分けたし。先制されていたけど、僕が交代する10分くらい前に、山瀬功治(横浜 FM)のゴールで追いついた。
: 確かにそうやね(笑)。ただ残念やったのは、あの試合での1シーンで、ハシモがシュートを打てる状態ではあったけれども、自分では打たずにわざと中村憲剛くん(川崎F)にパスを流して、それを彼が外したシーンがあったでしょ?
橋本 :ああ!ありましたね。確か憲剛が、ポストに当てた。
: そうそう。あれがもしポストに嫌われずに決まっていたら、ハシモはそのまま使われていたような気がする…どうやろか?
橋本 :それはあるかもしれないですね。っていうか完全に僕を中心に試合を見てくれているのが嬉しいです(笑)。

: それはしょうがないでしょう(笑)。自分のファンを中心に見るのがファン心理ですから。でも、サッカーのいいところは、そうやって在日の人が、日本のチームで活躍したり、いろんな国の人が同じチームメイトとして戦ったり、対戦できることよね。もちろん、代表選手として時にライバルになることもあるけど、チームに戻れば仲間だったりするわけで。そういう単なるナショナリズムだけでは計り知れない人間ドラマがある。これはサッカーだけじゃなくてスポーツ全般に言えることでもあるけどね。日本と韓国との歴史ということを考えても、李忠成くん(柏)が韓国人やのに日本に帰化したり、韓国籍の鄭大世くんが北朝鮮代表として戦っていたり。ああいうのを見ると、新しい時代が来たな、とも思うしね。そういう意味でもサッカーは面白いし、奥が深い。
橋本 :今年はJリーグにアジア枠も出来たこともあって、韓国人選手がJリーグの舞台でも更にたくさんプレーするようになりましたからね。
: そうよね。アジア枠が出来たことは日本にとって良かったのか悪かったのか、微妙でもあるけどね。実力派の韓国人選手の殆どが日本に来たことで、出場機会の減る選手もいるしね。実際ガンバにも今年、2人の韓国人選手が入ったけど、彼らが試合に出ることで播戸(竜二)くんとか、出られくなってしまった選手もいるからね。ただ、まぁそれは、競争の世界やからね。いいプレーをしてポジションを掴めばいいし、そうやって競い合うことはガンバにとってもレベルアップに繋がっていくとは思う。そういう中で、ハシモが変わらずポジションを掴んでいることも嬉しいしね。
橋本 :まだ僕も、掴んだとは思っていないですけどね(笑)。結果的に、西野朗監督になってからはほぼコンスタントに試合に出してもらっていますけど、僕だって、いつポジションがなくなるか…っていう思いでいますから。だから僕も本当にウカウカしていられない。だから、いつポジションがなくなってもおかしくない、っていう気持ちで常にやっていますよ。
: ハシモの場合はやっぱり、西野監督に能力を認めてもらったことが大きかったでしょ?この世界、どれだけ能力があっても監督に見出されなければ結果も残せないわけで…。野球のイチロー選手だって、仰木彬監督の前の土井正三監督時代には、まったく使ってもらえなかったからね。ところが監督が交代して見出された。そういうケースは珍しくないし、ハシモの今があるのも西野監督との出会いが大きかったんだと思う。
橋本 :それはありますね。実際、西野監督になってからある程度、試合にもコンスタントに出してもらえるようになったし、代表にも選ばれた。その代表でもオシムさんとの出会いは大きかったですしね。そうやって考えると人の縁だとか、巡り合わせって人生を左右する大きな要素の1つやなって思う。

: オシムさんに見出されたのは凄いことよね。僕はサッカー素人ですけど、オシムさんは凄く玄人好みの選手を好む監督だという風に思っていて。いろんな経験を積まれてきた方だし、サッカーに関しても独自の鋭い指導論を持った方だと思うんだけど、そのオシムさんに、ハシモの地味で目立たない、でもプロ中のプロ、というようなプレーを理解してもらえたというのは、すごく嬉しかった。だって、ハシモのプレーってあまり目立たないからね。テレビで観ていただけじゃあ、なかなか視聴者の目には入りにくいというか(笑)。でもそういう仕事をするハシモをしっかり観ていてくれた訳ですから。それに、監督に見出されても、やっぱり人間やから、あう、合わないはある中で、ハシモが"あう"人に巡り会えたのも幸せやと思うなぁ。そういう意味では、オシムさんが倒れた時は真っ先にハシモを心配したよ!岡田武史監督には気に入ってもらえないんじゃなか、と(笑)。まぁ、有利な点が一つあるって言っても、同じ天王寺高校出身だから、っていうことくらいだし(笑)、それで選ばれるほど甘い世界ではないしな。そういう意味では岡田監督になってからも…一度は少し代表を離れたけどまた戻ってきて…大したもんよな。
橋本 :僕も岡田監督になった時は、これでもう代表はないかな、と思っていたんですけどね(笑)。いや、ないかな、どころか「もう日本代表ではなくなる」って限りなく思いましたけどね。実際、岡田監督になって、1~2月は代表で練習をしていても空気感も変わったし、メンバーも変わっていって…その時に、僕は間違いなく窓際族になりつつあるな、って思っていたし(笑)。
: 監督っていうのはどうしても、自分の色を出したいからね。だから岡田さんが監督に就任した時は、オシムさんのフィロソフィを受け継ぐとは言いながら、あの眼鏡の奥では自分の色を出したいっていう思いがあるやろうなって思ってた。少しの間はオシムさんの体制を引き継いでも、いずれ若手を起用して岡田さんのチームを作っていくことになるやろう、と。もちろん、現実的にこの世界では、次から次へと若手を育てていかなアカンと思うしね。って考えると、ハシモみたいに遅咲きの人間は自然と外されるんかな、って思っていたのに、そういう中でも選ばれて、起用されているんやからね。そうやって新しいメンバーとベテランを巧く融合させていこうとしている岡田監督はすごいな、と思う。

text by/misa takamura

朴一(パク・イル)/プロフィール
*同志社大学卒業。同大学院博士課程修了。商学博士。
*専攻:朝鮮半島地域研究、日韓・日朝関係論、在日外国人の人権をめぐる諸問題。
*大阪市、神戸市、伊丹市、堺市などで外国人の人権に関する審議会委員を歴任。2005年、国会参議院国際問題調査会参考人。現在、富士火災コンプライアンス委員。
*マスコミ:NHKテレビ『ETV2000』、『アジアマンスリー』、『関西ニュース一番』、『ニュース9』、TBSテレビ『サンデージャポン』、『みのもんたのサタディずばっと』、毎日テレビ『ちちんぷいぷい』、『VOICE』、ABCテレビ『ムーブ』、テレビ朝日『たけしテレビタックル』、読売テレビ『たかじんのそこまで言って委員会』、『たかじんの非常事態宣言』、『ニューススクランブル』など数多くのテレビ、ラジオ番組にコメンテイターとして出演。
*執筆:朝日新聞全国版に『Eメール時評』(2001~2002年)、朝日新聞月刊誌『論座』に「アジア視察」(1998~2005年)、朝日新聞夕刊に「たまには手紙で」(2007年)をそれぞれ連載。著書に『在日という生き方』(講談社、1999年)、『朝鮮半島を見る眼』(藤原書店、2005年)、『在日韓国人』(ソウルポンム社、2005年)などがある。

vol.15 朴一(パク・イル/大阪市立大学)

橋本英雄(以下、橋本) :(部屋を見渡しながら)先生の書籍の多さは、相変わらずですね!1年にどれくらい読まれるんですか?
朴一(以下、朴) : 1年に300冊は読むね。週刊誌もジャンルに関係なく全て読みあさるから。朝日芸能からサッカーマガジンまで、とにかく全部…これはもう、個人的な趣味みたいなもんやから。

橋本 :早速ですが、今日はお時間をとっていただいてありがとうございます。忙しいのにすいません。
: 大して忙しくないよ(笑)。ここに来るのは久しぶりやな?
橋本 :そうですね。外では何回かお会いしましたけど、大学に来るのは久しぶりです。
: 代表も含めてご活躍やもんなぁ。たいしたもんや。
橋本 :いえいえ。まだまだこれからです。うかうかしているとどんどん若くていい選手が出てくるので危機感いっぱいですよ。
: このブログは何年くらいやっているの?
橋本 :6月でちょうど3年です。

: 毎日、何人くらいの人に見てもらっているの?
橋本 :カウントをしていないので分からないです…。
: ファンクラブとかはあるの?
橋本 :ないです。
: 作ったらいいやんか。そしたらまた、違うハシモの良さを知ってもらえるやろう?
橋本 :いや、ファンクラブとかを作ると、人数がはっきりしちゃうじゃないですか?それが嫌で…漠然としておいた方が自分のためかな、と(笑)。
: ハシモらしいな(笑)。
橋本 :僕って大学時代からそんな感じでしたっけ?っていうか、聞きづらいですけど先生の目から見て僕はどんな学生でした?
: ゼミに入ってきた時はちょうどトップの試合に出たり出なかったり、の時で。それなのに意外といろんな授業にもきっちり出席していたよね。うちの大学は卒業単位をとるのが難しいというか、厳しくて。試験だけ受けておけば何とかなるっていう訳でもないので、しっかり授業に出席しないといけないのに、そういう意味ではよく卒業出来たと思うよ。結果的に4年では卒業できずに5年かかったけど、ハシモの人徳もあってのことやろうなぁ。友だちのいろんな応援も受けたり、たくさんの人に支えられていたよね。

橋本 :本当にその通りで。先生はもちろん、仲間にはすごく助けられました。
: うちのゼミは企業研修とかゼミ旅行とか行事が結構多いんやけど、時間があれば企業研修とかにも参加してくれたしね。京都にある酒屋のメーカーをまわって、ビールや日本酒、ワインを朝から晩まで呑み続けるっていう企業研修にも参加してくれたよな?
橋本 :ありましたね。先生、ワイン好きやから…半分、趣味も入っていたような…(笑)。
: (笑)。ゼミが終わってからの宴会にも参加してくれたり…そういう意味ではガンバでの練習と大学の授業をうまく両立してやっていたように思う。ハシモみたいに文武両道を目指す生徒って、練習が忙しくなって大学を途中で辞めてしまう人も多いけど、ハシモは真面目に授業にもケジメをつけて出てくれていた。他の学生もビックリしていたよ。
橋本 :引退してからも何度かゼミの集まりに参加しましたよね?確か、アウェイでの鹿島戦の後だったと思うんですけど、試合から戻ったその足で合流したこともあった。
: そうやったなぁ。彼らもハシモみたいに同世代が活躍しているのは嬉しかったんやろうなぁ。みんなで楽しく呑んだ記憶があるわ。

橋本 :僕も今でもゼミの仲間の存在は刺激になりますけどね。それぞれ違う分野とはいえ、自分をしっかりもって、やりたいことを目指して頑張っていますからね。それに、スポーツとは違う世界で生きている彼らから聞く話は、僕にとっては新鮮やし興味深い内容が多い。もちろん、先生ともいろんな話をして…大学を卒業する時とかも、相談に乗ってもらいましたよね。プロとして頑張っていくか、普通の企業に就職した方がいいのか岐路に立たされていた時に。先生には普通の企業に行くことを薦められたけど(笑)。
: そこはある意味、心を鬼にして、ね(笑)。ちょうど大学を卒業する少し前からトップの試合に出場するチャンスが増えてはいて、レギュラーをとれるかどうか、っていう時期とクロスしていたんやけど、僕としてはホンマにそのままレギュラーに定着できるのかが心配でね。サッカー選手を目指す人、能力がある人がいっぱいいる中で、本当にハシモがこの先もサッカーで頑張っていけるのか不安だったというか。それが難しいなら、早めに辞めて第二の人生を歩くのも一つの道だと思ってのアドバイスでもあったんやけどね。プロ野球の世界もそうですけど、活躍出来る選手ってほんの一握りやから。本当に心配だっただけに「君なら、一流の企業にも十分勤められる人材だ」って誘惑した(笑)。でも、ハシモの信念が強くてね。「僕はこのサッカーの世界で生きていきたいと思います!サッカーで頂点に立ってみせます!」って言うもんやから…。
橋本 :いや、絶対に言ってない(笑)。
: それは大げさやけどそういう目で僕を睨みつけたから…。
橋本 :睨んでないです、って(笑)!
: そうか。まぁいずれにしても、代表までしっかり上り詰めたんやから、僕のアドバイスを聞かなくて良かったよね(笑)。

text by/misa takamura

朴一(パク・イル)/プロフィール
*同志社大学卒業。同大学院博士課程修了。商学博士。
*専攻:朝鮮半島地域研究、日韓・日朝関係論、在日外国人の人権をめぐる諸問題。
*大阪市、神戸市、伊丹市、堺市などで外国人の人権に関する審議会委員を歴任。2005年、国会参議院国際問題調査会参考人。現在、富士火災コンプライアンス委員。
*マスコミ:NHKテレビ『ETV2000』、『アジアマンスリー』、『関西ニュース一番』、『ニュース9』、TBSテレビ『サンデージャポン』、『みのもんたのサタディずばっと』、毎日テレビ『ちちんぷいぷい』、『VOICE』、ABCテレビ『ムーブ』、テレビ朝日『たけしテレビタックル』、読売テレビ『たかじんのそこまで言って委員会』、『たかじんの非常事態宣言』、『ニューススクランブル』など数多くのテレビ、ラジオ番組にコメンテイターとして出演。
*執筆:朝日新聞全国版に『Eメール時評』(2001~2002年)、朝日新聞月刊誌『論座』に「アジア視察」(1998~2005年)、朝日新聞夕刊に「たまには手紙で」(2007年)をそれぞれ連載。著書に『在日という生き方』(講談社、1999年)、『朝鮮半島を見る眼』(藤原書店、2005年)、『在日韓国人』(ソウルポンム社、2005年)などがある。