橋本英郎公式サイト「絆」
FRIENDS

vol.4 加藤美樹(DJ)

加藤 :トップにあがってからは嫌になることはなかったんですか?
橋本 :そうですね。それでも1年目は怖い先輩もいたし「サテライトでいいや」って思っていたりもしたけど(笑)、2年目になって「このまま試合に出なければクビになるな」って思い出して。「とりあえず絶対に1試合は出ないと!」と思っていたら、アントネッティっていうフランス人監督が使ってくれた。理由は「真面目にサテライトで黙々と練習をし、挨拶をちゃんとしたから」って(笑)。しかも、出してもらった試合で点を獲ったんですよね。ナビスコの予選リーグで、すでに消化試合になっていたんですけど。で、「良かった~」って思っていたら、次のJリーグにも出してもらって。「これでもう、クビになっても『俺はJ リーグに出た』って胸を張って言えるな」と(笑)。
加藤 :当時は代表選手になりたいとか、思っていました?
橋本 :全く思っていません。去年くらいからオシム監督になったから、っていうのもあって、ようやく「代表に1試合でも出たら、Aマッチ出場の記録に残る」って言い始めたりしましたけど、それまでは全然でした(笑)。
加藤 :なるって想像もしていなかったんですか?
橋本 :はい。小学校の時は夢もありましたけど、中学の時に現実を知りましたから、無理だと(笑)。
加藤 :客観的に、今、自分はどうして日本代表に選ばれていると思いますぅ?
橋本 :正直、分からないんですよね。だからオシム監督の通訳さんを通して聞いたりしていて…一番最初に招集された時は「最後まで練習していれば分かると思う」って言われたんですけど、そしたら最後の練習試合で左サイドバックで起用されて。「ああ、今季はガンバでも左サイドバックの練習をしているからか」って分かったんですけど、その後も呼び続けてもらっているのはなぜか分からない。まあ、結論としては、とりあえず嫌がらずにどのポジションでも、やるからかな、って最近は思いますけどね。与えられたポジションを嫌がらず、しっかりやろうとするのが監督的にはいいのかな、と。それくらいしか、自分で思いあたる理由はないですから(笑)。だって、他に違う理由があれば、代表戦にもっと出ていると思うんですよ。でも出られない理由は、そこにあって。そうやっていろんなところが出来ても、1つのポジションで試合に出るラインを越えているかと言えば、そうじゃない。たぶんそれを越える可能性はあると見てくれてはいるとは思うけど、でも、それをちゃんと結果で出さないと今の状態から抜けられないし、若い選手で僕と同じようなタイプの選手が出て来たら、とっととそっちに切り替えられてしまうと思う。
加藤 :その試合に出るラインには、何が足りないんですかぁ?

橋本 :守備力です。代表に関してはそこをしっかり上げていかないと…特に今の代表っていうのは、決定力不足と言われているとはいえ、守備では結構守れているんですよね。強いチームが相手でも、ね。だからこそ最低でも今、試合に出ている選手のレベルに達しないと守備の選手は出られない。特に守備にはしっかりした選手がある程度揃っているだけに、そこに割って入るのは難しいし。だからこそ、自分がしっかりレベルを上げないといけないと思う。前線には、今はまだ高原のような、ずば抜けてプレーできる選手がいない分、いろんな選手を試して、いろんな形を作って、っていうことも出来ると思うんですけど、後ろはそれができないと思うから。
加藤 :それでも、代表に呼ばれて代表メンバーと一緒にプレイするのは、客観的に自分を見れてプラスになるんでしょ?
橋本 :自分に何が足りないが、はっきり分かりますからね。分かるだけに、ここにいれるのもおかしい気もするって思うんだけど、さっきも言ったように、どこでもやれるから、いれる。同じポジションをやる選手で僕より力があって、でも呼ばれていない選手がいるとしたら、その人はたぶん、僕がやるようなポジションはやりたがらないし、やらないと思いますし…っていう理由だと思うんです。
加藤 :でもやっぱり、悔しいでしょ?
橋本 :試合に行くと悔しかったりしますね。重ねれば、重ねるほど。アジアカップは一番ね…途中から出たいなって思うようになってきましたね。一発の試合だと、終わったらすぐに解散だから切り換えられるけど、アジアカップみたいな長期的な戦いは試合の後もその場にいないといけないから。
加藤 :ガンバではここ数年、コンスタントに試合に出ていますもんねぇ?
橋本 :まあ、今のところは、ですけどね。
加藤 :キープし続けるのはすごく大変なことだと思うんですけど?どうなんですか?
橋本 :だと思います。特に僕はケガをしているからこそ、キープ出来ない嫌な感じっていうのは経験しているし、だから、キープしようって気持ちもあるし、でもキープじゃダメだとも思いますけどね。ただ、その部分については、代表でいいきっかけを与えてもらったというか。ちゃんと上を見てやれるようになっていますから。
加藤 :代表になってから、目標とか、自分の欲とかは高まりましたぁ?
橋本 :う~ん。自分の技術やメンタルに対する要求は高まりましたね。今まではそういうのはあまり考えていなくて、まずはチームで試合に出ることが大事だったんですけど。もちろん、それは今も変わらないですけど、それプラスで考えることは増えた。ただ…そんな上ばっかり見ていてもね。最近は足元がぐらついてるんじゃないか、って思ったりもするし。そういう意味では、やっぱり足元からしっかりっていう気持ちは強いです。
加藤 :そういったことを色々考えながら、厳しい舞台で戦っているからこそ、顔つきも変わってきたんでしょうね。ところで、漠然としているけど、日本代表として海外チームとかと対戦してみて、試合に出た中でも、外から見た中でも、日本のサッカーのレベルをどう感じています?
橋本 :僕が思うに、悲しいですけど、世界とはだいぶ差がありますね。ショックなくらい…世界との差は本当にある。まず、体格が違う。これは、どうしようもないポイントで、明らかに見劣りしますからね。でも、裏を返せば、差はその身体能力だけなんですよ。でもそれがすごい差なんです。その差が結局、ボールが早く蹴れるとかっていうことに、繋がっていくから。判断の早さとかはついて行けるんだけど、ただ、当たりだったりを考えると、速さの中で同じプレーを続けるのは難しい。同じようにスペースを与えられて、同じようにキックしろっていわれたら、同じ事はできるんですよ。ただ、そこに絶対的な体格の差がありますから。それをふまえて、っていう部分で、中村俊輔さんとか高原は上手なんですよね。だから、海外でもやっていける。そういう部分を僕らもつけないと、海外のチームには通用しないかなって思う。
加藤 :俊輔さんはもともと備わっているポテンシャルもあるんでしょうけど、やっぱり海外でやったからこそ身に付いたものも多いんでしょうねぇ?
橋本 :そうですね。繰り返しになりますけど、変な話、体格差はあっても、他の部分はそんなに差がないから、その差を埋めるものをちゃんと身につければ、ああして活躍もできる。だから海外にいって、その部分を積み重ねていく必要もあると思うんです。日本国内では、日本でプレーしている外国籍選手に対してくらいしか磨く場がないですから。
加藤 :じゃあ、やっぱり日本人選手はどんどん海外に出た方がいいんですかぁ?

橋本 :一概には言えないですけどね。日本でいい外国籍選手に対して、しっかり対応できるようになることで鍛えられることも出来ると思うので。ただ、いずれにせよ、それをベースにあげていく必要はあると思う。スイス戦がいい例で、あの試合は体格差が完全に出ましたからね。獲れそうだけど、獲れない。しっかり寄せるスピードがついてきていても、ブロックされたり競り合いで負けたり。こぼれ球の1対1で負けたり、ね。ただ、そうやって考えても、僕はオシム監督のやっていることは間違ってないと思うんですよね。っていうか、日本人のことを本当に考えてやっている。何て言うか、日本人がやるとより効率的なことを追究しながらチームを作っている。簡単な話、すぐに結果では表れない事、出来ない事を求められているのが分かる。
加藤 :なんか、世界と戦っている感じが漂っていますね。すごいですよね。
橋本 :試合に、出てないですけどね。まぁ、これから徐々にあげていって、まずは日本代表で5試合出場を目指しているんですけど(笑)。
加藤 :さっきの話だと、ジュニアユースやユースの時は、うまい選手の中でやると試合に出られないし、つまらないっていう感じがあったけど、代表で試合に出られなくてもつまらなくはないんですか?
橋本 :メインは代表じゃないですからね。自分の居場所が代表しかなければつまらないと思うけど、メインのガンバでは試合に出してもらっていますから。でもガンバで出られなくなったらつまらなくなるだろうなって思う。
加藤 :ハシくんにとって、ライバルはだれですか?
橋本 :代表で言うなら(鈴木)啓太ですけど、基本は、あまり考えないですね。
加藤 :憧れは?目標とかは?
橋本 :目標はあるけど、いつも人じゃない。今言ったみたいに5試合とか、こういうプレーが出来るようになりたいとか、そっちですね。美樹さんはありますか?
加藤 :ないかなぁ。私も目標とか、そんなに描かないですね。もちろん、ちょこっと先のことで、こんな風になったらいいなぁ、とか、これをきちんとやろうとか、そういうのはありますけど。これまでもあまり人と競り合うことはしてこなかったかもしれないですね。
橋本 :モデルの時とかはないですか?
加藤 :モデル時代はみんながライバルで…ってテレビで梅宮アンナさんが、言っていたけど(笑)、私は全然ない。私たちの時代って、それぞれ、みんなキャラクターが違っていたから、競い合う理由がなかったんです。だから楽しかったのかも。それぞれがお互いを敬っていたと思うし。
橋本 :みんな、いろんな人生があるんですね。って締めに入っていますけど、いいですか?
加藤 :もう、十分ですよぉ。いろんなお話を聞けたから。こんなに真面目にサッカーの話しを聞いたことないので面白かったです(笑)。でもその真面目さが積み重なって、今があるんですね。
橋本 :ガンバのチームメイトはあまり真面目とは思ってないですけどね(笑)。そういえば、この前、若い選手に「怒ったことはありますか?」って風呂場で聞かれた(笑)。
加藤 :あります?
橋本 :ありますよ。すぐに思い出せないけど、でも…そいつにも聞いたんですよね。「うちのチームで怒ったことありそうなやつっているか?」って。そしたら「確かにいないですね」って笑ってた(笑)。うちは穏やかですから。というわけで、美樹さん、今日は初ゲストにふさわしい面白い話を、ありがとうございました!また保健室の先生の声で僕やリスナーの方を楽しませてください。
加藤 :ありがとうございます。これからも応援しています。がんばってください!

text by/misa takamura

加藤美樹/プロフィール
3月26日生まれ。B型。1994年の802DJオーディションに合格。音楽に、生活に、独自の優しい視点をもつ彼女。802のお昼の顔として人気上昇中。
現在の担当番組:「FLOWER AFTERNOON」 MON-TUE 13:00-16:00、「フロム・エー/フロム・エー ナビ SUPER J-HITS RADIO」 SUN 19:00-22:00

vol.3 加藤美樹(DJ)

加藤 :私からもハシくんに質問したいんですけど?いいですか?
特に、日本代表に入ってからの事が聞きたいんですけど!
橋本 :はい、なんでも聞いてください。
加藤 :改まると、緊張しますねぇ…(笑)。
ではまず、どういうきっかけでサッカーを始めたのか教えてください。
橋本 :代表の話じゃないじゃないですか(笑)。ま、いいですけどね。
僕は兄ちゃんがやっていたから、です。6つ上なんですけど、ちょうど兄貴がやりはじめたのが小4とかで僕が幼稚園の時でした。で、同じチームに小学校1年から入って。中学校もお兄ちゃんがいっていたチームに入ろうと決めていたので、釜本FCに入ったら、偶然にも、僕が入った年にJリーグが出来るっていうことになって、『パナソニックガンバ大阪』になったんです。僕としては兄ちゃんを追いかけていただけなんですけどね。
加藤 :でも、どこかのタイミングでサッカーをずっとやっていこう、って思ったんでしょ?

橋本 :小学校の時に書いた卒業文集には「友達とW杯に出たい」って書いていましたね。
ただ、中学に入ってからは現実的に「そんなん、無理や」って思っていたような、可愛くない子供で(笑)。だって、ジュニアユースに上がってみたら、みんなめちゃくちゃ、ありえんくらい、サッカーが巧くて。小学校の時は、大阪市内の小さい、小さいクラブで、府レベルの大会になると10点差以上をつけられて負けるようなチームでやっていましたから。近所の小学生チームには勝てても、ちょっと大会規模が大きくなると、全く勝てない!みたいなレベルにいたのに、ガンバジュニアユースに入ったから、もう全然ダメで。なんか、周りの仲間は、プロチームの下部組織ということを知って、わざわざ選んで来ていたような奴ばかりで。稲本(潤一)も堺から出てきたり…でも、僕はそんな情報は全然知らなくて。なのに、入ってみたら、いきなり巧い人…大阪選抜とか関西選抜に選ばれているような子ばかりが集っていましたからね。
これは僕は無理だな、と(笑)。
加藤 :でもやめなかったんでしょ?
橋本 :やめたかったんですよ(笑)。練習に行くのも、むっちゃ嫌だったし。
でも自分の中学にサッカー部がなかったし、基本的に、サッカーは辞めたくなかったですから、しょうがなく…。だからジュニアユースに通っていても、友達と地元でサッカーをしている方が楽しくて練習に行かなかったこともありますからね。しかも、遠い(笑)。
小学校まで近所でやっていたのに中学になると、いきなり万博の近くまで通わなければいけなくなって。学校が終わった後、一生懸命走って帰らなければいけないのも本当に嫌で。小学校からの仲間も、最初は4人いたのに、速攻2人がやめちゃって…みんな巧すぎて、一緒にやっても楽しくないって(笑)。
加藤 :でもハシくんは、残ったんですね。サッカーがやりたかったからですか?
橋本 :ん~。あと、中学1年の途中に変なきっかけがあって。当時の僕は塾にも通っていたんですけど、でもサッカーも嫌々ながら行っていたんですよね。なのに、塾で休みがちな子がいて…っていう中で、あるコーチが、その子に対してだか、周りの選手に対してだか、いつも練習に来ている選手より、そいつの方が巧い、みたいなことを言ったっていうのを伝え聞いて。実際、どれだけ真面目に練習に行っても、僕は残りの10分くらいしか試合に出られないのに,その子はスタメンだったりして。そのことにムカついて、頑張った(笑)。で、頑張り出したら、楽しくもなりだして、みんなと同じように出来るようにもなってきた。
加藤 :悔しいと思ったことがきっかけになったんですねぇ。
橋本 :完全にそうですね。といっても、すぐにAチームになった訳じゃなくて、頑張ったけど、やっとBチームっていう感じで(笑)。しかも1学年の中で、ですよ。ただ、Aチームには選抜にかかわってる子らが10数人いて、みんな巧すぎるから、そこに入ると面白くないんですよ。Aチームの選手はプライドも高くて、へんな話、互いが認め合っているんですけど、その下のカテゴリーから上がって行くと、なんていうか、そいつらから言われるばっかりになっちゃって。いじめられるみたいな感じになるから面白くない。
でも、Bチームは、もちろん中には巧い選手もいるけど、そんなにプライドは高くなくて、気持ちがわかる人間が多いから、下から上がって来た選手には優しいし、同じ仲間にはもちろん優しいし、だからいすっごい楽しかったんですよ(笑)。それで、本当に練習に行くのが楽しくなって、そのうちにAチームから呼ばれるようになった。そしたら、また行くのが嫌になって…(笑)。当時のAチームにはなんていうか…巧いヤンキーみたいなのもいて(笑)。すぐに違うチームのやつと喧嘩して退場するとか…力さえあれば誰でも入れた時代だから、本当にいろんなやつがいたんですよね。でも、サッカーではそいつの方が巧いから、パスを受けても、すぐにそいつに出さないと、って気持ちにさせられるような、独特の雰囲気があって…。っていうのもあって、僕としてはBチームの方が好きだった。まぁ、中学2年になる年も、春合宿に行けばAチームでやっていたけど、試合はBチームで出たり、Aチームの後半に出たりっていう感じでしたけどね。
加藤 :今もそんな感じで1学年にAチーム、Bチームみたいに分かれているんですか?
橋本 :今は超エリートな感じで全然、違うんですよね。一学年10人くらいの少数精鋭で例えば、ユースでも、1学年10人で計30人。ほぼ、トップと同じなんですよね。僕の時は、1学年が30人強で、全部で100人強でしたから。
加藤 :でもその後、Aチームに定着し始めるんですよね?
橋本 :中学2年時から、中学3年との混合チームの方に…ようは大会に出るチームに、時々呼ばれるようになりましたね。それもまた嫌だったんですけど(笑)。
加藤 :なのに、やめなかったんですよねぇ。
橋本 :そうですね。中学での学校生活が別にあったからかもしれない。学校はすごく楽しかったですからね。そっちの友達とサッカーをするのも楽しかったし。土曜や日曜は、朝はガンバで練習試合をして、昼からはその友達とみんなでサッカーをやったりっていう感じでしたね。そういう意味では一日中サッカーをやっていました。
加藤 :じゃあ?いつ勉強してたんですか?どうして頭がいいんですか?

橋本 :英語だけですけど、塾に行っていましたからね。あとは学校の授業で結構カバーできました。あと、兄ちゃん、姉ちゃんが、英語以外に数学とかの塾に行っていたので、公式とか勉強の仕方とかを教えてもらったから、効率よく勉強が出来たっていうのもあったかも。テスト前とかも一夜漬けでしたけど、うまく乗り切れたし(笑)。
加藤 :大学には行くっていうのは決めていたんでしょ?それはなぜですか?
橋本 :家庭事情です(笑)。「サッカーをやるなら大学に行きなさい」「そんな不安定な人生はダメだ」と両親に言われていたので(笑)。だから、もし大学に合格していなかったら、プロではやっていなかったと思う。あるいは、浪人生活をしている間だけサッカーをやって、それでもアカンかったら2浪目の年はサッカーをやめて勉強だけっていう感じだったと思う。
加藤 :それが今では日本代表ですもんねぇ。
サッカーをやめてしまおうと思った事はないんですか?
橋本 :サッカーをやめようと思った事はないです。でもプロになるまでは、ガンバをやめようと思った事は何回もあります(笑)。正直、ユースに上がる時も、セレッソ大阪の方が家から近かったので、そっちに行きたかったくらいで(笑)。とにかく遠いのが辛かったんですよね。しかもユースになると更に遠くなって、茨木市の山奥まで通っていましたから。学校が終わって、天王寺から環状線に乗って、快速で茨木に出て、そこからバスに乗って…っていう生活が、毎日ですからね。
加藤 :でも…しつこいようだけど、やめなかったんですね(笑)。
橋本 :まだ子供だったので、どうやったら、セレッソに行けるかも分からなかったですからね。
実際、中学3年の時に、「Aチームにいる選手は全員ユースにあがれます」っていう話をされたんですけど、その後、自分がどうやってユースに昇格したのかよく分かってなくて。中学から高校生になる時の春休みも、ユースにあがる選手はみんなユースの練習に参加していましたけど、僕は受験勉強があったので、一度も行かなかったですから(笑)。
他の子は1~3月から既に参加していたのに、僕はきっちり、受験が終わって高校に通い始めた4月から(笑)。しかも、他のチームから新井場とか、更に巧い選手が集っていましたからね。「これは試合に出られないな」と思うと、余計に練習に行きたくなかった。
加藤 :中学の時と同じですね(笑)。
橋本 :まさに。だから、ユースに上がっても、最初は英語の塾だけはやめずに行っていましたからね。それは僕の中ではある意味、逃げだったんですけど…そっちに行く事で練習に行かなくて済んだから(笑)。でも、そうやって塾通いを5~6月くらいまで続けていたら、コーチの人に怒られて。「なんで練習に来ないねん?」と。「いやあ、塾に…」って答えて、いろいろ話をして。「これからは真面目に練習くるか?」って聞かれたから「はい、行きます」っていうことで、そこからは塾も辞めて、真面目に練習に行くようになったら試合にも出られるようになったんですけど。

text by/misa takamura

加藤美樹/プロフィール
3月26日生まれ。B型。1994年の802DJオーディションに合格。音楽に、生活に、独自の優しい視点をもつ彼女。802のお昼の顔として人気上昇中。
現在の担当番組:「FLOWER AFTERNOON」 MON-TUE 13:00-16:00、「フロム・エー/フロム・エー ナビ SUPER J-HITS RADIO」 SUN 19:00-22:00

vol.2 加藤美樹(DJ)

橋本 :ところで、美樹さんは、なんでDJになろうと思ったんですか?
加藤 :正直、なろうと思ってなった訳じゃないというか…。こう言うと、夢を持って「DJになろう!」って思っている人に失礼かもしれないんですけど、始まりは偶然なんですよね。モデルの仕事をしていた時、モデル友達にDJをやっていた「小牧ユカちゃん」がいて、彼女のラジオ番組に一度ゲストに出たんです。そしたら、その時の声を番組のディレクターさんが、気に入ってくれて「DJのオーディションを受けてみませんか?」って言ってくれたんです。それがきっかけ!アシスタントからのスタートでしたけどね。
橋本 :モデルの仕事をやっていた時からDJも興味くらいはあったんでしょ?
加藤 :全然(笑)。ラジオでおしゃべりするなんて、想像したこともなかったなぁ。モデルの仕事が楽しかったし、どちらかと言えば、お芝居は、やってみたいなぁと思って、その勉強はしてましたけど…。
橋本 :モデルはどのくらいやっていたんですか?

加藤 :中学3年生の時にスカウトされてから3年間くらいやってたんだけど、高校時代の後半はちょっと太ったりもして中断(笑)。
でも大学に入った時に「もう一度、真剣にやってみよう」って思い直して、まじめに取り組んだの。そしたらモデルが楽しすぎて、危うく大学の単位を落としそうになったけどね。(笑)。
橋本 :それだけ仕事がバンバン入ってきていたっていうことですよね?!
加藤 :うん。とても有り難い話だけど、当時は休みがないくらい、忙しかったですね。
私の通っていた大学は幼稚園からエスカレーター式で進級出来たんですけど、追試や補修がない分、あとから授業を受けられないの。だから授業に出ていないと単位がとれなかったんですよ。。だからかなぁ?テストがなくなった今でも「卒業できません」って通知を受ける夢を見たりするの(笑)。
橋本 :(笑)。エスカレーター式っていうことは、幼稚園でお受験を経験したんですか?
加藤 :そう、そう。幼稚園の受験も落ちそうになりましたけどね(笑)。最初の試験は、お部屋の真ん中におもちゃが無造作に置いてあって、「そのおもちゃで好きに遊んでください」って…。要は、友達との協調性とかを見るらしいんですけど、その時私は電話が大好きだったから、電話のおもちゃをとったの。そしたら、普通、家の電話って受話器をあげたら「プー」って鳴るじゃないですか?なのに、そのおもちゃの電話はいきなり「もしもし、私、リカちゃん」って喋ったの!それがすごく怖くなっちゃって大泣きで…。
おまけに面接でも、待っている部屋の壁に白いプチっとしたボタンみたいなマークがあって…。後できいたら、雀のフンだったらしいんだけど(笑)~。どうしてもそれを押したくなっちゃって、おそるおそる押したら、その瞬間にタイミングよく部屋のハト時計が鳴って(笑)。今度は、それが怖くて泣きまくり、「もうあの部屋には入らない」って。もう少しで試験を受けられないところだったらしいんですよ(笑)。結局、少し時間をおいてから受けさせてもらって、何とかお情けで受かったんですけどね(笑)。
橋本 :いろいろ、やらかしていますね(笑)。DJの仕事を始めた時は、モデルの仕事はどうなっていたんですか?
加藤 :その頃はもうモデルの仕事をやめちゃっていたから。お芝居をやろうと思って、ちょっとだけ舞台に出たり、テレビに出たりということをやっていた時だったの。でも、なんとなくテレビの仕事には向いていないかな、って思いもあって。そのタイミングで声をかけていただいたから、どんどんラジオにはまっていった感じですね。実は、音楽のことも、ラジオが始まってから勉強をしたんですよ。(笑)。
橋本 :それまでは音楽は全然?
加藤 :全然聞いてないですね(笑)。
子供の頃から「Char」さんが好きだったり、「山下達郎」さんの番組は好きで聴いたりは、してましたけどね。
ただ、1つすごく印象的だったのが、その「達郎」さんの番組の前後どちらかで、「杉真理」さんっていう方がDJをされている番組があって。その人が番組を終わる時に「じゃあ、またね。バイバイ」というフレーズを必ず言ってたんですよ。その感じが私としては「すごくいいな~」って思っていて、「私もいつかラジオ番組を持つようなことがあればこれ言おう」って漠然と思っていた記憶がありますね。そのことを、実際にDJになってから、ある日突然、思い出して、それからは自分が担当する番組では、それを言うようになっていったんですよね。とはいえ、自分としては、特別そのフレーズを大事にしていた訳でもなく(笑)。
でも、ある時、ある番組でそのフレーズを言わなかったら、リスナーさんからすごく怒られたことがあって(笑)。そんなこともあってか、いつのまにか言うのが当たり前な感じになってきちゃったんです。でも、もし私が「杉さん」に憧れたように、私のそのフレーズを好きだと思ってくれる方がいたら、それはとても嬉しいことですけどね。
橋本 :いい話ですね~。音楽はともかく、話すこと自体は好きだったんですか?

加藤 :そんなことないですよ。どちらかと言えば、人と喋るのが苦手だったし。でも、やるとなったら、やらなければ!ということで、NHKの通信講座で勉強したりは しましたねぇ(笑)。ただ、お芝居の稽古をしていたことが少しは活かされているかもしれないなぁ。だから、私の喋りって、基本的にはプロとしては、全くなってないですよね(笑)。幸いこの喋りを『個性』という風にやってこれたから良かったけど、大阪で番組を始めたばかりの時は、リスナーの方から「その喋り方、気持ち悪い!」って言われたこともありましたよ(笑)。
橋本 :そうなんですか?!大阪に来て何年でしたっけ?
加藤 :13年になります。
橋本 :『Flower afternoon』はいつからやっているんですか?
加藤 :あの番組自体は10年くらい続いているけど…私は9年かな。
橋本 :じゃあ、僕はたぶん、ほぼ最初から聞いてるんじゃないかな!僕が車の免許をとったのが、プロ1年目の12月で…今、僕は10年目ですからね!東京出身の人が大阪のラジオ局のオーディション受けるのって、当時は普通だったんですか?
加藤 :FM802で仕事をしている自分が言うのも何だけど、全国でこの仕事をしている人の中に、大阪のFM802を知らないって人はおそらくいないと思いますよ。私もオーディションで入ったけど、今もオーディションを受けに、すでにDJの仕事をして番組をもっている人も、たくさんデモテープを送ってくるくらいですからね。
橋本 :どうしてFM802が良かったんですか?

加藤 :この仕事が面白くなってきて、東京FMでも一人で番組を持つようになった頃に、「Mr.Children」の音楽と出会ったんですよ。デビューアルバムから本当に好きで良く聴いたの。そしたらそのアルバムの中のデビューシングル「君がいた夏」っていう曲が、FM802のヘビーローテーションになったって聞いたんです。その時に「ヘビーローテーションって何?」って当時の東京FMの制作の人に聞いたら「全番組で必ずかかる曲だよ」って教えてもらって、「すごい」って思ったの。しかも、当時はまだ「ミスチル」がHITしてない時だったからね。なのに「新人の曲を、全番組でかけるの?」ってびっくりしちゃって。しかも、1コーラスだけとかでもなく、最初から最後までしっかりON AIRするでしょ。そのことに感動して、「オーディションを受けてみたい」って思ったの。その時、東京FMと802を掛け持ちで仕事をしているDJの方に「紹介するよ」って言ってもらったりもしたんですけど、「なんか、それじゃあダメだ!」って直感で思って、1からオーディションを受けようと決めたんです。でも実際は、1次オーディションでいきなりダメで、お断りの手紙をいただいちゃったんですよ…しかも、手書き(笑)。でも、「オーディションの返事を手書きでくれるなんて、なんて丁寧な…」って思っていたら、実際は、後で聞いたところによると、当時私が、同じエリア内の神戸『KISS FM』で仕事をしていたからというのが、その理由たっだみたいなんですけどね(笑)。
橋本 :で、もう一回、受けた、、、と。2回も受けようと思ったほど魅力があったんですね。
加藤 :うん。1回目は「なんでダメなのかな、2次にも呼ばれないんだ…」ってすごく悔しくて。でもお断りは手書きだし、変だなって(笑)。
で、私にも意地があったから、「もう一回挑戦したい」って思って履歴書を送ったら、今度は2次試験を飛ばして、3次から呼んでいただいたの(笑)。なんでだろうって思いながら、受けたら今度は、いきなり合格。でも、なかなか担当番組が決まらなくてね。しばらくして、ある時、いきなり日曜日の番組をもらっちゃった時は、うれしかったなぁ。
橋本 :普通、なんでも中心は東京だ!みたいな感じがあって、どちらかといえば地方から東京を目指すじゃないですか?でも、FM802の場合は、逆ですね。東京の人が関西を目指してる(笑)。
加藤 :そう。でもやっぱ、東京でやりたいっていう人は今でも多いと思うよ。ただ、私としてはやっぱり地方の良さってあると思うんですよ。特にFM802はね。日本全国のラジオ局の中でも新人アーティストの発掘や、HIT曲発掘には特に定評があるし、なんと言っても音楽をとても大切にしている局だと思うんですよ。世の中には、いろんないい曲がたくさんあってそんな音楽達を愛して、アーティストを敬って、人との繋がりとかを大切にしていく、そんな事を放送局全体でやっているようなところは、なかなかないんですよ。それがやはりFM802の一番の魅力だと思うなぁ。
これは、大阪の街や、大阪の文化も関係していると思いますよ。街の大きさとか、音の伝わり方、話題の伝わり方も地域色が出るし。そういう意味では大阪が生んで、大阪が育てたラジオ局だって思うし、実感します。
橋本 :13年やってきて、DJは天職だと思いますか?
加藤 :よく聞かれるんだけど、そう言いきれるほど自信は持ってなくて…っていうか、一生そ の自信はないと思います。天職って言えるほど何かしたわけでもないし、自信があるわけでもないし…、情けないんですけどね。でも…天職って何でしょうね?
橋本 :そうですよね。僕もサッカー選手は…天職っていう感覚はないですね。っていうか、むしろ自分で天職って言える人は凄いと思う。
加藤 :そうですよね。私もそう思う。天が与えてくれた職だと考えるなら、天職はむしろ自分で判断するものじゃないというか…そう思いますね。
橋本 :そうですね。
加藤 :でもこの前、あるコンダクターの方がテレビで「この仕事は天職です」って答えていたのは凄く格好よかったですけどねぇ~。だからきっと、言える人もいるんですよ。
橋本 :でも美樹さんの声は生まれもってのものだから、ある意味、天が与えた才能ですよね。練習したところで、その声は出来上がらないし。
加藤 :これはラッキーだっただけですよ(笑)。でも誉められると嬉しいけど。
橋本 :自分の声は好きですか?
加藤 :声は好きかな。
橋本 :それはいいことですね。
加藤 :でも声って面白いもので、自分の声を知らない人ってすごく多いんですよ。
橋本 :うわっ。僕も分かっていないです。
加藤 :こうして普段、話している声ってあるでしょ?これも人によっては地声で話していない人もいて。これは芝居で覚えたんだけど、人によっては「これが地声だ」って思っていても、実際は違っていたりするんですよ。まぁ、難しいことは抜きに、一番普通に、楽に喋れる声が地声なんですけどね。
橋本 :じゃあ、美樹さんはラジオでも地声ですね。
加藤 :ほとんど地声。あまり変わらないですからね。
橋本 :僕もあまり変わらないかな?
加藤 :そうですね。ハシくんのテレビを通して聞く声も普段の声かなぁ。
橋本 :僕、自分が喋っている時に聞こえてくる自分の声は好きなんですけど、テレビとかを通して聞く声ってあまり好きじゃないんだけどな。
でも同じなら…残念(笑)。
加藤 :そうかなぁ。耳に入りやすい、素敵な声をしてますよ。顔つきも最近変わってきて、すごくいい顔になったように思うし。代表に選ばれる前と後では、全然違うと思うんですけど。
橋本 :疲れている、いないではなくて(笑)?
加藤 :違う、違う。やっぱり厳しい戦いの場に行くと、顔つきも変わるんだなぁって…、きっと。

text by/misa takamura

加藤美樹/プロフィール
3月26日生まれ。B型。1994年の802DJオーディションに合格。音楽に、生活に、独自の優しい視点をもつ彼女。802のお昼の顔として人気上昇中。
現在の担当番組:「FLOWER AFTERNOON」 MON-TUE 13:00-16:00、「フロム・エー/フロム・エー ナビ SUPER J-HITS RADIO」 SUN 19:00-22:00

vol.1 加藤美樹(DJ)

橋本英郎(以下、橋本) : 初の対談ゲストは大阪のラジオ番組、FM802でDJを務める加藤美樹さんです!
加藤美樹(以下、加藤) : 最初のゲストに呼んでいただいて光栄です。私がサッカーを大好きになったきっかけを作ってくれたハシくんの対談に参加できて幸せです。
もともとガンバ大阪を応援し始めたのは、松波(正信)さんが選手だった時。あの松波さんの引退と初優勝が重なった時からですね。ガンバ大阪を応援するようになって、松波さんを通じてハシくんと知り合い、そのプレーを見て、ガンバにそしてサッカーにはまっていったんだよね。
だから「サッカー大好き」と思えるようになったのは、やっぱりハシくんのおかげなんだ。
橋本 :光栄です!でも、もともとサッカーは好きだったんですよね。ラジオで聞きました。
加藤 :私というより、私の周りに、すごくサッカー好きがそろっていて…。家族もプレミアリーグとか好きで、なんとなく私も見るようになって…。でも、その時は全然試合の見方とか分からなかったし(笑)。だからこんなに自分が一生懸命サッカーを応援するようになるとは思ってもいなかったなぁ。

橋本 :って聞いていると、読者の方は美樹さんが僕のファンだと思うだろうけど、実はもともとは僕が美樹さんの声の大ファンだったんですよ。
加藤 :こちらこそ光栄です。
でも、今や私の番組を聞いてくださるリスナーの方たちは、すっかり私がハシくんの大ファンだと思っているんでしょうね。もちろん、実際そうなんですけど。(笑)。
橋本 :ファンになったきっかけは僕がプロになりたての頃。実家から車で練習場に通っていた時、その通勤途中にいつもラジオでFM802の『Flower afternoon』を聞いていて。美樹さんの、保健室の先生的な声にやられた(笑)。
加藤 :それ、初めて会った時にも言ってくれたよね。
でも「保健室の先生の声」って言われたときはちょっと複雑だったかなぁ?(笑)。
橋本 :当時、ラジオを聴いていた時に、リスナーから番組に「保健室の先生みたいで癒されます」みたいな手紙が届いて。それを聞いて「あ~それちょっと分かる~」って(笑)。
以来、ラジオを聴く度に、保健室の先生の声にしか聴こえなくなった(笑)。あくまでイメージだったんですけどね。だって保健室の先生って言っても男性もいるしね。
インターネットが使えるようになってからはホームページで検索したりもしたんですけど、全然、写真がなくて(笑)。余計に、保健室の先生のイメージは膨らみ…。
いずれにしても、僕は高校を卒業するまでラジオを聴いたことがなかったし、そういう意味では美樹さんが僕にラジオを楽しむきっかけを作ってくれた感じです。
加藤 :そんな大層なことではなく、たまたま聞いていたのか、チャンネルを変えるのが面倒くさいからいつもFM802にあわせていたか、どっちかでしょ(笑)。
橋本 :そんなことないですよ。真剣なリスナーでした。当時は、クラブハウスのジムではいつもFM802が流れていて。筋トレをしながら聴いたりもしたし。
加藤 :それはますます光栄な話です。
橋本 :あと、美樹さんがラジオで「グティが好きだ」って言っていたのも僕が興味を持ったポイントでしたね。だって、普通、女性の人はなかなか見ない選手でしょ(笑)。
加藤 :確か、フランスW杯の時に「好きなイケメン選手を3人上げる」って企画があって、そこで、ベッカムとオーウェンと、グティを挙げたんですよね。まあ、白状すると、ただ「走っているところを見て面白い」って思っただけなんだけど…ね。でも、そうやって考えると、本当にそんな時代から番組を聴いてたんですね。ありがとうございます。
橋本 :実際にお会いしたのは、松波さんがFM802主催のライブに連れていってくれた時ですよね。っていうか、その時はライブを見ただけで実際に話したりはしなかったんですけど松波さんやFM802のプロデューサーをされている塚越さんに「僕が美樹さんのファンだ」っていう話をしたら、僕の誕生日に美樹さんの声がCDでやってきたんですよ!
確か、試合の前日でホテルに宿泊していた時、松波さんに呼ばれてロビーに降りて行ったら、塚越さんから「プレゼントだよ」って渡されて。ちょうどパソコンを持っていたから部屋に帰って早速聴いてみたら、音楽が流れてきて、美樹さんからのメッセージが入っていたですよ。
あの時は、「うお~っ」って感動でしたよ!
加藤 :塚越さんに「ガンバの選手にファンがいて、彼が誕生日だからメッセージをくれる?」って言われて、吹き込んだの。その時はまだそんなにガンバの試合は一生懸命見ていなかったので、ハシくんのこともあまり知らなくて…ごめんなさい…っていうか、ガンバの選手自体、殆ど知らなくて。
塚越さんに名前を聞いて、ガンバ好きの番組スタッフにリサーチ入れて、いろいろ「橋本選手」のことを調べてから、恥ずかしながらのメッセージを贈ったんですよね。
で、その後、確か試合を観に行ったんだよね。ガンバの試合を観たのはその時が2回目で…。
印象的だったのは、試合が終わって、スタンドの一番前まで降りていったら、ハシくんが第一声で、一緒にいた塚越さんに「あ~イエローもらっちゃいました~。次、出られないよ~」って報告していたことかなぁ(笑)。
橋本 :05年のナビスコカップだ。

加藤 :その試合をきっかけに「これからはもっとたくさん試合を見よう!」と思うようになって。やっぱり、知り合いが出来ると思うと、より一生懸命に観戦するようになるでしょ。
しかも観ているうちにどんどんはまっていって。最初はボールを目で追うことしか出来なかったんですけど、だんだん視野が広がっていく中で、まず、ハシくんを徹底的に観てみようと思って。そうやって観てると、ハシくんはボールがないところでもすごく動くし、いっぱい走るし、でも、うまい具合にタイミングを見計らって休んでもいるし(笑)。
そんな姿を見た時に「すごく上手に力の抜き方を知っているな」って感動して。
それから試合をみるのが面白くなって…って考えたら、やっぱり、松波さんでガンバを知り、ハシくんにサッカーの面白さを教えてもらったんだよね。
橋本 :嬉しい言葉ですね。
加藤 :優勝した年の最終戦も観せてもらいまたよ。あの劇的な!私は東京に住んでいるし、あの試合は等々力だったし、松波さんの引退もあるし、これは絶対に行かなきゃいけない、と。
でも、あれは感動でしたよねぇ~。
橋本 :しかも最後のゴールは松波さんが、絡んでいますからね。
加藤 :そう!でも、それまでに何回か「松波さんにゴールを決めさせてあげて」っていうシーンがあったのに、それは蹴らせてもらえなかったりして。
橋本 :最後のゴールもアラウージョじゃなくてもよかったんじゃないか、って(笑)。
加藤 :1つのチームをあんなに応援したのは初めてだったし、しかも優勝しちゃったでしょ。こんなに嬉しいものなんだってすごく感動したのを覚えています。でも、その後、TV番組の『スーパーサッカー』にガンバの選手が出演していた時、司会の加藤さんがあまりにハシくんに触れなかったから、テレビに向かって怒ってみたりしたなぁ(笑)。
橋本 :当たり前ですよ!他にメイン選手がたくさんいましたから(笑)。
加藤 :でも、新聞によってはハシくんを「ガンバの心臓」とかって書いていて、それは「よし、よし」と思いながら、読んでたなぁ(笑)。
ところで、今さらだけど、私と初めて話した時もやっぱり保健室の先生の声に聴こえた?
橋本 :いや…なんて言うか、やっぱりマイクを通すと声は違って聴こえるんだなって思いましたね。だから最初は同一人物には思えなかった(笑)。一応、お顔はホームページの写真で拝見していたので、偽物とは思わなかったけど(笑)、多少のギャップはありました。
今、こうして話していると、「ああ、美樹さんの声だ」って思えるけど、そう思えるようになるには少し時間はかかりましたね。
加藤 :ラジオのリスナーさんにもよく言われますよ。ラジオって顔が見えないから、聴いている方が、勝手にしゃべり手の顔をイメージするんですよね。まあ、そこがラジオの面白いところでもあるんですけどね。
橋本 :確かに、他のDJの人も、会ったら全然声と顔のイメージが違ったりしますよね。勝手に描いているものがあるんだろうなぁ。
加藤 :今はインターネットもあるし、写真もいっぱい載っているからそういう声もかなり減ったけど、それでも「違うっ~!!」って言われることは多いですよ。
橋本 :番組にはサッカーに関するメールや手紙も結構来るんですよね?

加藤 :うん、来る、来る。私の番組の場合は、ハシくんファンが多いけどね(笑)。私としては、番組の中で「ハシくんと仲いい」って話すのはちょっとおこがましいなって思ったりして。しかも、そんなにサッカーが詳しい訳じゃないし…。でも、実際は結構露骨に応援してるので、だんだん「美樹さん、本当にガンバが好きなんですね」って言われるようになったりして(笑)。番組の中で「今、ガンバのGメールで読んだんだけど…」とかって話すと「Gメールにも登録しているんですか?」ってメールをもらったり(笑)。
そういえば、Gメールも、ハシくんが「この情報が早いですよ」って教えてくれたんだよね?
橋本 :読者の皆さんもGメールは無料登録できるので是非…って宣伝、宣伝(笑)。
加藤 :で、優勝した時に「橋本選手のおかげでサッカーの楽しさを知りました」って言ったら、そこから更にリスナーの人がガンバのことを書いて送ってくれるようになって。
そう言えば、ついこの前、誕生日のメールをもらった話をFM802のHP内の日記に書いたんだけど、その前に、ハシくんに「このことを、日記で自慢していい?」って先に了解をとろうと思ってメールしたら、「そんなことが自慢になるんだったら、書いてください」って返事がきて。それを見て「謙虚だ~っ」って感動しながら日記を書きました。(笑)。実際に書いたら、更にガンバのことや、ハシくんのことを書いたメールが来るようになって。そうこうしているうちに、とうとう「美樹さんの橋本選手が…」ってなってきたりして…(笑)。
日本代表に選ばれた時なんか、すごい数の喜びのメールが来たんだよ!
橋本 :そういう話を聞くのはすごく嬉しいですね。
美樹さんのファンを通してガンバファンも増えているし、僕のことも知ってもらえて。
加藤 :それは私の方こそ、ですよ!ハシくんのおかげでラジオを聴いてくれるようになった人もいるしね。
でも、代表に選ばれた時、私は意外と冷静だった…いや、冷静を装ったかなぁ(笑)。
以前から「オシム監督は絶対にハシくんみたいなクレバーな選手が好きなはず!」なんて言ってたから、実際に入った時「そんなことで騒いじゃダメだ…当たり前の事なんだから」みたいに平静を装ったの(笑)。
内心大喜びでね。そしたら、すごく騒いでくれたからうれいかったなぁ。(笑)。

text by/misa takamura

加藤美樹/プロフィール
3月26日生まれ。B型。1994年の802DJオーディションに合格。音楽に、生活に、独自の優しい視点をもつ彼女。802のお昼の顔として人気上昇中。
現在の担当番組:「FLOWER AFTERNOON」 MON-TUE 13:00-16:00、「フロム・エー/フロム・エー ナビ SUPER J-HITS RADIO」 SUN 19:00-22:00