天国のおかんへ
~僕たち夫婦から天国のおかんへ~
生きていれば、今日3月5日は母親の誕生日でした。
独身の頃は祝ってやったことがあまりなかったけど、
結婚してからは毎年花やプレゼントを送ったりしていました。
オープン戦を見に来たりしたら打ってプレゼント。
今日も試合前そんなことを思い出しながら過ごしました。
天国に届く活躍は今日は出来ませんでしたが、
きっとこうして試合に出てる僕を見ていてくれてると思います。
先日2月25日、その母親が約2年の闘病生活の末、
とうとう力尽きてしまいました。
母親は、非常に負けず嫌いで、『何でも一番になれ』と
僕は幼い頃からよく言われました。
勉強に関してはあまりうるさく言われたことはないですが、
野球になれば別。
試合に負けることを許されませんでした。
『打席に立った回数ヒットを打て』
こんな考えの母親でした。
毎日、毎回、僕の野球に来て、
いつも先頭に立って応援してくれました。
とにかく勝つことへのこだわり、執着心は、おかん譲り。
幼い頃から身に付いてました。
僕は中学生になってボーイズリーグに入り、毎日練習。
練習場まで電車賃往復3000円。
部費も高く、お金もかかりました。
その当時、姉もバレーボールの強い高校に進学して、
本当に家計は大変だったと思います。
母親のパートに出る姿を見て、『いつか必ず楽さしてやる・』
そう思いながら野球をしていたの覚えています。
高校入学前、目標を紙に書き、実家の壁に張りました。
今も貼ってあります。
1.1億円プレーヤーになって両親を楽にさせてやる!
2.大きな家を建ててやる!
今、母親が亡くなって思うことは、「少しは親孝行できたかなぁ」と。
野球での活躍や、結婚して孫を見せてやれたことなど、
親孝行出来たと思うこともある。
でも母親の顔を見て謝りました。
「大きな家を建ててやれなくてゴメンなm(__)m
もっともっと美味しい物いっぱい食べさせてあげたかったゴメンな。」
これから家族みんなで、孫の陸斗の成長を見守りながら、
旅行したり、もっともっと美味しい物食べたりしたかった。
食べることが大好きだったおかんだから。
丈夫な体に産んでくれてありがとう。
こうして今野球が出来て、結婚し、嫁と息子がいて
幸せな家庭をもててるのは両親のおかげであり、
母親もちろん、両親へは感謝しきれません!
でも、いつまでも下を向きメソメソしている姿を、
天国の母親は望んでいません。
僕が野球でもっともっと活躍すること、家族仲良く幸せに生活すること、
きっと母親は見ていてくれてるはずです。
それが何より供養になると思っています。
「見てろ!おかん!やったるで!」
本当に辛く長い闘病生活、おかんお疲れ、ゆっくり休んでな。
いままでありがとう!
今江敏晃
今日はお母様の誕生日。
きっと天国からオープン戦を観戦していただろうなぁと思います。
何より楽しみにしていた主人の野球。
病気が発覚してから約2年、辛い抗がん剤治療にも耐え、
最後まで強い精神力で戦い抜かれたお母様。
「生きる」ということや、言葉ではない、
たくさんのことを教えてもらった気がします。
私はお姑さんという感覚以上に、お母様には良くしていただき、
仲良くしていただきました。
同じ女性として尊敬できる素敵な方でした。
明るくおおらかで、芯の強い女性、太陽のような存在。
花に例えると『ひまわり』のようなお母様でした。
孫である陸斗の成長を見ることが出来ない、
息子である主人の野球を開幕は見れないかもと悔やんでいました。
まだまだこれから親孝行をたくさんと思っていた時でしたので、
残念で悔しくてなりません。
生前お見舞いに行った際に、お母様と2人で病室で話した時
『さっちゃんともこれからたくさん楽しい時間を共にしたかった。後はよろしくね、
敏のこと、陸ちゃんのこと。』
そう言って涙を流された姿を忘れられません。
主人も2年間、お母様のこと、そして自身の怪我なども重なり、
様々な思いを胸に野球や社会活動に取り組んできました。
悲しみの数だけ人は強く優しくなれると私達は信じています。
主人だからこそ出来ることや感じることを今後もグラウンド、
グラウンド外でも頑張っていきたいと思います。
何より私達が日々を大切に精一杯生きていくことが
お母様の供養になると思っています。
そして、この度たくさんのファンの方、応援してくださる方に
お悔やみのお言葉を頂戴し、お心遣いに感謝致します。
ありがとうございました。
今江幸子
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