橋本英郎公式サイト「絆」
FRIENDS

vol.33 岩城ハルミ(元バドミントン選手)

橋本:ハルミさんは何年で引退されたんですか?
岩城:バルセロナ五輪に出場した年、92年に引退しました。先ほどちらっと話しましたけど、五輪前は本当にいろんなことがありすぎて…それでも、自分としては出来ることを目一杯やって、実際に五輪にも出場できましたからね。そこで「もう、いいかな」と思えた。それに、所属していた尚美学園の子供たちの方に何かしてあげたいっていう気持ちも強かったので、スパッとやめて指導者の道へ進みました。
橋本:そんなにスパッとやめられるもんなんですか?!っていうか、実際に、やめたあとの気持ちはどうでしたか?
岩城:すぐに指導者としての生活がスタートしたし、あまり考える間もなかったので…やめたことに対してはあまり深く考えなかったですね。それに、ずっとバドミントンだけをして生きてきた分、他の道にチャレンジしたいという気持ちも強かったですから。実際、引退後は指導者をしながらも、着付けの先生の免許をとったり、トールペインティングに挑戦したり、やりたいと思うことはいろいろとやって…それに、その頃にはちょうど結婚願望も出て来た頃でしたからね。バドミントンの指導をしながらもいろんなことを欲張りに考えていた気がします。
橋本:そのタイミングで岩城トレーナーに出会ったんですか?
岩城:はい。引退したのが28才で、引退後も関西に帰らずに東京で指導者の道をスタートさせたんですけど、親にしてみたら、そろそろ結婚をと思っていたらしくて。「いい人を紹介してくれる人がいるから会わない?」みたいに言われたんですけど、私としてはいまいちピンとこなかったし、とりあえず「紹介されるならこんな人じゃないと嫌や!」っていうのを紙にバ~ッと書いたんです。
橋本:うわ、めっちゃ面白い。どんな条件を出したんですか?!
岩城:ありきたりですけど…身長が 180センチ以上、血液型が私と同じO型。で、次男。もちろん経済力もあり…といっても金額は明確に言った訳ではないですけどね(笑)。あとはやっぱりスポーツをしている人で優しい人。それから、同じ年の人は嫌だ、と。私自身がいろんな経験をして生きて来ただけに、同じ年の男性では頼りなく思ってしまうような気がしたので…くらいかな。そんなに難しくないですよね?
橋本:いや、結構、難しいと思いますよ(笑)。で、それに岩城トレーナーが当てはまった、と。

岩城:全ての項目にあてはまった訳じゃないですけどね。ただ会ってみようという話にはなって、実際に会ってみたら、めちゃくちゃ優しくて。バドミントン界ではあり得ないくらいレディファーストで、こんな人がおるんや!って驚いた。ただ私も当時はまだ東京にいたので、最初は遠距離恋愛だったというか。主人も出張などでこっちに来ることが多かったから、ちょくちょく会っているっていう感じでした。ただ…なにせ、デートがお寺とか古風な場所が多いことにびっくりして(笑)。もともと私がモロ、体育会系でそういうタイプではなかったからっていうのもあったと思うんですけどね。
橋本:岩城トレーナーがそういう場所を好むというのは何となく想像できます(笑)。で、どこに惚れたんですか?
岩城:とにかくすごく気がつくし、気配りが出来る人だなっていうのは思っていましたね。ただ…なかなか煮え切らないというか。出会って2年くらい経っても手も握らない、くらいの感じだったから、これは白黒ハッキリさせたいな、と。それで本来、積極的なタイプの私としては我慢できずに「結婚する気とかあるんですか?」って自分から聞いちゃった(笑)。
橋本:そんなレアな話を載せても大丈夫ですか?! で、返事は?
岩城:確か…ちょっと考えたのかな? 実際、プロポーズされたのも半年後でしたしね。そもそも遠距離恋愛だったということもあて、なかなかお互いに盛り上がらないところもあったのかもしれないですけど、でも、とにかく主人と一緒にいると居心地がよかったですから(笑)。それに、さっき挙げた条件とは違って、主人とは同じ年だったんですけど、いろんなことを知っていて同じ年だとはぜ全く思えなくて。実際、今では私以上にいろんな経験をしてきているので私の方が頼りっぱなしですからね。
橋本:はい、ごちそうさまです(笑)。そして、今では2人の息子さんと1人の娘さんの3人の子供とともに…いや、違ったハルミさんを含めた4人の子供と幸せに暮らしている、と(笑)。息子さんたち2人はサッカーをしているようですが、どうですか?楽しんでやっていますか?
岩城:どうなんですかねぇ。見ていて歯がゆい部分も結構ありますけど、そこは息子たちの自主性に任せて我慢しながら見守っています。
橋本:本音を言えば、もっと練習しろ!走ってこい!と言いたい、と?
岩城:はい…ゲームをしている暇があったら外に行って走ってこい! ボールを蹴ってこい!と言いたい気持ちはあります。あの…橋本さんはゲームってどう思います? 私は自分が全然興味がないこともあって、いまいち、ゲームをすることの楽しさが理解できない!!

橋本:僕が思うに、ゲームはゲームで意外といいと思いますけどね。というのも、ゲームには発想力、イマジネーションに繋がるところもたくさんあるから。サッカーをしていると、大人になって、レベルがあがるにつれて、遊び心が出しにくくなるじゃないですか? 子供の時にやっていた「これをやってみよう」というチャレンジがなかなか出来なくなる。実際、僕らでもプレーのレベルがあがっていくにつれて、チャレンジのパスより、成功するパスを選んでしまう自分がいたりしますからね。でもそれがゲームでは出来るというか。ゲームではミスが許されるからイマジネーション豊かにプレーできる。そう考えると決して悪いとは思わないです。
岩城:うちの子はまだ橋本さんたちほど技術がないのに、それでもいいんですか?
橋本:はい。僕は頭を使うことの訓練にもなるからいいと思いますよ。ただ、対戦相手がコンピューターばかりだとよくないというか。対人でやればその人の性格が見えたりもして面白いけど、相手がコンピューターだとそれが望めないですからね。できれば人と対戦した方がいいとは思います。実際、僕らもチームメイトとゲームをすることもあるんですが、それぞれの性格が見えて結構、面白いですよ。それに、その選手が普段、どういうチームでプレーしているのかも分かる。実際、パスサッカーが中心のチームの選手はパスを繋ごうとするし、ドリブル中心のチームならドリブルをしようとしますからね。逆にパスサッカーのチームにいても、自分が「ドリブルをしたい!」と思っている選手はドリブルを仕掛けて来たりもして…。ちなみに僕は実際のプレースタイルとは全然違ってめっちゃドリブル派なんです。それはおそらく潜在的にドリブルをしてみたいっていう気持ちがあるから。そういう意味でも、ゲームの中だけでは違う選手になれるし、違う発想を持てるから楽しさは理解できます。
岩城:それを実際のプレーでやってみようということはないんですか?
橋本:あります、あります。ゲームで成功したスルーパスにチャレンジしてみたり。そういう意味ではイマジネーションを鍛えるにはいいと思いますけどね。だから禁止はしないであげてください(笑)。
岩城:そうですね。いや私も…何をやっても無駄なことは一つもないと思っているというか。自らやろうと思ってすることは全てプラスになると思っているんですけど、あまりにも長い時間やっているとついつい文句を言いたくなってしまう。
橋本:メリハリは確かに必要ですよね。でもそれも、本人たちがそう思えないと意味がないのかもしれない。
岩城:そうなんですよね。結局、自分がやらなければ、と思わないと始まらないし、身に付かないですからね。そう思うからこそ…我慢、我慢です(笑)。
橋本:そろそろ締めに入ろうと思うのですが大丈夫ですか? 最後にケガから復帰されたハルミさんに、今まさにケガから復帰しようしている僕に対してのメッセージ、アドバイスを貰えたら嬉しいんですが。
岩城アドバイスって言うのはおこがましいんですが、ケガのことって、痛みも、“出来る、出来ない”のラインも、自分が一番分かっていると思うんですよね。もちろん、ドクターやトレーナーの方たちもケガの状態は十分に把握して下さっているだろうし、常に見ていてくれるだろうけど、何よりも自分自身が一番分かっている。だからこそ、自分が設定する“出来る、出来ない”のラインを少し下げたらどうかなとは思います。というのも、一流の選手ってどうしても“出来る”ラインをギリギリの高さに設定しちゃうところがあると思うんですよね。橋本さんもそうだと思うんですけど、ラインをギリギリに設定して頑張ってしまう。ただ…いろんな経験をされてきているので、私が言うことではないとは思いますが、若い時のケガではないからこそ…先のことを考えればこそ、そのラインを少し下げながらやっていくのがいいのかな、と思います。
橋本:おっしゃっていることはすごくよくわかるし、僕自身も今のテーマは「やりすぎない」ことと、「焦らない」ことですからね。そういう冷静な自分というか、客観的に「焦るな」と言える自分がいないと、自分を止められなかったりしますしね。
岩城:そうなんです。私もそれで自分を止められずに苦しんだだけに、そこは気をつけて欲しいです。ただ、プロゆえになんでもかんでも安全に、安全にとやっていてもダメなことも分かるので、そこはドクターやうちの主人も含めたトレーナーの方たちがしっかりとついていてくれると思うので、相談しながらやっていって欲しいなと思います。実際、これを言うとノロケるみたいで嫌なんですが(笑)、私もケガをした当時に主人と出会っていたらって思うことってたくさんあるんですよね。今でもたまにケガをした際に診てもらうことがあるんですが、そうするとすごく的確にアドバイスをくれるし、すっと戻してくれる。それに何より、自分自身のケガに対する強い気持ちをすごく持たせてくれるんですよね。ケガをしたことを後ろ向きに考えさせることなく、「やるのは自分だ」という気持ちを持たせてくれる。そういう方が、主人も含めて橋本さんの周りにもいらっしゃると思うので、その方たちのアドバイスを信じて、かつ自分の中でのラインをちょっと下げて、頑張って欲しいなと思います。

橋本:ありがとうございます。同じようなことを、他の人にも言われたことがあります。「せっかくここまで戻ってきて、今またもう一度同じケガをしたら間違いなく選手生命は短くなる。だからこそ、今はとにかく我慢しながらやりなさい」って。それもあって僕も「焦らない」ということは肝に銘じているので、ゆっくりやっていこうと思います。ハルミさんもおっしゃっていましたが、僕もこの半年、ケガをしたことによっていろんな人に出会い、いろんな話を聞く機会があったのですが、それって自分にとってすごく良かったと思うんですよね。ケガをしたこと自体を良かったとは思えないけど、そういう人との出会いは自分の財産になった。だからこそ、それを大事にしながら焦らず、やっていこうと思います。今日はいろんな話を聞けて楽しかったです。ありがとうございました。これからも岩城トレーナーともどもお世話になると思いますが、よろしくお願いします。
岩城:こちらこそ遠方までありがとうございました。また気軽に遊びにいらしてくださいね。

取材協力/dieci
text by misa takamura

岩城ハルミ/プロフィール
1965年6月24日生まれ。大阪府大東市出身。中学1年生時に本格的にバドミントンをはじめる。中学~短大までを過ごした名門・四条畷学園では、高校2年生時に日本一の座を手に入れたのを皮切りに、卒業までその座を守り抜く。卒業後、所属した三洋電機ではケガに苦しむことが多かったが、2年半のリハビリ生活を経た88年。復帰戦となった全日本社会人大会で優勝し、劇的な復活を遂げる。以降もコンスタントに結果を残しながら、92年のバルセロナ五輪への切符を手に。同大会への出場後引退した。現在は『ヨネックスアドバイザリー』スタッフ、『オリンピアンズ協会』『大阪市ゆとりとみどり「夢・授業」講師や『パナソニックジュニアバドミントンクラブ』のコーチングスタッフとして小中学生の指導にあたる。<岩城浩平オフィシャルブログ/http://pure-city.jp/kohei/index.html